第11話

 赤ん坊の頃から笑わなかったルイ。

 物心ついてからは、従者達と父親である男を睨む日々が続いた。


「未熟児め」


 そう毒づいた従者達だったが。


「僕は知ってるよ。城から出たお母様をあなたは連れ戻した。お母様が殴られて何日も動けなかったこと、あなたはどう思ってたの?」


「泣いてるお母様を見て、貴女達は知らないふりを決めた。心は痛まなかったのかな、その姿を家族に見せられるの?」


 ルイが語ることは、従者達を驚かせ疑心暗鬼に包ませた。それぞれが秘め隠していたことを、誰が知りルイに告げたのかと。

 誰ひとり告げてはいない。

 ルイは、サラのお腹の中で見続けていた。



 待ってて、お母様。



 ルイは語りかけた。

 サラには聞こえない声で。



 ずっとお母様のそばにいるから。何があっても、お母様を守ってあげる……絶対に。



 ルイの願い、それは一日も早く生まれ成長することだった。サラを守るために——





 ルイは遊ぶことに興味を持たず本を見ることに没頭した。文を読むことは出来ない。ロゼに教わった言葉を頼りに探し続けた。

 サラの心にあり続けた願い。


「あった‼︎ 花だ」


 花の絵をなぞりながらもルイは笑わなかった。

 それでも。


「お母様の願い、僕が叶えるんだ。花を……この世界に」


 ルイが見るのは城を囲む砂に覆われた世界。

 心の中に巡らせた想像。

 咲き乱れる花の中を、サラと手を繋いで歩く。


「あったかいよね、お母様の手は。……繋いでみたかったな」


 叶わない願いが呼び寄せた落胆。







 そして、訪れる崩壊の時——



「ロゼ、出るつもりはないのかな」


 ルイが立つのは門の前、ロゼが城から出るのを見届けるために立っている。 

 憎み続けた父と従者達。

 それでも、世話をしてくれたロゼには礼儀を尽くさなければ。


「僕の命令は絶対だ、約束してたのに」


 見上げた空に見える太陽、しゃがみ込み触れた砂の感触。


「……お母様」


 ルイの呟きが合図のように響きだした地響き。

 生温かい風が音を立ててルイを包む。


「お母様、僕が見届けるよ。あの男の最後を」


 ルイは駆けだした。

 揺らめく砂の上を、城に向かって。




 激しい揺れの中崩れ落ちる天井と壁。

 ひび割れ、砕けた床が従者達を飲み込んでいく。

 悲鳴と叫び声の中を、ルイは走り続けた。


「ルイッ‼︎」


 嫌悪を抱く叫び。


 ルイが見たのはひび割れた床の先。

 亀裂の中、砂に飲まれていく男の姿だ。


「助けてくれっ‼︎ このままでは」

「誰も助からないよ。そんなこともわからないの?」

「わかるものかっ‼︎ 助けてくれ、お前が望むものをいくらでも与えてやる‼︎ そうだ、お前には母親が必要だな。ここを出たら」

「僕のお母様はひとりだけ」


 男へと近づいたルイ。

 伸ばされた手を容赦なく踏みつけた。

 苦痛に歪んだ男の顔、そこに王の威厳はない。


「愚息が‼︎ 誰のおかげでお前がいる、お前は」

「愚かな男がいたから僕が生まれた。僕は愚かな血を引き継いでいる。それでも……お母様は僕を生かしてくれた」



 愚かな血を……未来に引き継ぎたくはない。




 崩れ落ちる壁と落ちた天井。

 見上げた先に見える空。


「助けてくれ。早く……助けっ‼︎」

「お母様の助けを聞こうともしなかった。誰があなたの声を聞き入れると思うの?」


 ルイが離れてすぐ、男を飲み込んだ砂。

 砂を覆うように落ちる瓦礫の群れ。


「僕は死なないよ、あなたのそばではね」


 崩れ落ちた瓦礫の中をルイは歩く。

 ひび割れた床の上、いつ砂に飲まれるかわからない。

 ルイを照らす太陽。


「ルイ様っ‼︎」


 途絶えた叫び声の中、聞き慣れた声が響く。

 崩れ落ち、砂に消えていく城の中。離れた先にロゼが立っている。傷だらけの顔と、差しだされた血塗れの手。


「ルイ様、早くこちらへ‼︎」


 ルイは気づいた。

 ロゼは自分を助けようとしている。誰も助からない崩壊の中で。それでもロゼだけは助けるつもりだった。


「ルイ様をお守りします。働いて……報酬は、ルイ様の未来のために」


 ルイとロゼを引き裂くように広がる床の亀裂。

 それでもロゼは手を差しだしたままだ。


「ロゼはなんでも出来る。沢山の報酬を手に入れるよ」


 ルイは思う。

 ロゼの不屈の強さは、何にも誰にも負けはしないだろう。料理好きと酒の強さ、ロゼは酒に関わる仕事が向いてるように思う。一緒に旅をしたらどうなるか、報酬のためになら子供の僕ですら借り出されるだろう……と。


