第2話
金を入れる袋を握りしめ、勢いよく駆けだした。
人通りが少ない場所を、僕が何処から現れたかを気づかれないために。
本当なら気づいてもらえるのがいいに決まってる。ダリアが捕まり、どう裁かれようと自業自得なのだから。だけどルイスを傷つけたくない。
あんなでもダリアは母親だ。
母親が裁かれる姿をルイスに見せるなんて出来るはずもない。
全速力で走り切れだした息。
それは僕の下手な芝居を迫真のものに変えることとなる。
「助けてください。……どうか、僕に恵みを。今日を生きられる……それだけの恵みを」
息を乱しながら苦しげに呼びかける。
行き交う人々が振り返り、すぐに囲まれた。次々と手渡される金を袋に入れていく。
芝居を始めたものの、今日は広場へ行かなきゃいけないんだった。まいったな、この人だかりをどうあしらおう。
「広場……広場へ行かせてください。そこにはきっと……僕を気に止めてくれる誰かが。どうか、惨めな僕に居場所を」
「君、僕の所へ来るといい。悪いようにはしないよ」
かけられた声。
声の主は小太りの初老の男。顔に浮かぶのは、あからさまないやらしい笑みだ。
僕を女だと思ってるのか?
連れていかれたらどうなるかを考える。
餌食にされたあと。
奴隷として生かされるか、家族に知られる前に殺されるのか。あるいは、僕が噂の少年だと気づき、ダリアのように金を稼ぐ道具として利用するのか。
広場を目指した咄嗟の口実だったが、この状況をどう覆せばいいだろう。
「待て待て、俺の家に来ればいい。家内に美味い飯を用意させる」
「私の家にいらっしゃい。女世帯だし安心していいのよ」
「私の所なら何日でもいて構わんよ。まずは風呂に入って身なりを整えよう」
誘う声が続々と上がっていく。
この状況、僕がこの顔でなければどうなっているのだろう。醜い顔つきでも、善意で招こうとする者がひとりくらいはいるだろうか。
どうする、これ以上下手なことを言えば状況はもっと悪くなりなねない。いつもどおり、歩きながら金を集めるだけならなんてことはなかったのに。
何が広場だ、姫君が訪れるだ、ちくしょうめ‼︎
「待ってください、みなさん‼︎ 落ち着いて‼︎」
凛とした声が響く。
ルイスだ、助け船を出してくれた。
「姫君が来てくださるのはご存知ですね? どうぞ、哀れな物乞いに姫君のご加護を。姫君の祈りが物乞いを光へ導いてくださることでしょう。彼をどうか広場へ。あなた方の善意を、姫君は温かな祈りへと変えてくださることでしょう‼︎」
ルイスの語りに上がりだした賛同の声。
舌打ちも聞こえるが、住人達に囲まれながらどうにか広場へと近づいている。
そうだ、かつらが取れないよう気をつけなきゃな。
この中にもいるはずだ、田舎町から流れた噂を知る者が。僕が噂の少年だと知られたらどうなるか。下手をすれば姫君の来訪すら霞ませてしまうだろう。
人波に押されながらうしろを振り返る。
姿は見えないが、ルイスは確実にこの中にいる。それだけで僕は安心出来るんだ。ルイスがダリアの娘だなんて、誰か嘘だと言ってくれ。
大きくなっていくざわめき。
それが僕に告げるのは、広場が近づいているということ。
「押すな、道を開けろ‼︎」
「哀れな物乞いを姫君に会わせなければ‼︎」
「さぁ、哀れな子を広場の真ん中に」
いや、真ん中なんて求めてないから。
金が集まればそれだけでいいんだよ。
姫君のご加護?
