微睡みの新月、遥かなる抱擁

月野璃子

偽りの物乞いと漆黒の奇妙な姫君

第1話

 僕はまたここにいる。

 無限に続く砂礫世界。


 空の下にあるのは喜びも絶望もない終わりゆく時の流れ。


 人が死に絶え、何もかもが消えた世界は




 ……こんなにも綺麗なものなのか。




「……。……ッ‼︎」


 誰かが僕を呼ぶ。

 聞こえないふりをしよう。


 愛する者がいればそれでいい。

 想い、想われながら壊れゆく世界で共に果てゆく。

 愛する者の温もりを刻みつけて。




「……ッ‼︎ 起きな螺子ネジッ‼︎ 仕事だ‼︎」


 シーツを剥がされ、僕を嫌でも目覚めさせるやかましさ。それが告げるのは夢の終わりと現実の始まり。


「広場に人が集まってる。金儲けに打ってつけだ、早く支度しなっ‼︎」


 ダリアのけたたましい声が響く。


 目を向け見えるのは、欲深いダリアの笑みだ。

 肉付きがいい体が纏う派手な服とけばけばしい化粧。首にかけられた気品とはほど遠い金の首飾り。金儲けにしか興味がない中年の女。


 僕に差し出したボロボロの服。

 演じるのは物乞いだ。


「早くするんだよっ‼︎ あんなに人がいるなんて滅多にないことなんだ。失敗したら、今日の食事は無しだからね」


 豪勢なダリアの食事とは違い、僕に与えられるものは貧相なものだ。パンとミルクと野菜スープ。ダリアのきまぐれで、時々は食べられる肉と果物。

 それでもないよりはいい、飢えて死ぬなんてごめんだ。僕を売り飛ばした父さんに復讐するまでは。


 それに……僕は知りたい。

 この町に来てから見続ける夢、それが何を意味するのかを。砂礫世界、懐かしさを感じるのは何故なのか。


 服を着るなり、ダリアは僕の顔と体に汚れを擦りすける。彼女にとってこれは、儲けの儀式。賛美の化粧というやつだ。


「さぁ、螺子。今日も儲けるんだよ。美しい物乞い。お前の顔は人を惹きつけ、哀れな姿は金を呼び寄せる」


 ダリアの目がギラリと輝いた。


 僕がダリアに目をつけられたのは、淡い灰の髪色と女のような顔つきが理由だ。

 静かな田舎町。

 ダリアが僕の噂を聞きつけ、現れたのは三ヶ月前のこと。


 人で賑わう町中に流れた噂。

 富を呼び寄せる者が現れた。

 神が作りだした美しい少年。


 僕と同じ髪の色を誰ひとり見たことがない。つまりは髪と望みもしないこの顔が、くだらない噂となりダリアを呼び寄せたということだ。


 ——これは予想以上だ。どうだい、ご主人。彼を私に預ければあんたら家族の暮らしは一生安泰だ。彼にも何ひとつ損はさせない。互いに豊かになろうじゃないか。


 父さんが望んだ報酬は、仕事をせず暮らせるだけの金と酒。ダリアは了承し、月に一度金と酒を送ることを約束した。そして、約束どおり送られている金と酒。

 送り届けるのは、ダリアの酒場で働くハギという男。ハギによると、父さんは仕事をせず酒に溺れる日々を過ごしている。それどころか女を作り母さんと妹、羅衣羅ライラを泣かせるなんて。


