生きていて
「くそ、霧が深いな……」
エリックは、二人を無事に連れ帰るとジェイソンに約束したが、若さから来る自信以外は無く、ただ小舟を揺らして霧の湖を彷徨うのみであった。
「これでは、助けに行くどころか救助されることに……ん?」
エリックの視界に、
「マックスさんの小舟か?……いや」
その影は岸辺であった。
夕霧の中でぼんやりと、湖に落ちないための手すりが見える。桟橋からどのくらい離れたか分からないまま、エリックは湖の中央から大きく外れてしまった。
「やみくもに向かってもダメか。一度、桟橋まで戻る方が……いや、こうしている間にも二人が危ないんだ」
その時、手すりをひょいと飛び越えて、岸辺から近づいてくる人影が見えた。
「だ、誰だ!?……君は、まさか!」
「じいちゃんの気配なら分かる。僕なら連れて行けるけど……危険だよ?」
* * *
「さあ、どうする!飛び込んでリンダを救わないのか?」
悪魔の言葉に、マックスは為す術もなく立ちすくむ。
「ケイティがリンダの体に乗り移ったんだぞ!ってことはエレナを撃った真犯人も分かるってもんだ!さあ、来いよマキシマス!」
マックスはそれでも動かない。もはや
……この手から伸びる死の影がケイティの魂を喰らうというのなら、触れようとは思わない!だが、早くしなければ悪魔の奴、自ら湖に沈む気だ!
「ケイティ!頼む、目を覚ましてくれ!」
マックスは、ケイティに訴えかける。
「悪魔に負けるな!自分をしっかり持つんだ!」
……この状況で悪魔を祓うには、本人が打ち勝つより他に仕方が無い!だが、私の声があの子に届くかどうか。
「ハハッ……!泣き虫ケイティはリンダにしでかしたことで、嘆いてばかりさ。表に出てきたくないってよ!それに……」
悪魔は乗り移った体をガタガタと震わせて、
「そろそろ、体が冷えて動かなくなってきた……。残念だマキシマス。時間切れだなぁ」
「ケイティ……頑張ってくれ!」
その時だった。
「──ジーナ!」
霧の向こうから、エリックの叫ぶ声が響いた。
「待っていろ!」
エリックは湖に浮かぶケイティを見るや、小舟から飛び込み、泳いで彼女に近づいた。
「エリック!気をつけろ、今のケイティは──」
マックスの注意にも構わず、エリックはケイティに手を伸ばす。
悪魔が、一度だけマックスの方を向いて、にやりと笑った。そしてすぐに、
「ああ……エリック!助かったわ!」
と、エリックにしがみついた。
「ああ、もう大丈夫。小舟に上がろう。マックスさん!手を貸してくれ」
エリックは片腕でケイティを支えながら、立ち泳ぎでマックスの小舟に声をかける。
「ジーナ……君に会って欲しい人がいる。きっと君は驚くと──」
「ああ……駄目!脚が
エリックの頭を、暗い湖に沈めようとするかのように悪魔が手で押さえ込む。
「ジーナ!?慌てるな……落ち着……」
悪魔はエリックを連れて、湖に沈もうとしていた。
「エリック!」
水面が泡立ち、エリックのもがいている腕が現れる。が、顔が見えることは無い。
「くそ、エリックだけでも……!」
マックスが飛び込もうとするその時、
「待って!」
エリックの乗っていた小舟から、少年が立ち上がった。
「お前、止めてくれるな!」
「ダメだよ。マックスじいちゃんも僕も、悪魔に狙われてる!あいつ、近づいたら体を乗っ取るつもりだよ!」
「だが……どうする!?ここで見殺しにもできん!」
「エリックには悪魔のことを話してある……信じるんだ」
* * *
水の中、エリックは浮上しようと懸命にもがく。が、ケイティが体にしがみついて離れず、上手く水を蹴ることもかくこともできずに、沈んでいく。
意識が遠のく中、エリックは胸にケイティを抱いている。
このまま、沈んでしまうのも……と死を意識し始める。
不意に、ケイティが顔を上げ、エリックの目を見つめた。
笑っている。
不気味ではあった。しかし、それ以上にジーナを哀れに思った。
少年から悪魔のことは聞いていた。彼女が乗っ取られていると。
そして、悪魔を追い出すために、彼女の人格に声をかけ続けるように言われている。
エリックは、ただ自分の中から溢れてくる言葉を胸に、ケイティを強く抱きしめた。
……ジーナ、初めて会ったときのこと、覚えているかい?
