湖畔のホテルで悪魔祓いを・2

 「あれは?」


 ジェイソンが目を丸くして、台車とバッグを見つめた。怖い話が苦手なために、耳栓をして聞き逃していたのだった。


 「神父パードレ!あ、あれです!私が最後に運んだ……」


 「兄さん、聞いてなかったのか」


 「なにをマッ……マキシマス。しかと聞いとったわ。確認したまでよ」


 ジェイソンはマックスに小声で、

 「で、なんだ、あれは?」


 「噂の、子供の霊だとは思うが……」


 その時、キリキリ……と車輪が音を立てて、運搬台車はひとりでに動き始めた。


 「う、動いた!さあ神父パードレ!除霊を!」と青年は頭を抱えてうずくまった。


 運搬台車は三人を誘うようにゆっくりと、通路の奥へと向かっていった。照明がちかちかと明滅して、やがて消えた。バックヤードの通路は真っ暗闇に包まれた。


 ジェイソンは目の前の出来事から目をそらした。杖を握る右手が小刻みに震えて、左手は胸の銀の十字架を握りしめている。


 「兄さん。進もう」


 「暗い……マキシマス、何か見えるか?」


 マックスはぐっと呼吸を止めた。影の様子がぼんやりと見えてきた。暗闇に紛れているが、すでに六体ほど、通路の中で揺蕩たゆたっている。男とも女ともつかない、おぼろげで、不確かな存在。


 しかし、運搬台車を動かしている霊の姿は見えないままだった。


 マックスには、そこが気がかりだった。普通、死んだ者の怨念や生きている者の思念といったものは、影として形を残すものだ。だが、目の前で台車を動かす存在はまったくその気配が無い。


 ——影の痕跡を消す。この特徴は、術使いの仕業か、あるいは悪魔が乗り移っているか。


だが、ポーターの証言では、ここに現れた霊は先ほど自分の部屋に現れた者と一致している。灰色グレーの服装。七、八歳くらい。男の子。


 となれば、やはり何処かに潜んでいるはずである。


 「通路にはたくさんの影だ。が、肝心の台車を動かしているやつは見えない。ひょっとしたらバッグの中に隠れているかもしれん。先ずはあのバッグを取ろう」


  「よし……よし、分かった!肝試し気分もここまで……」


 ジェイソンは額の汗を拭いつつ、自分を奮い立たせるように返事をした。マックスはそんなジェイソンの肩に手を置き、そっと耳打ちをする。


 「青年が見ている。演技パフォーマンス、しっかりな」


 「観客は一人、やりがいにかけるわ」


 ジェイソンは準備を始めた。紫のストールを首にかけ、十字架を強く握りしめて、早口に、神への信仰を誓った。


 ジェイソンが支度をするたびに、マックスはいつも幼少時代の記憶を思い出す。兄が、影に怯えるじぶんにおまじないの言葉をかけてくれた記憶。


 ……——なんだ、マックス。また目に見えない奴に驚かされたって?そういう時はな、目を閉じればいいんだよ。そんで、この世に恐ろしいものなんかいませんって唱えるんだ。そうすれば心に勇気が湧くってよ。神父様の受け売りだけど——……


 「いつもの、唱えるぞ兄さん」


 「よろしく頼む、弟よ」



 暗きもの、恐ろしきものぞ、げに存せず


 森羅万象、神の創りしたもうがゆえ

 

