第8話

 

 何をするでもなく退屈な時が過ぎていく。

 粘土を捏ね作られた時計と日々の出来事を綴る日記帳。


 この世界に来てからの変化。

 それは夢を見なくなったことと、僕の中でサラの声が響き続けること。

 何かを話そうとしてるけど、僕は聞こえないふりをする。怖いんだ、耳を傾けたら……僕のすべてがサラに奪われそうで。

 僕が僕じゃなくなったらどうなる?

 紗羅が……男の僕ですら、愛し抜こうとしているなら。


 世の中には性の壁を越えた愛と欲が確かに存在する。

 連れて行かれた町がそうだ、男が男を求める男娼屋。僕が知らないだけで、女の欲を満たすものもあるかもしれないな。


「食べないのか、螺子」


 紗羅の声がする。

 顔を上げ見えたのは、僕を見るルイスと紗羅。

 テーブルに並ぶのはパンとスープ、それとチーズとハムが散りばめられた野菜のサラダ。

 作ったのはルイス、材料は粘土から作られる。


「味つけ、螺子の口に合わなかったかしら」

「違うんだ、ちょっと……考えごとを」

「今は食事の席だ。考える時間はいくらでもあるだろう。ルイス、スープの味がとてもいい」

「ありがとうございます、紗羅様」

「言ったはずだ、様づけはいいと」

「ごめんなさい、つい」


「螺子、聞いて」


 僕の中でサラが話しかけてくる。

 静かにしてくれ、サラが何を言おうと僕は僕なんだから。


 僕が生まれた時から、サラは僕の中にいたんだろうか。この世界に来たことでサラが目覚めたのだとしたら。

 脳裏をよぎるサラの裸身。

 彼女の顔が赤く濡れ、見えないのは何故なのか。


「螺子、手が止まっている」


 うるさいな、紗羅の奴。


 聞かされたことが本当なら。

 紗羅は数百年もの間生きている。同じ姿のまま、サラの生まれ変わりを待ち続けて。死に生まれ変わるまで、紗羅は何を考え過ごしてるのか。

 ロイドと新月の女神セレス。他の住人がいない世界で寂しさを感じたことはなかったのか。


「紗羅、お前の本当の名は?」

「何故そんなことを?」

「ちょっと……気になって」

「僕のことは少しだけか。お前はルイスのことばかりだな」


 今の、ルイスへの嫉妬か?

 体の中で何かがドクドクと音を立てる。気まずさを感じ紗羅から目をそらした。


「顔が赤いな、螺子」


 そうさせてるのはお前だろ。

 体が熱を帯びる、同じ空気を吸うことさえ苦しい。

 どうしたんだ、僕は。

 わかってるはずじゃないか、男が男を愛するなんてどうかしている。


「螺子、大丈夫? 部屋で休んだほうがいいわ。連れてってあげる」 


 ルイスはなんとも思ってないのか?

 僕がどうかしてるんじゃ、紗羅が言った何気ないことに過剰に反応するなんて。


「僕が連れていく。ルイス、食べ終えたら片付けを頼む」


 紗羅が席を立ち近づいてくる。

 早まる鼓動と体を巡る熱さ、やめろ……僕に近づくな‼︎


「いいよ、部屋にはひとりで」


 紗羅から離れなきゃ。

 このままじゃ頭がおかしくなりそうだ。


「螺子、私の話を」


 サラが話しかけてくる。

 うるさい、黙っててくれ‼︎


 テーブルから離れようとしてもつれた足。

 僕を受け止め、引き寄せた腕。


「気をつけろ。大丈夫か、螺子」

「……っ‼︎」


 同じ顔を前に息がつまる。

 離れなきゃいけないのに……力が入らない。


「歩けるか? ゆっくりでいい。ロイド、僕が戻るまでここで待て」


 グルル……


 紗羅に支えられながら歩く。

 跳ねるような鼓動、嫌だな……紗羅に気づかれていたら。開かれたドアの先、見えるのは誰もいない廊下。

 振り向いてルイスと目が会った。

 気まずい、ここからは紗羅とふたりきりなんて。


「思いだすな、サラを抱いた時を」


 紗羅の声が僕を包む。

 穏やかで優しい響き、それは僕を体の奥底から疼かせる。


「サラが姫君として担ぎだされる前のことだ。僕達は岩陰に隠れ語り合った。未来の夢……夫婦になり、死ぬまで共に過ごすことを。どちらともなく肌を寄せ合い迎えた朝。あの時は考えもしなかった、サラと離れ離れになる時が訪れるとは」


