第14話

 頬を撫でる風と、僕を包み込む静けさ。


「螺子」


 ルイスの声がする。

 見えるのは朝靄に包まれた町。そばにいるのはルイス、他に見える姿はない。


「ロイドは?」

「いないわ、元の世界に戻ったんじゃないかしら」

「そっか」


 ここにいられるのは五日間。

 少しの時間も無駄には出来ないな。


「これからどうするの?」

「町のことを調べる、と言いたい所だけど」


 遠のいた日々の懐かしさ。

 少しだけは許されるだろうか。


「母さんと妹に会いたい。少しでいいから家に」

「何処なの? 螺子の家は」


 ルイスに答えようと町中を見回す。

 似たような家が並ぶ中、見つけたのは空へと突き伸びた大きな木。あの近くに僕の家がある。


「ついてきて、ルイス」


 家に向かい歩く道。

 思いだすのは、ダリアに出会い町から連れ出された日。僕とダリアに向けられたざわめきと好奇な目。

 自分に起きたことが信じられなかった。父さんに売られ見知らぬ場所へ連れて行かれるなんて。

 ダリアに腕を掴まれて歩く中、振り返ることが怖かった。母さんと羅衣羅が、どんな顔で僕を見てるのか。林道で乗せられた馬車、その中で募らせた父さんへの憎しみと復讐心。


「静かな場所ね、私の町は色々なお店が並んでるのに」

「離れた先に住民達の畑がある。あとは……牛と鶏、町ほどじゃないけど、肉料理は美味いんだ」


 薄れていく朝霧と僕達を包む風。

 緊張が僕の中を巡る、父さんはいるだろうか。父さんを前に僕は冷静でいられるのか……それとも。


「誰が広めたのかしら、この町で螺子の噂を」


 噂……ダリアが耳にしたものか。



 富を呼び寄せる者が現れた。

 神が作りだした美しい少年。



 ひとつの考えが浮かぶ。

 僕とルイスは生まれ変わりだ、サラとサラを慕っていた子供ルイの。セレスを生みだした何者かが、意図的に噂を流したのだとしたら? サラが考えていること、それを叶えさせるために。聞きつけることを選ばれたのは、ルイスの母親であるダリア。僕がここから出ることが、始めから仕組まれていたことだったとしたら。