そんなのクソ喰らえだ。僕はただ……平穏な暮らしと父さんへの復讐を。
「みっ‼︎ ……みなさんの善意に感謝します。僕は……今日を生きられるものがあれば充分です。姫様のご加護、どうかみなさんのために」
僕の精一杯の芝居にどよめきが上がる。
怖さを感じるな、集団心理というものは。
「なんと綺麗な心の持ち主なのでしょう‼︎」
鷹揚のない声でルイスが叫ぶ。
「我々は待ちましょう、哀れな物乞いと共に姫君のご加護を。私達は誰もが平等な存在、誰ひとり目立たせようとはせずに。さぁ、共に姫君を待つとしましょう」
ルイスが住人達をまとめていく。僕を特別扱いすることなく広場に散らばっていく住人達。
宗教家の素質があるな、ルイスってば。
助かった、僕はこのまま金集めに徹していればいい。
「どうか、僕に恵みを。今日を生きられるだけの」
袋に貯まる金。
僕の家に送られるものがどれだけ含まれているだろう。父さんはこのまま仕事をせず、酒と女遊びに明け暮れるつもりなのか?
込み上げる虚しさ。
こんなことを続けて何になるのか。
だけど続けなきゃならない。ダリアのそばにいる限り、誰かに助けられない限りは金を集めなきゃ。それが僕に与えられた生きるための仕事だから。
絶対に死ねないんだ、父さんに復讐するまでは。
「僕を……助けて、誰か」
自由を、取り戻したい。
欲も執着もない世界を。
脳裏に浮かぶ夢の中の光景。
無限に広がる砂礫世界。
それは僕に、限りない自由を感じさせる。
「助けて……助けてくださいっ‼︎」
漏れたのは芝居なんかじゃない。
僕の奥底から、絞りだされた切なる願いだ。
助けてくれ。
助けてくれ‼︎
「誰か……」
近づいてくるルイスが見える。
人混みをかき分けながら真剣な顔つきで。どうしたんだろう、気になるけど他人のフリをする。集まった人達の中、ダリアとルイスを知る者達がいないとも限らない。
「あぁ、哀れな物乞い」
駆け寄るなり、ルイスは倒れ込むように僕へと抱きついた。
「螺子、返事をしないで聞いて」
耳元で囁く声。
「もうすぐ姫君が来る。馬車に乗ってるの、それで」
ルイスの両手が僕の頬を撫でる。悲壮な顔つきで僕を見つめだしたルイス。宗教家どころか芝居の素質もありそうだ。『どうか、哀れな者に姫君のご加護を‼︎』。叫んだルイスの唇が、再び僕の耳元に近づいた。
「馬車の中、姫君の顔を見たの。驚かないでね、姫君と螺子は同じ顔よ」
「え?」
どういうことだ?
同じ顔って、そんな偶然あるはずはない。
僕には妹しかいないはずだ。姫君は生き別れの家族? まさか……父さんも母さんもそんなこと言ってなかったじゃないか。
「螺子、姫君が馬車を降りたら誰よりも前に出て。君の顔を、しっかりと姫君に見せるのよ」
何を考えてるんだルイスは。
彼女が語る声はいつにも増して真剣味を帯びている。
「上手くいけば、螺子を助けられるかもしれない」
ドクリと体中が音を立てる。
助かる?
姫君に会うことで……僕が?
「ルイス? ……それって」
僕の声を飲み込むざわめきと馬車が走る音。
人波が割れていく。
近づいてくる数頭の馬、囲まれるように走る大きな黒い馬車。
本当なのか?
あの中に、僕と同じ顔の。
馬が広場の真ん中へと集まっていく。
人を恐れる素振りを見せもせず。しっかりと躾をされているらしい。
馬達の傍らに止められた馬車。
最初に降りてきたのは一匹の黒豹。大丈夫なのか? 猛獣を鎖に繋ぎもしないなんて。僕を見透かすように、黒豹の蒼い目がキラリと輝いた。
続いて出てきたのは身なりを整えた男達と。
「あれが……姫君?」
馬車から降りてくる姫君。
高らかなヒールの音が広場に響く。
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