偽りの姫君、その孤独と……

第9話

 恐る恐るサラへと手を伸ばす。

 触れた顔、手を濡らす血のドロリとした感触。冷たい肌からは生気を感じられない。

 ここは何処なんだ?

 紗羅と話す中で遠のいた意識。

 夢の中……なのか?


 赤ん坊の泣き声がする。


 ——子を宿し、産んですぐ……サラは身を投げたんだ。


 紗羅が言っていたことが本当なら。

 赤ん坊から離れて……サラは。


 見えだした城と響きだしたざわめき。


「なんてことだ‼︎ まさか身を投げるとは」

「何をしている‼︎ 王を呼べ、早く‼︎」


 城から出てきた者達が、次々とサラを囲んでいく。彼らには僕が見えていないらしい。


「サラッ‼︎ ……サラッ‼︎」


 喚きながらサラに近づいたのは、小太りの男。

 僕が感じ取るのは男への嫌悪。

 すぐに気づいた、こいつは……サラを妻にした男だ。


「何故だサラ、僕はあんなにも君を」


 涙と鼻水が混じり男の顔を濡らしていく。


「愛したじゃないか。何が不満だったというんだ?」


 男から離れる者達の聞き取れないざわめき。


「僕が見初めたことで、貧しかった君の家族は裕福になったんだ。僕に愛され幸せだったろう‼︎」


 僕に流れ込むもの。

 これは……サラの記憶だ。


 女との出会いを求め、従者を連れ町を訪ねた男。

 彼の目を止めたのはサラ。

 僕と同じ顔の少女。サラのそばにいるのはカイトという少年。男らしい精悍な顔立ち、彼は……紗羅の過去の姿だ。


「君」


 肩に触れられ驚いたサラ。

 サラを守ろうと、男の前に立つカイトに向けられたのは、従者達の蔑みの目。


「なんだ若造、王に対しぶしつけな態度を」

「城のしきたりは知らないが、町には町の礼儀があるんだ。サラは怯えている、だから遠ざけようとしただけだ」

「サラとは、いい名前だ」


 笑みを浮かべた男を前に、カイトは舌打ちをする。サラの名を口にしたのは軽率だったと。


「サラ、君の両親と話をしたいんだが」

「王様が? どういった用件ですか?」

「君にはまだ話せないんだ。あぁ、そんな顔をしなくていい。君にとっても悪い話ではないはずだよ」


 サラが呼んだ両親と親しげに話しだした男。

 この時のサラは想像もしていなかった。男に気に入られ、城に連れて行かれる未来など。


 公務を放棄して、男はサラの家に通い続けた。

 両親を説得するために。

 口実はサラを城に招き、平和を象徴する姫君とすること。妻にする目的は一切語らなかった。

 高額の報酬といつかは家に帰る約束。ふたつの条件と引き換えに城に行くことになったサラ。


「無理ですよ、私が姫君だなんて。私はこの町が好きなんです、ここで暮らせればそれで」


 頑なに拒むサラに近づいた従者。


「大切な彼がどうなってもいいのか? 彼の死と引き換えに、この話はなかったこととしようか」


 耳打ちと、両親に見えないようサラに突きつけたやいば。サラに大声を出す勇気があったなら、事態は変わっていただろう。だが、刃を前に感じ取った恐怖、それはサラを黙らせるには充分なものだった。カイトを守るため、城に行くことを決めたサラ。