 家を前に立ち、落ち着こうと息を整える。

 鳥が鳴いた。

 屋根の上に見える青い鳥。バタバタと家の中で物音が響く。


「鳥さんだ。今日も来てくれたよ、お母さん‼︎」


 無邪気な声が僕を震わせる。

 羅衣羅だ。


「おはよう、鳥さんっ‼︎」


 開けられた戸と飛び出してきた羅衣羅。

 僕を見る目が大きく見開かれた。


「お兄ちゃんっ‼︎」


 叫ぶなりしがみついてきた羅衣羅。


「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ‼︎」

「元気だったか? ……羅衣羅」


 僕の問いに答えるように、羅衣羅の手に力が込もる。


「螺子? ……どうして、螺子が」


 信じられないものを見るように、母さんが近づいてくる。少し痩せた、無理もないよな。


「お母さん、帰ってきたんだよ‼︎ お兄ちゃんが」

「……螺子」

「心配かけてごめん。休みがもらえたんだ、仕事をがんばったから。だから……母さんと羅衣羅に会いたくて」

「大丈夫なの? 嫌な思いを」

「何もないよ、良くしてもらってる。紹介するよ、彼女はルイス。働き先で僕の世話をしてくれてる」


 ルイスを前に母さんは微笑む。

 僕が大好きな柔らかな雰囲気。


「父さんは?」

「いないわ、何日も帰らないままよ」


 女の所に入り浸りか。

 この先も仕事をせずに、父さんは。

 僕がいなくなってもダリアは金を送り続けるのかな。こんなんじゃ、父さんは駄目になっていくばかりだ。


「何してるの螺子、入りなさい。さぁ、お客様も」


 母さんに言われるまま入った家。

 吸いなれた空気と居心地の良さ。帰ってきた実感が僕を包み込む。


「すぐに朝ご飯の支度をするわ。羅衣羅、鳥に餌を」

「うんっ‼︎」

「あの、私に手伝えることがあれば」


 遠慮がちに声をかけたルイス、『どうするの?』と言いたげに母さんは僕を見る。


「手伝ってもらってよ、ルイスは器用なんだ」


 僕に微笑み、ルイスは台所へと向かう。

 外から響く鳥の鳴き声と、外を歩く住人達の声。

 朝の食事を待ちながら座った椅子。心地よさの中、僕を包み込む睡魔。


「母さん、何を作るの?」

「そうね、螺子が食べたいものを」


 瞼が重い、どうして……こんなに眠いんだ?


「食べたいものは何?」

「なんでもいいよ、母さんが作るものは」


 僕にとって……みんなご馳走だから。


 力が抜けていくのを感じる。



 睡魔に……抗えな——







 巨大な月が見える赤みがかった世界。

 何処かで見覚えがある。

 そうだ、サラの過去を知った夢の中だ。


「どうして、ここに」

「寝ぼけたことを言わないでくれる? 私が導いたからよ」


 現れた蝙蝠が、軽々と僕の肩に乗る。


「私の世界へようこそ、螺子」


 僕を見上げる深紅の目がキラリと輝いた。

 何を考えてるんだカナメは。

 僕は……フルームのことを調べなきゃいけないのに。


「お前の世界には興味ない。僕は忙しいんだ」

「わかってるわ、調べに来たのでしょう? 新月の女神セレス、彼女を生みだしたものがなんなのかを」


 体がこわばるのを感じる。

 どうしてこいつが知ってるんだ? 


「手がかりは何もない状況。だから私が手助けにと」


 蝙蝠の口が笑うように形を歪ませる。

 なんなんだよカナメの奴、蝙蝠の格好で。僕を馬鹿にしてるのか? こんな奴信じられっこない。手がかりがどうとか僕に構うなよ。


「自分でなんとかする、ほっといてくれ」

「与えられたのは五日間、気に入らなければ三日だったかしら。彼は随分と、君を大事にしてるのね」


 なんで知ってるんだ? 紗羅が僕に言ったことを。

 まるで……僕達の話を聞いてるみたいに。


 ——闇を媒介にこの世界を見始めた者の存在だ。


 紗羅の声が僕の中を巡る。

 こいつなのか?

 新月の世界を見ていたのは。


「お前、見てるのか? 僕と紗羅のこと……セレスの世界を」

「えぇ、眠りに導く闇を媒介に。目的はひとつ、サラのためよ」

「……サラ?」

「彼女の願いは転生の巡りを断ち切ることよ。そして、サラとカイトの繋がりを捨てる」

「なんでだ? 紗羅はずっと、サラを求め続けて」

「彼を求めるのはサラも同じよ」


 苛立たしげに蝙蝠は羽ばたく。


「わかるはずよ、サラの屈辱と悲しみが。サラは汚されたままの自分が許せずにいるの。だから願っている、綺麗な自分を取り戻すことを。サラの記憶と命を捨てて、新たな運命を……彼と共に」

「お前、何者だ? どうして、そんなにもサラに」

「今は語る時じゃない。螺子がここに来た目的は? 私を知ることではないでしょう?」


 そうだ、今はフルームのことだ。

 五日間のうちに、調べられるだけのことを。


「手がかりをあげるわ。湖の跡地へ行きなさい、そして見つけるのよ。湖の奥底に消えた、神が眠る棺を」


 神が……眠ってる?

 こんな、田舎町に?

 そんなことあるはすが。


「食事の準備が出来たようね。湖の跡地、何処にあるかは母親にでも聞けばいい。目覚めなさい、螺子」



 僕を包む料理の匂い。

 テーブルを囲む母さんと羅衣羅、それにルイス。


「起きた? 旅の疲れが出たのかしら」


 微笑む母さんを前に、カナメの声が僕の中を巡る。



 

 湖の跡地……神が眠る棺か。

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