第3話

 現れた姫君を前にざわめきが広がっていく。

 艶やかな黒く長い髪と漆黒のドレス。

 黒いベールで隠された顔、見えるのは鮮やかな赤い唇。本当に僕と同じ顔なのか? わかるのは僕と同じ背の高さ。


 姫君のそばで、黒豹が威嚇するように住人達を見回している。誰かが息を飲む。それは姫君の凛とした姿と、黒で統一された来訪者達の独特な空気に圧倒されてのことだろう。


「何してるの、螺子」


 ルイスが囁いた。


「姫君の目の前に」


 無理だよそんなこと。

 姫君を見る誰もが動けずにいる。僕を姫君に会わせよう、そう騒いだ誰もが立ち尽くしてるじゃないか。

 僕の存在を忘れたかのように。


「出来ないよ……ルイス」


 僕の呟きにルイスは顔をこわばらせる。


「みんな動けないじゃないか。僕ひとりが」

「しょうがないわね、私が一緒なら大丈夫?」


 一緒って……ルイス?


 問いかけるより早く動きだしたルイス。

 僕の手を引きながら足早に姫君へと近づいていく。身構える男達と唸り声を上げる黒豹。男達が武器を持っていたら、黒豹に襲われでもしたら。


「危ない。やめるんだ、ル……」

「姫君‼︎」


 怯む様子もなくルイスは叫んだ。


「ご覧ください、哀れなこの少年を。彼に……どうかご加護を‼︎」


 力任せに僕の背中を押したルイス。抗えず、よろめきながら姫君に近づいた。

 赤い唇が動く。


「これは……驚いた」


 耳に響く呟き。

 女のものとは思えない、低く涼やかな声だ。

 僕の聞き違いなのか?


「下がれ、無礼者っ‼︎」


 男の声が僕を弾く。

 向けられたのは僕じゃない、ルイスだ。

 ルイスが握りしめた姫君の手。

 何してるんだ、むやみに近づいたら。住人達のざわめきと威嚇の声を上げる黒豹。


「何をしている、手を放せっ‼︎」


 ルイスを退けようと動いた男。

 殴られでもしたら。嫌だ……僕のせいでルイスが傷つくなんて‼︎


 バシッ‼︎


 鳴り響く音と地面に倒れ込んだ男。

 空へ伸ばされたような姫君の手。

 信じられないことが起きた。今の、ルイスを助けてくれたのか? 一撃で男を叩き伏せた。

 僕を見たままの姫君。

 こいつ、本当に女なのか?