 迷える時ぞ、神の御言葉のみ、その心に聞くべし


 耳のみを傾けよ


 しこうして、汝……


 瞳を閉じよクローズ・ユア・アイズ




 * * *




 ジェイソンは目を閉じて勇気を得ると、大股に踏み出した。その足は堂々と真っすぐに、キリキリ動く台車に向かっている。


 マックスは聖水を持って、兄の歩む道を注意深く見つめた。


 「影が忍び寄ってくる。祓うぞ!」


 「承知した!」


 暗闇の中から、ひゅっと、黒い腕が伸びてきた。


 マックスが叫んだ。「左から手!」


 ジェイソンは目を閉じたまま、左側に十字架をかざした。


 「光あれっ!」


 マックスはまたも叫ぶ。「次は右だ、頭!」


 「祝福を!」


 「まだまだ……天井を足が渡ってくる!」


 ジェイソンは右手の杖をかかげた。

 「魔の者ども!去るがよい!」


 ジェイソンの勢いに、ポーターの青年は言葉も出なかった。しかし、実際に祓っているのは、聖水を振り撒くマックスであった。


 このように回りくどい方法を取るのは、単純な理由があった。悪魔祓いは教皇庁の認可を得る者のみが行える。そして、マックスは愛想がないために認可を得られなかったのだ。表向き、ジェイソンが悪魔祓い師エクソシストを名乗ることで活動可能となったのである。


 二人が奮闘する間に、台車は通路の右端に停まった。近くの扉が「ぎぃ……」と音を立てて開いた。台車はひとりでに入って行った。


 「あれは……クローク・ルームだな」


 「怖くて目が開けられん。道案内は任せる、弟よ」


 マックスは聖水を撒きながら影を退しりぞけ、ジェイソンを連れてクローク・ルームへと入った。


 二人の姿を眺めていた青年は、


 「こ、これが……本物なのか」


 そう呟くと、ひとりロビーへ駆け戻っていった。




 * * *



 

 クローク・ルームには、スーツケースや大きなバッグが整然と並べられていた。


 部屋の奥に非常口の扉があった。そして、扉の上で非常灯がぼんやりと緑色にともり、荷物を照らしている。


 ジェイソンは鼻を動かした。

 「ここは寒いな。おまけに、倉庫みたいに湿気臭い」


 マックスは目を凝らす。

 「あの台車は……非常口のすぐ近くだ」


 マックスがそう言った途端、非常口の扉が開いた。


 ハハハハ……ハハッ……


 男の笑い声が扉の向こうから響いてきた。


 その笑い声に合わせるように、台車はガタガタと扉をくぐっていった。


 「また、手の届かない距離まで移動した。次はあの非常口の向こうだ」


 「罠かもしれんな。何か見えるか?」


 マックスは呼吸を止めた。非常口の向こうに、多くの息遣いが聞こえる。まるで、自分たちのことを待ちかねているような気配。


 「……影ではないが、大勢の人間か?どのみち、嫌な予感しかしない」


 「しかし、進むしかなかろう」


 ジェイソンが、目を閉じたまま、歩を進めた。




 * * *




 暗闇、静寂。だが、二人の立てる靴音が高く響いた。そこが広い空間だということが分かった。


 そして、二人を狙うような息遣いが聞こえてきた。


 「おい、マッ……マキシマス。我々は何処に出た?」


 「……どうやら、イベントホールのようだ。ん?」


 マックスは台車とバッグを見つけた。それは舞台に置かれていた。


 「これ見よがしの舞台上、なんとも怪しい……」


 その時、天井のシャンデリアが一斉にいた。まばゆい光が二人を襲った。


 その明かりと共に、多くの人々の歓声が上がった。


 マックスが目をくらませた。ジェイソンが明かりに気付いてゆっくりと眼を開ける。


 二人のすぐ近くに、支配人のカルロが立っていた。


 「皆さま!お待ちかねの主役が到着いたしました。さあさ皆さま、盛大な拍手でお迎えください!こちらが、悪魔祓い師エクソシストにして『さがれ悪魔よ!~我が半生~』の著者、神父パードレイアソン・ブライトゥス!」


 割れるような拍手と指笛の中、マックスは信じられないものを認めた。それは大きな横断幕に印してあった。


 『ベストセラー作家、イアソン・ブライトゥス サイン会&降霊術イベント』

 



 

 


 

 


 

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