 僕を支える腕に込められる力。


「サラを抱いたのは一度だけだ。何度考えただろう、城に向かいサラを連れだそうと。サラのためになら死んでもいいと思っていた。サラがいない現実は、僕にとって地獄でしかなかったのだから」


 そんなにもサラのことが。

 込み上げる苛立ち……僕は、サラに嫉妬している。


 よろけるフリをして、紗羅の胸元に顔を埋めた。歩みを止めた紗羅の手が、ゆっくりと僕の背を撫でる。


 何をしてるんだ僕は。

 紗羅から離れなきゃいけないのに。

 息苦しさと気持ちの昂りが僕を狂わせようとする。サラが僕の意識を奪うより早く……自分から紗羅を求めようとして。


「わっ……悪い、体がふらついて」

「嘘だな、螺子は自分から」

「違うっ‼︎ なんで……男相手に」

「愛する男に触れたいと思った。違うか?」

「そんなこと……僕は」

「僕は望む、螺子の温もりを」


 耳元で、紗羅は囁いた。


「螺子、理性を捨てろ。僕は覚悟を決めたつもりだ。僕を受け入れてくれるなら、僕のすべてをかけて螺子を愛し抜こう」


 熱を帯びながらも、紗羅の温もりを感じ取る体。

 離れたくない、この温もりを……永遠とわに。


「螺子、聞いて」


 サラが僕に語りかける。


「お願い、私の話を」


 もしも、理性を捨てて紗羅を受け入れたら。

 僕が感じる悦びはサラのものにもなるだろうか。僕の体を通じてサラは満たされる。それは僕だけの紗羅ではないということ。

 それに……今の紗羅にとって、大事なのは僕なのかサラなのか。


「僕を受け入れながら、頭の中ではサラのことを考えるのか?」


 僕と同じ顔がこわばる。


「僕は嫌だ、サラの代わりになるなんて」

「そんなつもりはない。言っただろう、僕のすべてを賭けて螺子を愛し抜くと」

「思いだすに決まってる。サラが大事だから生まれ変わりを願ったんじゃないか。紗羅は……サラを想いながら僕を抱くつもりか?」

「落ち着け螺子。……螺子の命はサラと同じ。僕にとって、螺子とサラはひとりの人間なんだ。……それに」


 紗羅の手が僕の頬をなぞる。


 頬から滑るように落ちた手が僕の胸に触れた。


「生まれ変わった者達には共通するものがある。それはサラと同じ、短命だということ」


 体の何処かがドクリと音を立てた。

 短命って……どういうことだ?


「サラは自らの命を絶った。それは二十歳になる前のこと。姫君にと担ぎだされたサラ。待っていたのは王との望みもしない結婚だった。子を宿し、産んですぐに……サラは身を投げたんだ。……生まれ変わる者達は皆、二十歳になる前に」

「それじゃあ、僕も……?」


 僕は十七歳になったばかりだ。

 紗羅の話が本当なら僕も、二十歳になる前に死ぬ。


「理性を捨てることに躊躇いがない訳じゃない。だが……後悔したくないんだ。螺子と過ごせる時間が僅かなものならば……同性であれ、すべてを愛したいと」


 長く生きられない。

 父さんへの復讐は果たせないままなのか?

 母さんと羅衣羅にも二度と会えない。

 僕が死んだあと、ルイスはダリアの元に帰れるだろうか。


「螺子、聞いてるか。僕の話を」


 聞きたくなかった、長く生きられない事実ことなんて。僕はこれから何を糧に生きればいい?

 力が……体から抜けていく。


「螺子? どうしたんだ……螺子」


 紗羅の声が聞き取れない。

 意識が……遠のいていく。







 何処だ……ここは?

 月明かりの中、倒れている血塗れの少女が見える。

 灰色の長い髪、血に濡れた顔。




 直感が僕に告げる。

 彼女は……サラだ。

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