背徳と棺
第15話
僕が家にいる間に父さんが帰ってくることはなかった。
羅衣羅に話した新月の世界のこと。
赤みがかった巨大な月と、紺碧の
あくまでも僕の想像として。
目を輝かせながら羅衣羅は言った。
「お兄ちゃん、私には夢があるんだ。大きくなったら本を書くの。お兄ちゃんの素敵な世界、私が本にしてあげるね」
羅衣羅はどんなものを描いていくだろう。
羅衣羅が大人になる頃、僕はこの世にはいない。僕の代わりに羅衣羅の夢を見届けるのは……誰だろうか。
***
ルイスと肩を並べ歩く町の中、僕に気づいた人達が近づいてきた。
「螺子、帰ってきたのか?」
「久しぶりだな、びっくりさせやがって」
僕を見て驚く顔とかけられる親しげな声。
「休みが貰えたから。ずっとはいられないんだ」
「そうか。よかったよ、元気そうで」
「螺子のことをみんなで話してた。何をしてるんだろうってな」
次に注目を集めたのはルイスだけど。
「ごめん、急いでるんだ。行こう」
ルイスの腕を掴んで走りだした。
彼らから離れるために。
振り向きもせず走り続け、たどり着いたのは林道。
「螺子ったら、挨拶くらいさせてくれたって」
「怖くなったんだ。僕に向けられる目が」
僕に会ったことを喜んでるようには思えなかった。
感じ取ったのは僕への興味、町を去ってから何をしていたのか。女のような顔立ち、金を稼ぐ手段として強いられた仕事が何かを知りたい。
「まいったな。ここからは遠い、湖の跡地へは」
「どうするの? 螺子」
母さんから教わった場所は住民達の畑の先にある。ここからは正反対の場所だ。母さんが子供の頃には湖は無くなってたみたいだけど。
棺という響きが不気味に感じられる。
中に入ってるものがなんなのか……ドロドロの遺体なんて冗談じゃない。
フルームに来て家で過ごした二日間。
三日目の今日家から出た。
また会いに来る、母さんと羅衣羅にそう約束して。
「明るいうちは人通りがあるわ。誰にも見られず目的地に行くのは無理よ」
「わかってるよ、だけど」
怖いんだ、興味と好奇の目を向けられることが。考えもしなかったな、自分がこんなにも臆病なんて。
人は誰かを支え、支えられながら生きている。僕が何事もなく過ごせてるのは、出会ってきた人達との繋がりのおかげだ。
城の中、サラには逃げる場所がなかった。
向けられる奇異な目と孤独。それはどれだけの恐れと不安を呼び寄せたのか。
強いられる屈辱と絶望は彼女を死へと導いた。
「粘土を使って変装する? それとも飛行船を」
「目立つ格好なんてしたくないよ。ましてや飛行船なんて」
ルイスってば、突拍子もないことを言いだすんだから。
「粘土から作るの怖すぎるよ」
「空なら人目につきにくいじゃない」
「それは、そうだけどさ」
ルイスの感覚のズレはダリア譲りか。
「何かしら、この音」
僕達に近づく音。
振り向いて見えたのは馬車だ。随分と古ぼけた形のもの、こんな田舎に観光に訪れたのか?
僕達のそばで止められた馬車。
開けられたドアと僕に微笑む老人。小洒落た服装と艶やかな白い髪。
「君が向かうのは、湖の跡地だろう?」
ルイスと見合わせた顔。
どうして知ってるんだ? 僕達が向かう先を。
「乗りなさい。美しい孫娘、サラの命を秘める者よ」
「孫娘……って」
サラが生きていたのは数百年も前のことだ。
彼女の祖父が生きているはずが。
幽霊……なのか? まさか、そんなもの僕達に見えるはずは。
「螺子」
ルイスの声が僕を弾く。
僕を見る戸惑った顔。驚いてるのはルイスも同じだ。
「どうするの? 見ず知らずの人よ」
「怖がらなくていい。馬車の中には何もないだろう? 僕にあるのは思い出だけなんだ」
柔らかな老人の笑みを前に、僕の中をサラの記憶が巡る。老人と幼いサラ、ふたりが見上げるのは晴れやかな空。
『サラ、この世界は限りなく美しい。いつかの未来、サラは見ることが出来るだろうか。世界から奪われた花、鮮やかで美しく咲き乱れるものを』
世界から消えたもの。
サラ。
カイト。
ルイ。
花が咲き乱れる世界を彼らは願い叶えようとした。
いつか……僕が叶えられるなら。
「乗ろう、ルイス」
「大丈夫なの?」
「うん、僕が保証する」
僕を突き動かすサラの記憶。
未来へと……導こうとして。
乗り込んだ馬車の中、いい匂いがする。
食べ物や香水のものとは違う。ずっと包まれていたいような。
「これ、なんの匂いですか?」
「花の匂いだよ」
「……花?」
「僕が子供の頃に嗅いだものさ。僕の思い出は花の匂いに包まれている」
「あなたは知ってるんですか? 花がどんなものか」
「もちろんさ。この世界は沢山の花に囲まれていた。鮮やかに咲く美しいものだ」
思い出を慈しむように老人は目を細める。
「興味があるかい? 花を見たいと君は思うか?」
「いつかは……出来ることなら」
叶えてみたい、咲き乱れる花の中。
彼と共に、生きていく未来を。
限られた僕の命。
一日でもそんな時が訪れるなら。
「湖の跡地。君を送り届け、別れを告げるのは簡単なことだ。それは現実の続きなのだから。これから向かう場所は過去、僕は君を導く鍵さ」
「螺子……お爺さんが」
ルイスが僕の肩を揺らす。
老人の姿が変わっていく。皺が薄れ、髪の色がサラと同じ灰色へと。
「驚かなくていい、僕達は過去へ向かっている。幼かった僕の……そうさせるのは僕の思い出だよ」
過去へ?
馬車の外、見える町の中。
並ぶ家と歩く人達の服装、今とは違う気がする。
それに知らない形の木やいっぱいの植物。
老人だった姿が子供になった。
僕達に伸ばされた手。
持っているのは見たことがないものだ。
鮮やかな桃色、ひらひらとしたものが緑の葉の上に。
「驚いた? これが花だよ」
男の子が無邪気に笑った。
「僕の名前は
ドクリ……
体中が音を立てる。
何がセレスを生みだしたのか、神が眠る棺がなんなのか。
そして、花が消えた理由。
本当に、何もかもわかるのか?
「心配いらないよ、ちゃんと今の世界に帰れるから。不思議な気持ちだな、未来を生きる君と話せてるなんて。嘘みたいだろ? 僕の思い出が君達を過去に導く力になるなんてさ。新月は、優しくて残酷だ」
馬車が止まった。
ドアを開けた僕を包む匂いと風。
知らない
空を隠す樹々の葉と色鮮やかな花の群れ。走りだした空夜を追い見える湖。
空を思わせる青色の水。
「
声を弾ませた空夜の先に見えるのは。
藍色の髪の少女、彼女の背後に見える真っ白な建物。細く尖った屋根と頂上に飾られた十字架。
「なんだろう、あの建物」
「螺子は知らないのね、教会よ。神様に祈りを捧げる場所。螺子を連れてってあげるわ、私達の町に……帰れたらの話だけれど」
寂しげにルイスは微笑む。
元の世界、ダリアのことを考えてるのか。
「お祈りは終わったの? 麻莉亜様」
空夜を見る麻莉亜と呼ばれた少女。空夜を見る目は優しさに満ちている。
彼女の顔は、セレスにそっくりだ。
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