第10話

 カイトの追想が僕に流れ込む。


 姫君になったサラ。

 カイトが知らされたのは、サラが城に行ってから数日後のことだった。サラを知る誰もが彼女を褒め讃えたが。


「どうしてお前は浮かない顔を? 姫君になった幼馴染み、胸を張って自慢出来るだろう」


 呆れる親友を前に、カイトは笑うことが出来なかった。サラを讃える一方で、サラの家族に向けられた僻みと中傷の声。

 何よりもサラのことが気がかりだった。

 城という特殊な場所でどう過ごしてるのか。サラが苦しんでるなら助けに行かなければ。それで自分が死ぬことになろうとも。


「俺がお前なら、大手を振って町を歩く。それだけ凄いことなんだぞ?」

「称賛なんてサラは望んでない。僕達はただ、平穏な日々を」


 声を荒げるカイトを前に、親友は困ったように笑う。


「落ち着けよ、サラが帰ってくればいつもの日々が戻ってくる。それまでは誇りに思え、平和の象徴とされた幼馴染みを」


 サラは帰ってくる、それがいつかはわからない。

 カイトが巡らせた思考。一日でも早くサラが帰ってくる、そのために出来ることは何か。

 思いだしたのはサラが言っていた新月のこと。


 ——新月には願いを叶える力があるみたい。願い続ければ呼ぶことが出来るかな。世界から消えた花というものを。お爺さんから聞いたことがあるの、綺麗で可愛らしいものだって。いつか叶えたいな……花が咲き乱れる世界を。


 カイトは願い続けた。


 サラの帰りとふたりで育む幸せな未来を。

 そして世界が取り戻す花と呼ばれるもの。


 新月を迎える夜は岩陰に身を寄せ、朝が来るまで願い続けた。







 突きつけられた現実。

 それは、望みもしなかったサラの死。


「願い……新月」


 気力を失い、家から出ない日が続いた。

 食べるものの味を感じられない。夢の中ですら、サラに会うことは叶わなかった。


「サラ。サラは……何処だ?」


 サラの面影を追うように走らせた筆。

 描いたこともない人物画、サラを描けるはずもない。



 我に返り夜の闇に気づく。


「新月だ。……サラ」


 痩せた体を引きずるように家から出た。

 向かった先は岩陰。

 見上げる新月がいつになく眩しく見えた。



 ひとり眠りに落ちた闇。

 その目を開かせた誰かの気配。


「サラッ‼︎」


 闇の中、カイトの声に振り向いた者。

 それは過去、町の中で出会った男。王の従者として仕えていた——


「若造か、こんな所で何をしてる」


 ガチャガチャと音を立てるのは、男が抱えているズタ袋。金が入っている、直感がカイトに告げた。


「随分とやつれたな。大事な女が死んだんだ、無理もないが。お前はまだ若い。他の女を探し、気を紛らわせればいいだろう?」


 カイトを苛立たせる挑発。

 男に掴みかかろうとするも、痩せた体は力なく倒れ込む。


「俺は新しい人生を生きるのさ。城から持ちだした宝石と金。しばらくは食うことに困らない」


 クックと男は笑う。

 カイトを見下した目つき。


「城で働くのはうんざりだ、醜い男を王ともてはやす。どうへつらっても受け取るのは馬鹿げた報酬さ。死にそうだな若造、俺を捕まえようとはしないだろうが。……念のためだ」