「まぁ、いいか。それでも」


 呟いたあと、心の中でロゼに語りかける。



 僕のお母様はひとりだけ。

 だけどロゼは特別だ。


 いつかの未来、ロゼに巡り会えるなら。

 何度かは……ロゼの子供になってあげるよ。



 歩み寄り、ロゼへと伸ばした手。

 微笑むロゼに重なるダリアの影。


 ダリアはロゼの生まれ変わり?

 そしてルイス。彼女は……ルイが生まれ変わった。


 もしかしたら……と思う。

 ダリアの金への執着はルイスのためだったのか。自分がいなくなったあと、何があってもルイスが困らないように。どんな形であれ、ルイスを……家族を守る力になるように……と。


「さぁ、ルイ様。一緒に」


 歩み寄ったロゼを覆い潰した瓦礫の群れ。


「最後は僕だね、女神様」


 空を見上げたルイ、亀裂が小さな体を吸い寄せた。

 落ちながら太陽の眩しさに目を細める。

 光の輪郭が描き、ルイに見せた幻。



 それは最愛の——



「お母様っ‼︎」


 砂に包まれながら、ルイは笑った。

 死を前に見せた笑顔、それはなんて……無邪気なのか。



 お母様、いつか会えるなら。

 僕がずっと守ってあげるよ。


 何があっても僕は、僕だけはそばにいる。


 だから……泣かないで、お母様。



 太陽へと、伸ばした手を握りしめる。

 サラの幻、その手と繋ぎ合うように。



 瓦礫となった城を覆い隠した砂。

 町を揺らした地震ものはすぐに収まり、やがて……住民達は知ることとなる。

 城の消滅と王の死。

 それは住民達と町に訪れた、新たな歴史の始まり。




 僕が夢の中見続けた砂礫世界。

 それはカイトとサラ、サラとルイの幸せと絶望に満ちた世界だ。

 それが僕に知らせたのはルイスの過去の姿。

 サラを想うルイの命は今、ルイスとなって生きている。僕達が同じ夢を見続けたのは、今に繋がれた約束……その知らせだったのか。








 カイトが見続ける夢の中、現れたセレス。


「あなたが生きるのは新月の世界。目覚める前に問いましょう。あなたが生き、望む姿を」

「サラの顔と髪の色を僕に、巡り合うサラが僕と気づくため。サラに出会い、抱きしめるまでは……鏡に映る僕が」



 何度でも会えるひとりだけの……姫君。



 目を覚ましたカイト。

 鏡に映る顔を見ながら彼は口を開く。


「僕の名は紗羅。求めるのはサラ、ひとりだけの君だ。何度君を失い、出会いを繰り返そうと……僕の想いは変わらない」


 巡り見える紗羅と生まれ変わり、死にゆく者達との再会と別れ。セレスが生きている限り繰り返されること。


 僕が死んだあとも続く喜びと悲しみの——




「螺子」


 サラの声がする。


 僕が立つのは、巨大な月が見える赤みを帯びた世界。

 振り向いて見えるサラ。

 僕と同じ顔。

 それは穏やかで、彼女の優しさを物語る。


「やっと……私の声を」


 サラの灰色の髪を月の光が照らす。


「ごめんなさい、あなたを戸惑わせて。最初に言いたいことはひとつ、あなたを飲み込もうとは思ってないわ。安心して」


 本当に?

 僕は僕として生きられるのか?

 サラが、僕の中で生き続けたとしても。


「本当ならあなたも女として生まれるはずだった。それを変えてしまったのは私」

「どういう……ことだ?」

「変えたいと思ったの、彼と私が巡り合う形を」


 形を……変える?

 サラは、何を考えてるんだ?


「私は」

「ここまでよ、サラ」


 サラの肩の上、現れた蝙蝠コウモリ

 僕を見る深紅の目。


「彼はもうすぐ目を覚ます」


 羽ばたいた蝙蝠が姿を変えた。

 黒と赤が混じる髪、白い肌を引き立たせる黒光りするドレス。


「はじめまして、螺子。私はカナメ。人間には夢魔と呼ばれている」


 夢魔?

 何者だ? この女は。

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