湖畔のホテルで悪魔祓いを・3

 「イアソン神父のお隣は、第一章から第三章までご登場した、マキシマス・ブライトゥス氏!」


 マックスは拍手で迎えられた。だが、兄の紹介よりも、いささか控えめな拍手の量であった。


 「いやぁ、第三章でのお二人のローマ修行時代、大変愉快でした!さあさ、こちらへ!段差にご注意を!」


 カルロが両手を広げて誘う。台車とバッグの横に、椅子が二席置かれていた。ジェイソンはふらふらと舞台上に上がった。


 マックスだけは動かず、ようやく明るさに慣れた目で会場を眺めた。二人に注がれる好奇の視線、尊敬と侮蔑の入り混じる、見世物を眺めるような視線だ。その中に、先ほどのポーターの青年がいた。目が合うと、青年はニコリと笑ってお辞儀をした。


 「兄さん、この状況は……」


 ジェイソンの額を汗が流れる。しかし、すぐに我に返って、観客に向けて恭しく一礼。


 カルロが舞台袖に合図を出した。すかさず、あの青年が二人のためにマイクを持ち出してきた。ジェイソンは受け取り、マックスは片手を振って断った。


 「ええ、あー……、お集りの皆さん。どうもご紹介に与りました、イアソンです。この度は私のささやかなる催し物のためにご足労いただき、まことにありがとうございます」


 再び拍手。


 「それで、ちょっとだけお時間を。弟は旅をしてきたばかりで、リハーサルにも間に合いませんで……」


 カルロはにんまりと笑い、「ハハッ、了解ですダッコルド!では、その間に改めてプログラムの説明を……」


 二人は非常口に戻った。イベントホールから、カルロの哄笑が響いた。




 * * *




 「あの支配人と妙にべたべたしていると思ったが……!」


 「許せ弟よ。あんな幽霊退治アトラクションが用意されていようとは……」


 「第三章のローマ修行?ラテン人みたいに呼び合うのは、その設定を活かすためか!神父パードレイアソン!」


 「第一章の生誕地も……」


 「それに交霊術だと!?当然、兄さんが演じる——」


 「ああっ!」


 ジェイソンは苛立ちまぎれに叫んで、マックスの文句を遮ると、

 「とにかく聞いてくれ!こんな仕事を受けた理由を!……単刀直入に言う。私は現在、懲戒処分中なのだ。この依頼も教会には秘密にしてある。事の発端は——」




 ——遡ること半年前。ジェイソンの所属する教区で事故が起こった。皆から尊敬されているトーマス神父が階段から転げた。意識不明の大けがをしたのだ。


 他教区の意地悪な神父たちがそれに目を付けた。彼らは悪魔祓い師エクソシストを「悪魔に近づきすぎる」として良く思わなかった。それで、今回の事故を「ジェイソンとその弟が悪魔にそそのかされて起こした」と枢機卿に告げ口をした。


 枢機卿は教皇に近い存在。その一言の影響力は計り知れない。しかし枢機卿は、「トーマスの回復を待て。それまでは不問に付す」と冷静な判断を下した。


 にもかかわらず、ジェイソンの不運は続いた。最悪のタイミングで自伝本が売れたのだ。


 自伝本の発売は、トーマスの事故の直前であった。この事故の一件から、ジェイソンは本を店頭から回収して、販売を見送るべきかと悩んだ。が、「まあ、そんなに売れまい」と高をくくった。


 予想に反して本が売れると、「清貧の誓いに背いているぞ!」という怒声や「トーマスの怪我を宣伝として利用した!」というあらぬ嫌疑をかけられた。


 枢機卿は、今回ばかりは怒りを隠さなかった。「トーマスの身を案じない、己の欲に走った行動である!」とジェイソンに追放処分を下した。


 ジェイソンはあらゆる手を尽くして、本の印税を教会へ寄付することを条件に、枢機卿の右手に接吻、そして許しを得た。だが、あくまで追放から懲戒処分への減刑だった。


 悪魔祓いの仕事も当然、禁止に。ジェイソンはマックスの生活を案じた。


 そこに、カルロから仕事の依頼。幽霊退治と講演会のようなものを、と。




 「いいかマックス。我らは個人フリーで動くしかない。私だって交霊術イベントなんぞ嫌だ。しかし飯を食うためなのだ」


 「あの男カルロは後ろ暗い過去がある。調べたのか?」


 「カルロ・オンブラ氏は従軍していた過去を持つ。もちろんそれも、本人が望んだことではない。望まずして血に染まることはあるのだ、弟よ」


 「なんという恥知らずな!」


 そう叫んだマックスは、引き留めようとするジェイソンを振り切り、その場を足早に離れた。


 「売れない画家に戻る気か!?そのとしで!」


 マックスは振りかえらなかった。




 * * *




 部屋に戻ると、明かりも点けないまま、荷物を旅行カバンに詰めて帰り支度を始めた。ものの五分で全ての準備を終えると、フェルト帽を被り、ドアノブに手をかけた。


 窓辺を見つめた。気配があったのだ。ふっとカーテンが揺れて、子供の霊が現れた。


 「悪いが、お前の相手をしてやれん」


 子供の霊は首を横に振った。そして、相変わらず、窓に向けて腕を伸ばしている。


 ……なんだと言うのだ。


 マックスは窓辺に立ち、湖を見つめた。白いもやのようなものが、湖上を揺らめいている。


 しかし、それが影なのか、ただの夜霧なのか、判別がつかない。


 そのとき、子供の霊とは別の気配を感じた。部屋の中で何かが自分を見つめている。


 化粧台ドレッサーの鏡に、青白い顔が浮かび上がっていた。


 マックスは鏡を覗いた。そこに、自分自身が映り込んでいた。幾分か若返っている。四十代くらいの頃の姿。冷めたような視線で老いた自分マックスを見つめている。


 ——また、大事なものを見殺しにするのか。


 鏡の向こうの自分が呟いた。


 ——あの時のように。


 「うるさい!黙れ!」


 ——お前は、大事なものから離れた。死相が見えていたにも関わらず、隣人を頼り、仕事に出かけた。


 「あの時、死の影は私を狙っていた!私は離れる必要があった……巻き込むわけにはいかなかった!」


 ——それでも、お前は護身用の拳銃をエレナに渡した。それでエレナが……。


 「黙れ!」


 ——リンダがいつも不満を言った、あの「棺桶コフィン」みたいなソファの上で……。


 「やめてくれ!」


 思わず、聖水の小瓶を投げつけた。パキン、と乾いた音を立てて化粧台の鏡が割れた。


 子供の霊が寄り添うように傍に立ち、マックスの袖を引いた。


 「なんだ!私は帰り……」


 そう言いながら、再び湖を見た。先ほどの白い靄が湖を覆うように広がっていた。さらには、沿道までせり上がり、灯りの下、一列になってホテルに向かっているようにも見えた。


 列の先頭を、白いころものような影が、ひらひらと動いていた。


 「あれは?白い……」


 白い妖精ヴァイス・フィ


 その時、マックスに強烈な悪寒が走った。

 ——あの白いのは、危険だ。触れたものを連れて行ってしまう!


 「……兄さんが危ない!」

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