湖畔のホテルで悪魔祓いを・2
「あれは?」
ジェイソンが目を丸くして、台車とバッグを見つめた。怖い話が苦手なために、耳栓をして聞き逃していたのだった。
「
「兄さん、聞いてなかったのか」
「なにをマッ……マキシマス。しかと聞いとったわ。確認したまでよ」
ジェイソンはマックスに小声で、
「で、なんだ、あれは?」
「噂の、子供の霊だとは思うが……」
その時、キリキリ……と車輪が音を立てて、運搬台車はひとりでに動き始めた。
「う、動いた!さあ
運搬台車は三人を誘うようにゆっくりと、通路の奥へと向かっていった。照明がちかちかと明滅して、やがて消えた。バックヤードの通路は真っ暗闇に包まれた。
ジェイソンは目の前の出来事から目をそらした。杖を握る右手が小刻みに震えて、左手は胸の銀の十字架を握りしめている。
「兄さん。進もう」
「暗い……マキシマス、何か見えるか?」
マックスはぐっと呼吸を止めた。影の様子がぼんやりと見えてきた。暗闇に紛れているが、すでに六体ほど、通路の中で
しかし、運搬台車を動かしている霊の姿は見えないままだった。
マックスには、そこが気がかりだった。普通、死んだ者の怨念や生きている者の思念といったものは、影として形を残すものだ。だが、目の前で台車を動かす存在はまったくその気配が無い。
——影の痕跡を消す。この特徴は、術使いの仕業か、あるいは悪魔が乗り移っているか。
だが、ポーターの証言では、ここに現れた霊は先ほど自分の部屋に現れた者と一致している。
となれば、やはり何処かに潜んでいるはずである。
「通路にはたくさんの影だ。が、肝心の台車を動かしているやつは見えない。ひょっとしたらバッグの中に隠れているかもしれん。先ずはあのバッグを取ろう」
「よし……よし、分かった!肝試し気分もここまで……」
ジェイソンは額の汗を拭いつつ、自分を奮い立たせるように返事をした。マックスはそんなジェイソンの肩に手を置き、そっと耳打ちをする。
「青年が見ている。
「観客は一人、やりがいにかけるわ」
ジェイソンは準備を始めた。紫のストールを首にかけ、十字架を強く握りしめて、早口に、神への信仰を誓った。
ジェイソンが支度をするたびに、マックスはいつも幼少時代の記憶を思い出す。兄が、影に怯える
……——なんだ、マックス。また目に見えない奴に驚かされたって?そういう時はな、目を閉じればいいんだよ。そんで、この世に恐ろしいものなんかいませんって唱えるんだ。そうすれば心に勇気が湧くってよ。神父様の受け売りだけど——……
「いつもの、唱えるぞ兄さん」
「よろしく頼む、弟よ」
暗きもの、恐ろしきものぞ、げに存せず
森羅万象、神の創りしたもうがゆえ
迷える時ぞ、神の御言葉のみ、その心に聞くべし
耳のみを傾けよ
* * *
ジェイソンは目を閉じて勇気を得ると、大股に踏み出した。その足は堂々と真っすぐに、キリキリ動く台車に向かっている。
マックスは聖水を持って、兄の歩む道を注意深く見つめた。
「影が忍び寄ってくる。祓うぞ!」
「承知した!」
暗闇の中から、ひゅっと、黒い腕が伸びてきた。
マックスが叫んだ。「左から手!」
ジェイソンは目を閉じたまま、左側に十字架をかざした。
「光あれっ!」
マックスはまたも叫ぶ。「次は右だ、頭!」
「祝福を!」
「まだまだ……天井を足が渡ってくる!」
ジェイソンは右手の杖をかかげた。
「魔の者ども!去るがよい!」
ジェイソンの勢いに、ポーターの青年は言葉も出なかった。しかし、実際に祓っているのは、聖水を振り撒くマックスであった。
このように回りくどい方法を取るのは、単純な理由があった。悪魔祓いは教皇庁の認可を得る者のみが行える。そして、マックスは愛想がないために認可を得られなかったのだ。表向き、ジェイソンが
二人が奮闘する間に、台車は通路の右端に停まった。近くの扉が「ぎぃ……」と音を立てて開いた。台車はひとりでに入って行った。
「あれは……クローク・ルームだな」
「怖くて目が開けられん。道案内は任せる、弟よ」
マックスは聖水を撒きながら影を
二人の姿を眺めていた青年は、
「こ、これが……本物なのか」
そう呟くと、ひとりロビーへ駆け戻っていった。
* * *
クローク・ルームには、スーツケースや大きなバッグが整然と並べられていた。
部屋の奥に非常口の扉があった。そして、扉の上で非常灯がぼんやりと緑色に
ジェイソンは鼻を動かした。
「ここは寒いな。おまけに、倉庫みたいに湿気臭い」
マックスは目を凝らす。
「あの台車は……非常口のすぐ近くだ」
マックスがそう言った途端、非常口の扉が開いた。
ハハハハ……ハハッ……
男の笑い声が扉の向こうから響いてきた。
その笑い声に合わせるように、台車はガタガタと扉を
「また、手の届かない距離まで移動した。次はあの非常口の向こうだ」
「罠かもしれんな。何か見えるか?」
マックスは呼吸を止めた。非常口の向こうに、多くの息遣いが聞こえる。まるで、自分たちのことを待ちかねているような気配。
「……影ではないが、大勢の人間か?どのみち、嫌な予感しかしない」
「しかし、進むしかなかろう」
ジェイソンが、目を閉じたまま、歩を進めた。
* * *
暗闇、静寂。だが、二人の立てる靴音が高く響いた。そこが広い空間だということが分かった。
そして、二人を狙うような息遣いが聞こえてきた。
「おい、マッ……マキシマス。我々は何処に出た?」
「……どうやら、イベントホールのようだ。ん?」
マックスは台車とバッグを見つけた。それは舞台に置かれていた。
「これ見よがしの舞台上、なんとも怪しい……」
その時、天井のシャンデリアが一斉に
その明かりと共に、多くの人々の歓声が上がった。
マックスが目を
二人のすぐ近くに、支配人のカルロが立っていた。
「皆さま!お待ちかねの主役が到着いたしました。さあさ皆さま、盛大な拍手でお迎えください!こちらが、
割れるような拍手と指笛の中、マックスは信じられないものを認めた。それは大きな横断幕に印してあった。
『ベストセラー作家、イアソン・ブライトゥス サイン会&降霊術イベント』
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