コンフェッション

 「さあ、首をお出し!ジェイソン!」

 母親は包丁を振り回し、少年ジェイソンを追いかけた。


 ジェイソンは恐怖に駆られつつ、テーブルや椅子を上手く使って逃げ回っていた。


 「ちょこまかと動くんじゃないよ!」


 「お、鬼婆の言うことなんか聞くか!」


 「こら、母さんに向かって汚い言葉を使うな!」

 いつの間にかテーブルの下に潜りこんでいた父親の頭が、ジェイソンの足首にかみついた。


 「ぎゃああああっ!感染してしまう!」


 「……俺はゾンビではない!」


 ジェイソンが足首から頭を引き剥がす間に、母親はここぞとばかりに構えた。


 「隙ありだ!」


 母親が、包丁を逆手に持って飛びかかった。


 「くっ……ここまでか!」

 ジェイソンは頭を抱えながら、目をつぶった。


 「…………おや?」

 

 ゆっくりと目を開く。


 両目を飛び出させ、牙のような歯、長い舌をだらりと垂らした怪物じみた母親が、時を止めたように固まっている。


 その母親の前に、グレーのハンチング帽、同色のジャケットに半ズボンの、あの子供の霊の姿があった。


 「お、お前は……!」


 「話は後だよ、おじちゃん」


 「お、おじ……」


 「おいジェイソン。そいつはどこの子……」

 父親の頭もまた、ピタリと動きを止めた。


 「この二人は僕が押さえておく。おじちゃんは、マックスじいちゃんを起こして。こっちに呼ぶから」


 「で、でも!呼吸してないんだぜ、あいつ」


 「とにかく、声をかけてあげてよ。きっと届くと思う」 


 「よ、よし!マックス!起きろ、起きてくれって……」

 ジェイソンはマックスを揺さぶり、声をかけ続けた。




 * * *




 …………リンダは……生きている。


 ……そうよ、目を覚まして。


 「あっパパとママがイチャイチャしてる!」


 リンダの声が響いた。夢の世界から目覚めかけたマックスを引き留めるような、甲高い声。


 マックスはエレナと手をつないだまま、リンダの方を向いた。

 いつの間にか洗い物を終えて、リンダは黒革のソファに座って足をバタバタさせている。


 「リンダ」


 「なぁに?もっとパンケーキ、食べたかった?」


 マックスはエレナを見つめる。そして互いに深く頷いて、握っていた手を離した。

 そして膝をついて、ソファに座るリンダと目を合わせた。


 「リンダ……夢の中だけど、お前と一緒に朝ご飯を食べることができて、ほんとに良かった」


 「……どうしたの、急に」


 「でもな、本物のお前はこんな夢には居ないんだ。パパは本物のお前を探さなくちゃいけない」


 「何言ってるの!あたしはここでパパたちと……」


 「お前は本物じゃない。その証拠に、お前は一人でそのソファに腰掛けている。いつも、棺桶コフィンみたいに不気味だと言って近寄らなかった、そのソファに。私とエレナが座っているときに、その間に挟まるようにしてやっと安心できたんだよ、あの子は」


 「……そんなこと、知らなかったなぁ」


 リンダの目がまっ暗に染まった。口が裂けるかの如く、大きく頬を吊り上げて笑った。


 「……騙すなら、とことん創り込むべきだ、悪魔よ」


 「生意気な……詳細ディテールにこだわれなかったのは、お前がリンダについて何か隠しているからだ!言えよ、何が秘密なんだ?」


 マックスは口をつぐんだ。が、頭にエレナの死がよぎった。そして、拳銃……。


 「ハハハハッ……隠したがっていた記憶の断片が見えた。何が『エレナの死は分からない』だよ!とんだ役者をつかまされたもんだ」


 マックスは再び心が揺らいだ。


「認めたくないんだな?その現実を……だがここまで来たら話すよなぁ。さあ、自分の口で言ってみろ。誰がそこの女を撃ったんだい?」


 マックスは黙っていた。言葉にすることに、それを再び認めることに抵抗があった。


 「誰が最愛の妻を殺したか、言え!」


 「マックス、悪魔の言葉なんかに——」


 「死人は黙っていろ!」


 リンダの姿をした悪魔は、エレナを向けて口から黒い液体を吐きかけた。


 エレナに黒い影が纏いつき、全身が黒く染まっていく。


 「エレナ!」


 「マックス。私は、いつでも傍に……あなた……あの子を」


 エレナの黒い体を、朝の光が差し貫いて、徐々に透けて消えていく。

 その刹那、エレナの声だけが風の音のように、マックスの耳を掠めた。


 ——どんな現実も乗り越えられる。あの子を信じて————


 マックスは立ち上がった。悪魔の方を睨みつけ、震えながら真実を叫んだ。


 「エレナを撃ったのは、リンダだ……!」


 悪魔は手を叩いて飛び上がった。

 「ハハッ!当たりだ!とんでもない娘だぜ!母親殺し、罪の結晶!悪魔として言うが、その堕ちた魂は是が非でも欲しい!」


 マックスは悪魔が高笑いする中、小さな声で己をいさめた。

 「……私は大馬鹿者だ。あの子がそんな真似をするのはおかしい、それは分かっていた。しかし、どうしても受け止められなかった。何もかも全て夢ならば……心のどこかでそう願った。あの子の痕跡を探そうとしても見つけることができなかったのは、私自身が問題だったのだ。これでは、あの子を見捨てたも同然……」


 「ならば、ここで永遠に暮らすがいい!罪の意識が消えてなくなるまで!」


 「いいや。今更だが、あの子に会いたい」


 その時、マックスの上着のポケットから、騒々しく呼び鈴が鳴った。


 「……というわけだ、悪魔よ。私はそろそろ起きる」


 「貴様……独りだけの力で、この悪夢から解放されると思うな!」


 「無論、起こしてもらうつもりだ」

 マックスは携帯電話を取り出して、通話を始めた。


 「————起きろ!マックス、起きろってば!」


 「もちろんだ、兄さん」




 * * *




 少年マックスはカッと目を開いた。


 「おお、目を覚ました!」


 ベッドから上半身を起こすなり、子供の霊が動きを封じていた両親に向かって「破っ!」と手をかざした。

 鬼婆のような母親と、首だけの父親はスッと消え去った。


 「なんと、あっさりと!」


 「兄さんの悪夢は、子供っぽいからな」


 「なにをっ!」


 小さな兄弟たちがベッドの上で、もみくちゃに喧嘩をする横で、

 「マックスじいちゃん、来たね」と子供の霊が手を挙げて挨拶をした。


 「なんだ、喋ることができたのか」


 「ここは夢だもの。現実にいるぼくは、体から離れた時に声を失ったんだけど」


 それから、頭を振って、

 「とにかく!マックスじいちゃんの夢には悪魔が付きっきりで手が出せなかった。けれど、こっちの夢はまったく問題なかったから」


 「……おい」


 「何となく読めた。ここからなら、夢から覚めやすい、ということか」


 「そう、こっち来て、さっさと起きるよ」


 兄弟は子供の霊についていくと、玄関の扉の前。開いてみると、白い霧に包まれたイベントホールが広がっていた。


 


 


 

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