 僕を見るなり目を見開いた別の男。

 化け物を見るような目つき、これが意味するのはルイスが言うとおり。


「紗羅様、この者は」


 男が戸惑う一方で、姫君は動じる様子もなく僕を見るままだ。肝の座り方といい、僕が考える姫の姿とは違う。姫という存在は、儚さと脆さを秘めた可憐なものなんじゃ。


「静まれ、今ここに紗羅様が立つ」


 ざわめきを止めようと声を張り上げた男。

 互いに顔を見合わせながら、口を閉ざし沈黙を呼び寄せる住人達。姫君を見上げる黒豹と、惚けたように姫君を見るルイス。


「今日と言う日に感謝せよ。紗羅様が慈愛を持って訪れた。さぁ、紗羅様に祈りをささげ感謝するがいい。紗羅様と共にある世界を、富と幸せに包まれる日々に無償の喜びを」


 あたりを見回すと、住人達が膝をつき祈りだした姿が見える。

 誰もが目を閉じて。

 立っているのは僕とルイス、姫君と男達だけだ。倒れたままの男を除いては。


 しなやかな指が顔に流れずらされたベール。見えた顔……本当に、僕と同じじゃないか。嘘みたいだ、目の色も同じだなんて……深い、紫色の。

 こんなこと偶然にもありはしない。

 まるで、もうひとりの人間がいるような。


「『彼にご加護を』と言った」


 姫君がルイスに話しかける。

 住民には届かない囁き。女とは思えない声、聞き違いじゃなかったんだ。


「彼は何者か、心優しき者よ」

「螺子、私の母が……買い取った少年です」

「住んでいた場所は」

「フルームという田舎町。彼の家族は、両親と妹がひとり。他のことは、私にはわかりません」


 姫君がうなづき、再びベールで隠された顔。


「心優しき者、名は?」

「ルイスといいます、母とふたり暮らし、家は酒場を営んでいます」


 ルイスってば、聞かれたの名前だけじゃないか。僕のためって言うけど、どれだけ人がいいんだよ。


「私は紗羅、これからはそう呼べばいい」

「そっそんなっ‼︎ 姫君を気安く」

「いいと言っている」


 淡々と響く姫君の声。


「ルイス、今すぐここを立ち去れ。螺子を連れて」

「そんな、私は螺子を」

「聞こえなかったか? と言った」

「それじゃあ」


 何かを察したようにルイスは呟いた。

 紗羅の手に握られたのは……紙屑? 


「姫……紗羅様、あなたを信じます。どうか螺子にご加護を。行きましょう、螺子」


 僕の手を取り歩きだしたルイス。

 忘れてるのか?

 僕を見張る役割りを。


「ルイス、僕から離れなきゃ」

「どうして?」

「ダリアとの約束じゃないか。遠くから僕を」

「大丈夫よ、広場を出るまでは。住人達は皆、祈りを捧げてるじゃない。紗羅様を前に目を閉じて」


 振り向き見える紗羅と男達。

 風が揺らすベールと長い髪。


「なんだか夢を見てるみたい。もうひとりの螺子に会ったような」

「僕は気味が悪いよ。目の色も背の高さも同じだなんて。……ルイスが無事でよかった。紗羅の手を握った時はどうなるかと思った」

「女は度胸よ。おかげで渡せたわ、連絡先を」


 紗羅の手を握ったあの時、ルイスがやったこと。

 握られていた紙屑、あの中に連絡先が?


「ルイス、大丈夫なのか? 下手をすればダリアが」


 紗羅を利用して金儲けを考える。

 それに……僕がどうなるっていうんだ? 連絡先を渡しただけで何が変わる訳じゃないのに。


「精一杯の賭けよ。どんなことになっても私が責任を取るわ。少なくとも、お母さんのことは大丈夫だと思う」

「どうして?」

「話しながら思ったのよ、紗羅様は強くて賢い方だと。お母さんが何を考えようと、紗羅様にあしらわれるだけ」


 ルイスが感じたのは賢さか。

 僕には違和感しか感じられない。低い声とあの口調、男を一撃で叩き伏せた力強さ。どう考えても女だとは思えない。


「螺子は何故だと思う? 紗羅様がすぐに私達を離れさせたのか」

「さぁ。考えてないよ、そんなこと」

「螺子に興味を持ってくれたのよ。でも住民達と祈り合う場所で螺子にだけ構ってはいられない。紗羅様は来てくれるわ……きっと、螺子に会うために」

「紗羅がダリアの酒場みせに? そんなこと城の誰が許してくれるんだ?」

「紗羅様が嘘をつくように見える? 私を助けてくれたじゃない」

「それは……そうだけど」


 紗羅が言った『これから』。

 単純に考えれば僕とルイスに関わってくるということ。だけど信じられるか? 姫君が素性を知らない人間に関わるなんて。僕と同じ顔をしている……それだけの理由で。


 バシッ‼︎


 男を叩き伏せた残響が響く。

 振り向いて見えるのは、紗羅を囲う住人達。


「そろそろ離れるわね。広場を出たら知らないふりを始めなきゃ。螺子、お金が集まってるなら無理をしなくていいのよ」

「ありがとうルイス。帰るにはまだ早いかな、もう少し稼ごうと思う」

「そう」


 帰れば閉じ込められる。

 空を見ることがひとつだけの自由、それだけが許されるひと時。少しでも長く外を歩いていたい。


 見上げる空の色。

 それは夢の中、砂礫世界にあるものと同じだ。








 次章〈新月の邂逅〉

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