湖畔のホテル・ロビーにて

 200マイルの道のりを、愛車のフォード・フィエスタとともに半日かけて走り、夕方頃にホテルに到着した。


 深い森林と湖の傍に建つホテルは、遠目から見れば威厳に満ちたものだったが、近づくにつれて古臭さが目立った。かつては純白であったと思われる壁や柱は日に焼けて黄身がかり、階段の手すりは鍍金めっきが剥がれて鈍色にびいろ、ロビーに釣り下がるシャンデリアも、埃とすすで心もとない明かりだ。

 

 しかし、マックスはホテルのさびれた風貌を、思いのほか気に入った。静かな生活を好む者にとって丁度よい年季の入り方だと思った。

 

 フロントで名前を告げる。いつものように兄が手配をしているはずだ。しかし、フロント係は頭を抱えて、「申し訳ございません。マックス・ブライト様の名前ではご予約を承っておりません」


 はて、困ったな……と辺りを見回す。だが、タイミングよく扉の向こうから馴染みの気配が漂ってきた。ドアマンが扉を開けて、エントランスを通る客にお辞儀をしている。その中から黒衣キャソック姿の老年の男が現れた。男は杖をつきながら一直線にマックスのもとに向かってくる。


 「おお、マキシマス!」


 威勢のいい声がフロントに響いた。無精ひげに丸いサングラスをかけ、胸元に銀の十字架ネックレス、黒衣キャソックに身を包んだ男は、マックスの兄で著名な悪魔祓い師エクソシスト、ジェイソン・ブライトであった。杖を持たない方の腕を大きく広げて近づいてきた。彼の隣には、コンシュルジュらしき人物が付いている。


 「待ちくたびれたぞ、マキシマス!」


 仰々しく名を呼ぶと、ジェイソンは男らしい力強さで弟を抱きしめた。そして、マックスの耳元に顔を近づけて「ここでは私をイアソンさんと呼べ。分かったな?」と小さな声で忠告をした。


 なぜ名前を古典劇の登場人物みたいに呼ぶのか、マックスは疑問に思ったが、何事も雰囲気重視の兄のこと、ここではそれが大事らしいと大人しく従った。そして、改めてフロント係に「マキシマスだ」と告げた。



 * * *



 「神父パードレ、こちらは?」


 マックスが鍵を受け取った後、ジェイソンの隣で作り笑いを浮かべていたコンシュルジュらしき人物が尋ねた。中肉中背で、少ない髪をジェルでしっかり固めた、陽気な笑顔の男だ。


 「おっと、これは失礼。こいつは我が弟にして、補助役のマキシマスだ。一緒にローマで修行したゆえ、この男も立派に勤めを果たしますぞ。かつては助祭でしたが……、今は還俗げんぞくしています。弟よ、こちらは支配人のオンブラ氏だ」


 ローマ?修行?還俗?とマックスは頭にハテナを浮かべる。


 「カルロ・オンブラです。ようこそマキシマスさん!この度は当ホテル『白い妖精ヴァイス・フィ』に遠路はるばる……」


 そう言いながらカルロは両手で名刺を差し出した。マックスは名刺を受け取りつつ、彼の両手を一瞥した。そして、カルロの挨拶の最中に、


 「それでどの部屋にのです?オンブラさん」


 いきなり質問を挟んだ。カルロは出かかった文言を飲み込んで、言葉を詰まらせた。ジェイソンがため息をつきながら、「弟は職人気質でね。少し固いところがあるが、一流のあかしだと考えてください」


 カルロは「なるほど、そうでしたか!」とわざとらしく手を打ち、「詳しい内容は後ほど、コンシュルジュとの目撃者であるポーターとともに、現場へお連れしますよ」


 すると、ジェイソンが「ポーターだけで結構。午前中に下調べを済ませたのでな。詳細は私の口から伝えよう」


 「さようで。それでは一先ず、お部屋の方へ案内させます。少々古ぼけたホテルですが、景色は一級品です!もし私に御用の際は、フロント係までお申し付を」


 それでは!とオンブラはきっちりお辞儀をしてその場を去った。そしてロビーにやってくる他の上客を、にこやかに迎えていた。


 支配人をしばらく目で追いながら、マックスは思った。


 兄さんと気が合いそうだ。それにしてもあの男の手、真っ黒な影にまみれていた。過去に、人を殺しているな……。

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