『白い妖精』伝説

 全身を白いころもで覆った影。かつて人であったかどうかも知れないその影が、霧のような死霊の群れを引き連れて、イベントホールになだれ込む。


 舞台の上、ジェイソンが寝かされている。死霊の中から白い影が前に出て、兄の胸に手を置く。手が胸にめり込み、真っ赤な心臓を抜き出す。心臓はまだ生きていると勘違いして、鼓動を続けている。


 ハハハハ……ハハッハハッ……


 どこからか、カルロの哄笑が響き渡る……。



 マックスが感じ取った幻影は、兄の死の場面だった。




 * * *




 部屋を飛び出たマックスの前を、黒い影が幾人も通り過ぎた。皆、湖から漂う気配を恐れて逃げ道を探している様子。


 エレベーター前に出る。そこにも、乗り込もうとする影の群れ。


 「どれほどの影が、このホテルに潜んでいたというのか!聖水は……」

 懐を探るも、先ほど鏡に投げつけた時のことを思い出した。蓋がとれて、全てこぼれてしまったのだ。


  エレベーターが音を立てて開いた。中は階下から逃げてきた影で溢れかえっている。影のかたまりが泥のように押し出されてきた。


 そして、上へ逃げようする者と下へ逃げようする者がひしめき合い、エレベーターの扉はガタガタと、閉まる気配がない。


 その中から、影の一人がマックスに気が付いた。哀しげな目を向けている。マックスが見つめ返すと、首を横に振った。


 エレベーターは使えない……マックスは仕方なく階段から一階ロビーまで降りた。




 * * *




 ロビーは停電になったかのように薄暗く、安全灯が僅かに足下を照らしていた。白衣の影はまだ見えないが、周囲はすでに白く霞んでいる。


 かすみの中で、幾つもの足が歩き回っている。死霊たちは、バックヤードへの扉を探っているようだった。


 「見つかると厄介だな、他に行く手はないものか……」


 突如、煙のような濃霧がエントランスから流れ込んできた。そして、扉がゆっくりと開いて、白衣を頭から被った影がひらひらと身を翻しながら侵入した。


 「見たところ、霧のかかった領域があの白い影の行動範囲らしい。風でも起こして、白い霧を払ってしまえば話は早いが……」


 マックスは階段の上から、イベントホールに行くために周囲を見渡した。が、

 「もはやロビーは危険地帯、そして他に道はなし。一か八か、走り抜けるより仕方がない」


 マックスが意を決して向かおうとすると、

 「もし……、お客様」


 マックスの背後から男の声。黒い影だ。ゆっくりと近づいてくる。


 「貴方ような霊感のある方が、その霧に触れると厄介です。魂を取られますぞ。遠回りになりますが、かすみのかからぬ道を知っております」


 怪訝な表情のマックスに、その影は、

 「イベントホールに向かいたいのでしょう?」


 「あなたは……」


 「申し遅れました。私、副支配人を仰せつかっていた、ルシールと申します」


 黒い影は、自己紹介と共にはっきりと姿を現した。40代後半くらいの、細身で身長の高い、きっちりとしたスーツ姿。


 「ポーターからお聞きしたかと思われるが、私はカルロに責任を問われて首を切られたのです。文字通りにね……」


 「ポーターの話では、ほんの数週間前に、クローク・ルームの件で……」


 「ええ、私は無職になったと同時に殺されました。死後、一週間と言ったところですかな。まだ誰も私の死に気付きませんが」


 マックスは警戒しつつも、道案内を頼んだ。




 * * *




 ルシールの背中を追って、二階の非常階段から一階に降り、カフェ・レストランに向かった。


 「この店は我がホテルの名物でして。テラス席から湖を一望できるのです。清々しい朝に、モーニングなどはいかがでしょうか……いや失礼、ホテルを紹介するのが仕事だったもので。そこのキッチンスペースから、バックヤードにつながっています」


 マックスは気になったことを尋ねた。


 「あの白衣の影を知っているか?」


 「あれが何なのか、実際のところは何も分かりません。しかし、この地には『白い妖精』伝説が語り継がれております————



 遠き国より、白衣の旅人来たり。


 その身を衣に覆へども、美しき乙女なること、知れたり。


 王、乙女を見初みそめ、妻にせんと欲す。


 乙女、既に契りを交わせし者あり。王怒りて、乙女を捕え、かの恋人湖に沈めぬ。


 乙女うち泣きて、城を抜けで、恋人に会わんとて湖に我が身を投げぬ。


 王、あはれと思わん。己が醜き心を呪ふ。幾多もの船だして、乙女のむくろ探せども、深き霧より、迷いにけり。


 王と船団、霧中に消ゆ。還らざりき。


 霧晴れし後、一隻の小舟湖畔に流れ着きぬ。乙女とその恋人、身を寄せつつ息絶え果てにけり。


  

 ……——やがて、王を消したのはその白い乙女の仕業であるとされました。乙女はやがて妖精として祀られ、湖に生贄を捧げると願いが届く、という恐ろしい伝説となったのです。カルロも、白い妖精伝説にすがるほどに追い詰められていたのではないでしょうか。ここ一年、事務室で誰かと言い争いをしていましたから」


 話ながら歩いていると、クローク・ルームに続く通路に出た。


 「ここを辿って行けば、クローク・ルームに到着します。非常口の扉を開ければ、イベントホールです。カルロにはくれぐれもご注意を。やつは己の影を伸ばして、蜘蛛の糸のように張り巡らしております。その糸で、私たちを操り、使役しておったのです」


 「奴はやはり術使いだったか。台車を乗せたバッグを引っ張っていたのも、奴の仕業とみえる」


 「バッグのことは我々にも分かりません。それに触れるな、とカルロに命じられていたので」


 「……そうか、世話になった」


 「いいえ、こちらこそ感謝申し上げます。私を含めた、六人の影を解放してくれましたから。それに……」


 ルシールは昔を懐かしむように微笑んだ。


 「お客様をご案内して、ホテルで仕事を始めた頃を思い出しました。あの頃は良かった。気の合う仲間と一緒に、楽しく仕事が出来た。副支配人なんて柄ではなかったのですな……、私はいつの間にか孤独になってしまった」


 「もう、間に合わないのか?」


 「お戯れを……」


 フッと笑って、ルシールの影は消えた。


 影を見送った後、マックスは視線を通路の奥へと向けた。


 「無事でいてくれ、兄さん」

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