オーディション会場。
君は小さな男の子を連れて、僕の目の前に現れた。
幼稚園が休みだから、家で独りにはしておけない、と言ってね。
僕はプロフィールに書かれた名前で、君を呼んだ。でも君は、グロリアだって。
なるほど、男の子を守りながら悪と戦う、気高い役柄。
僕はそんな君の姿に惚れたんだ、ジーナ。
そして二年前……
あの子がこのホテルで行方不明になって、君は自分を責めた。
もっとしっかりしていたら、きちんと守ってあげられたら……
君はあの日から自分の弱さを呪った。そうして、あの子のことを諦めて、その悲しみを乗り越えようとした。
……ごめんな、ジーナ。
僕がずっと傍にいたのに、君の支えになることができないでさ。
僕は、君が落ち着いていられる場所でありたかった。
君が強さとか弱さにこだわることなく、心から思い切り泣くことのできる場所になりたかった。
恋人失格だな、僕は。
最後にこれだけ……
君は強いひとだよ、間違いなく。
誰にも頼ろうとしないで人生を演じ続けてきたのだから。
でも、君を必要とするひとが、そして君が待ち望んだひとが上で待っている。
嘘偽りのない姿で会えることを、願っているひと。
だからそろそろ、君はジーナを降りなくちゃ……
……目を覚ませよ、ケイティ。
* * *
湖面から、ぶくぶくと泡が上った。
そして、次に大きな水飛沫とともに、黒い物体が飛び上がった。
「あれは……」
マックスは目を細めて、水面から出てきた者を見つめる。
「……悪魔か!」
黒々とした体と翼を持った、悪魔の本体であった。
──くそ、まさかケイティごときに弾き飛ばされるとは!
「もう……逃がさんぞ!」
マックスは小舟の縁に足をかける。
と、悪魔の後から二人の姿が浮かんできた。
「マックスじいちゃん!」
少年も嬉々として、二人の無事を認めた。
「お前、二人を頼めるか?」
少年は頷いた。
マックスも黙って頷き、了解した。
そして、マックスは悪魔目がけて小舟から飛んだ。
* * *
──マキシマス!自殺でもする気か?自殺者は地獄行きだぜ?
悪魔に体当たりした後、湖に落ちた二人。
マックスは悪魔をがっしりと両腕で掴んで離さない。
「望むところだ!」
──馬鹿が。これだけ密着すれば、お前を乗っ取ることができる……こんなに嬉しいことはないなぁ、さあ体を明け渡せ!
悪魔がマックスの体に入り込んだ。頭の中で、ハハハハッ……!と笑い声が響いた。
「喜んでくれてやる……魂ごとな。地獄でも何処へも、私を連れて行くが良い。ただし……」
マックスは呼吸を止めて、全身に力を入れた。
「……しばらくはこの湖の底で仲良く暮らしてもらうぞ!」
──貴様、まさか体を犠牲にして!
マックスは持てる霊力をすべて出し切り、己の体に悪魔を、かちりと封じ込めた。
——くそ!白い妖精の
「……お前はしつこいんでな。こうするほかはない。あとは緩やかに、この湖の底で沈めば、お前は地に上がることは無い」
——リンダに会えなくても良いのか!?会いたいとほざいていただろう!
会えなくても……生きてさえいてくれたら……それで………………——————————————————
——……マキシマスさん、このようなことになってしまい、非常に残念です。
ですが、せめて魂だけでも、地上にお返ししなければ。
悪魔の奴は、私の心臓にでも移しましょう。
なに、私も影を操る術者です。しっかりと封じておきますよ……。
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