 城に向かう数日前。

 ふたりは町から離れ、岩陰で息を潜めた。隠れようと言いだしたのはサラ、カイトとのひと時を望んでのことだった。


「どうしたんだ、サラ。逃げるようなことを」

「逃げられたらいいのにね、いろんなことから」


 姫君として担ぎ出されると、カイトに言うことは出来なかった。サラに出来ることは、少しでも長く彼と過ごすこと。いつかは帰ってくる、その日まではそばにいたいと思った。


「ねぇ、私の夢を聞いてくれる? 幸せな家庭を作りたいの。夫と子供達に食べさせるのは心を込めた料理。貧しくてもいい、みんなが笑っていられるなら」

「サラを守るのは僕の役目、それでいいんだろ?」

「うんっ‼︎ 一緒にいられるなら……私は何もいらない。ずっと幸せね、私は」

「死ぬまで一緒だ。何があっても、僕がサラを守る」

「好きよ……これからも、ずっと」


 体を寄せ、絡め溶けていくふたりを照らす新月。


「約束してね」


 カイトの腕の中で呟いたサラ。


「あなたが触れるのは私だけだと。口づけ、抱きしめるのは私ひとり」

「約束だ、何よりも大切なサラ。何があろうと、僕達は離れはしない」


 幸せを噛み締めながら目を閉じたサラ。




 両親に見送られサラは城に向かった。

 従女に案内されるまま入った部屋。用意されていたのは純白のドレスと化粧道具。


「さぁ、すぐに着替えを。王様が待っていますよ、美しい花嫁を」


 何を言われたのか理解出来なかった。

 平和を願う姫君として招かれたはずなのに。


「あの、花嫁って誰のことを」

「ご冗談を。王様の求婚を受け入れたのでしょう? 城にいる誰もが知っていますよ、王様が妻として迎え入れるのは町一番に美しい少女。しばらくはサラ様の話で盛り上がりそうですね」

「冗談じゃないわ、結婚だなんて‼︎」


 ドレスを投げつけ部屋から出ようとした。その腕を掴んだのは、ドアの前に立っていた従者。


「何するの、離してっ‼︎」

「そうはいかないな、王がお待ちかねだ。綺麗なお嬢さん、あんな醜男にはもったいないが」


 従者の舌なめずりと、サラを囲い響く下卑た笑い声。


「もっとも、逃がすのは難しいことじゃない。大事な彼の命と引き換えに」

「やめてっ‼︎ 彼には」

「あぁ、手出しはしないさ。王が望むままの妻になったらな」


 サラは悟った。

 家にはもう帰れない。

 会えなくなったカイト、それでも彼を守らなければ。

 失意の中纏ったドレス。

 それはサラの、絶望に満ちた日々の始まりを意味していた。


 名ばかりのものだった婚姻の儀式。

 現れたサラを前に歓喜の声を上げた男。壁一面の神の彫刻を前に抱き寄せたサラ。深々と口づけ、抗うことを許さずに——


 込み上げる吐き気と体を巡るおぞましさ。


 サラは僕と同じだ。

 大人の勝手で売られ地獄に突き落とされた。僕と違うことは、サラには理解者が誰ひとりいなかったこと。


 家族の安泰と引き換えに、醜い王の妻になった美しい娘。サラに向けられるのは、城に仕える者達の奇異な目つき。



 月に一度、住人達の前に立つことを強いられた。

 平和の象徴として、住人達の安寧を願い祈る。それはサラの両親を欺くための茶番だった。


 町一番の広場、そこは僕が紗羅と出会った場所だ。今と違うのは、広場が砂に覆われていること。

 広場に集まる住人達は、サラの美しさに感嘆の声を上げた。誰ひとり想像していなかっただろう。姫君と呼ばれる彼女の屈辱の日々を。



 お腹に宿した新しい命。

 それがサラの希望になることはなかった。


「僕の子を何人でも産めばいい。君は僕の貞淑な妻なんだから」


 男に触れられるたび、サラは心を塞ぎすべての感覚を閉ざそうとした。赤ん坊が産まれサラが選んだ死。

 新しい命に罪はない。

 赤ん坊を産むまで、サラは屈辱に耐え続けた。



 家族とカイトが、サラの死を知らされたのは数ヶ月後のことだった。家族に戻されたのは、サラの遺骨と漆黒のドレス。

 カイトは両親に懇願した、サラの形見にドレスを譲ってほしいと。

 僕と出会った時。

 紗羅が纏っていたのはサラのドレスだったんだ。



 月明かりが照らす岩陰に、カイトはひとり座っていた。空を見上げる顔と口ずさむ歌。サラの死を知ってから通い続ける場所。力なく動く手は愛しい者を求め、何も掴めないまま握りしめられる。


「花を呼ぶんだ」


 呟いたカイト。


「花を呼ぶんだ。世界から消えた美しいものを。想いを祈りに変えて、願いを力に変えて呼び寄せる。いつかはこの世界に美しい花を。僕達を繋ぐのは……不変の愛」


 自虐的な笑みがカイトの顔に浮かんだ。


「サラ、世界は残酷だな。僕は願ってた、一日も早くサラに会えることを。帰ってきたらずっとそばにいる。サラの死を知らないまま、ずっと……願ってたなんて」


 カイトの目から溢れだした涙。

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