 ズブリ……


 カイトの体を貫いた刃。

 苦悶に歪むカイトの顔と体を濡らす鮮血。震える手は砂に触れることも出来ない。


「冥途の土産に教えてやるよ。若造の大事な女、姫君なんて大嘘だ。なんだったと思う? 醜い王の慰み者さ。王の子を産んですぐ、飛び降りて死んだ」


 動かないカイト、それは男に確信を呼んだ。

 誰にも咎められず逃げ延びる。待っているのは思うままの人生だ。

 この時の男は考えもしなかった。ほんの数日後、宝石商を演じる女盗賊に命を絶たれるとは。


「あばよ若造、俺を恨むのは勘弁だ。あの日、あの場所で王に居合わせた。女の運が悪かった、それだけのことさ」


 カイトから遠ざかる金が響かせる音。

 冷たい風がカイトを撫でる。


「……っ……サラ」


 掠れた声が口から漏れる。

 意識が薄れ、痛みが遠のいていく感覚。

 これが死というものか。



 眩しさを感じたカイトの目が動く。

 鮮やかな新月、聞こえるのは羽音。


 カイトへと舞い近づいた、翼を羽ばたかせた真っ白な——


「私はセレス。あなたが望むことは?」


(誰だ、女神様……なのか?)


 閉ざされていく意識の中カイトは思った。


(新月、少しだけは……僕の願いが届いたのか)


「もう一度問いましょう、あなたが望むことは?」

「そんなの決まっている。王と城の……破滅だ。……それと」


 カイトの手が握りしめた僅かな砂。


「何度でもサラに会いたい。サラがいれば……何もいらないんだ」


 両親に与えられた命と体、名前すら捨ててでも。

 光に包まれたセレスの白い体と、カイトを見る深紅の目。



 どんな世界に生きようとも……たったひとりの君を。



「まずはあなたを生かさなければ。あなたの命……私が取り込めば、私と共に生きることになる。数百、数千年……後悔はないのですね?」

「後悔はひとつ。サラを……助けなかったことだけだ。他に何を……悔いることがある」


 セレスの手から落ちた雫が、血塗れのカイトへと落ちた。砂となり、崩れ消えていくカイトの体。


「あなたの願い、そのすべてを叶えましょう。あなたに与えるのはしばしの休息。夢の中で見届けるのです、あなたが憎む……王達が迎える末路を」


 眠りについたカイト。

 見続ける夢、それはサラを殺した者達が迎える報い。


 僕に見えだしたのは、サラが命を絶ってから数年後の世界。夢の中見続けた砂礫世界だ。



「まだ見つからないのか、盗賊達は‼︎」


 腹立たしげに声を荒げた男、それは王と呼ばれる者だ。


「財宝が奪われるばかりだ。次々と従者達が去っていく。何故だ、何故奪われるばかりなのだ‼︎」

「自業自得だよ、そんなこともわからないんだね」


 サラの面影を持つ男の子、幼い唇が苛立たしげに動く。男の子は離れた場所から男を見る。そばに立つのは、男の子の世話を任されたロゼという名の従女。


「ルイ様、お父様にそのような口を」

「言う権利が僕にはあるはずだよ。お母様はあの男に殺されたんだから」

「何度言えばわかるのですか。お母様は足を滑らせて」

「聞き飽きたよ、そんな大嘘。僕は何もかもを知っている、お母様のお腹の中で見てたんだから。誰もお母様を助けようとしなかった。あなたもだ、ロゼ」


 ルイの怒りを前にロゼは言葉を詰まらせる。


「気づいてたはずだよ、お母様がどれだけ苦しんでいたか。どれだけ……帰りたがっていたのかを」

「仕方がなかったのです。私達は王に仕える身。逆らうことは」

「聞き飽きたよ、その言い訳も」


 ルイの黒い髪を風が揺らす。

 空を見上げる幼い目が、鋭い光を宿し細められた。


「ロゼは僕の世話をしてくれた。これから起こることにロゼを巻き込めない。……命令するよ、すぐにここから出て行くんだ。身支度は認めない」

「そんな、働かなければ報酬が」

「報酬なんて何処ででも受け取れる。もう一度だけ言うよ。すぐにここから出ていくんだ。生きて……報酬を受け取りたいのなら」

「どういう……ことですか」


 ルイは自身に言い聞かせる。

 夢の中現れた女神セレスの予言を。


 ロゼにだけは話そう、そうすればすぐに出ていくはずだから。


 まもなく訪れる王国の崩壊、その先にある……閉ざされていく未来を。

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