 僕に損がないなんて大嘘だ。

 ダリアに連れてこられてから自由は消えた。物乞いとして外に出る他は、与えられた部屋に閉じ込められている。


「これでよし。あとはを」


 仕上げは髪の色を隠すボサボサのかつら。

 ダリアは僕を手放さないよう必死だ。

 僕が噂の少年だと知れればどうなるか。ダリアの表の顔である、酒場の女主人としての面目は丸潰れだろう。


 どうなるか? は僕にも言えることだ。

 助けられ、ダリアから解放された先に待つ未来。父さんへの復讐を果たせないまま過ごすのか。果たせたとしても、母さんと羅衣羅を苦しませてしまう。


「さぁ、裏口から出るんだよ。誰にも見られないよう慎重にね。私の悪事がバレたら、命はないと思いな」


 ダリアに好感が持てるとしたら、自身の悪事を自覚してる所だろう。人への悪意や憎悪を自覚出来ない人間が世の中にどれだけ溢れているか。


 僕は自覚している、自身が秘める憎悪を

 だからこそ、復讐の為に生きているんだ。


「ルイス、螺子をしっかり見張るんだよ」

「わかってるわ、母さん」


 にこやかに追ってくるのは、ダリアのひとり娘ルイス。

 僕より年上の女性ひと

 細い体つきと活発な性格の持ち主。

 飾り気のない服装と知的さを感じさせる銀縁眼鏡。

 彼女がダリアと血が繋がってるなんて誰が信じられるだろう。


「行きましょう、螺子」


 遊びに行くような明るさで、僕の背中を押したルイス。

 誰もいない裏口と狭い道。

 僕達が気兼ねなく話せるわずかなひと時。


「ごめんなさい螺子。まだ思いつかないの、君をここから助けだせる方法が」

「いいよ。下手に焦ってもルイスが困るんだから。それに」


 ひと呼吸置いて、空を見上げる。


「ルイスには感謝してる。ダリアを説得してくれなければ、僕は……男娼として」


 素性を知らない者達の餌食になっていた。

 心を砕かれ、父さんへの復讐を諦め……いつ命を断とうか考えながら。


 ——お母さん、彼はまだ子供よ。お金を稼ぐ方法なんていくらでもあるじゃない。私が娼婦にされたらどう? それで得たお金を、お母さんは大切に出来る? わかってくれないなら、お母さんとは縁を切るからっ‼︎


 ダリアとルイスが話し合った末、決まったのは僕が物乞いを演じること。僕が逃げないよう、ルイスが見張りとして離れた場所に立つ。

 誰かに助けられない限り、僕が逃げだすことは許されない。逃げるのは、ルイスの優しさへの裏切りを意味するから。


「どうしてお母さんは、あんなにお金に執着するのかしら。馬鹿みたいよね、私。あんな母親でも見捨てられないのよ。支えてあげなくちゃって……思うんだもの」

「家族なんだしそれでいいと思う。僕の母さんも優しいんだ、ルイスと同じくらい」

「わかるわ。螺子の目はとても綺麗だもの。螺子は知ってる? 世界から消えた……というものを」


 花か。

 小さな頃、母さんから聞かされたことがある。

 いつとは知らない過去、この世界にあったもの。どんなものかはわからないけど、鮮やかな彩りの綺麗な何か。


「お母さんには言えないけど。広場に集まっている人達。彼らの目的はひとつ」

「ルイスは知ってるの? 今日何があるのか」

「あたりまえでしょ? 見張りをしてるだけだと思う? 町を行き交う人達……彼らの話に耳を傾けてるの。螺子を助けるための情報集めにね」


 本当に、ルイスは優しいな。

 ダリアに気づかれないよう、隠れた場所で僕を気にかけてくれる。町に来てよかったのは、ルイスに会えたことだけだ。


という姫君が広場に訪れるそうよ。私達住人の幸せと繁栄を願うために」

「姫君か。願ってなんとかなるなら、誰も苦しまないのに」

「そうね、でも」


 眼鏡をかけ直しながら、ルイスは僕に微笑む。


「人は知らず知らずのうちに願っているわ。自分の幸せ、誰かの幸せを」


 ルイスの足音が途切れ、僕だけが路地の土を踏む。

 ここからはルイスと離れ物乞いを演じだす。

 いつもなら町を彷徨う所だが、今日は広場に向かわなければ。少しでも多く金を稼がなきゃ、ダリアに何を言われるかわからない。


 ——お母さんには言えないけど。


 ルイスがそう言ったのは、姫君とやらが金儲けに利用されないためだろう。ダリアのことだ、きっと何かを考えて儲けようとする。


 姫君だなんて、いいご身分だな。

 紗羅という女、僕とは正反対だ。

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