新月の女神セレス

第7話

 見えるのは紺碧の夜空、この部屋の壁は透明なものらしい。夜空が反射する白い床と、ルイスと紗羅が向き合うテーブルと椅子。なんだか宇宙そらにいるような感覚だ。

 ふたりの間に見えるものがある。

 水晶、それとも硝子なのか?

 人と同じ大きさの透明な人形、目と唇だけが鮮やかな赤色だ。細やかに刻まれた長い髪とドレスの質感。


「来たか、螺子。そこに座れ」


 紗羅が指したのは、人形と向き合った席。

 テーブルに並ぶ四人分のティーカップ。

 変な奴だな、紗羅は。

 人形にまで飲み物を用意するなんて。


「似合うじゃないか。白は姫君の美貌を引き立たせる色だ」


 気持ち悪いことを言いやがって。

 この服、紗羅の趣味で決められたものなのか? 同じ顔をしてるのが忌々しくなってきた。


 ルイスの顔に浮かぶ戸惑い。

 無理もないよな、僕が姫君と呼ばれてるんだから。何もわからない中僕達は奇妙な世界にいる。


「どういうことだよ、僕が姫君って」

「君達は信じるか? 転生というものを」


 転生……生まれ変わりか。

 母さんから聞いたことがある。世の中には生まれる前の記憶を持つ者がいることを。想像もつかないな、前世の記憶を持ちながら生きる日々なんて。


「僕と出会うため、同じ命を持ち転生を繰り返す者。それが螺子だ」

「……え?」


 ルイスと顔を見合わせた。

 生まれ変わりを繰り返してる?

 僕が? 紗羅に会うために?


「生まれ変わりの証は、灰色の髪と僕と同じ顔。まさか……こんなことになろうとは」


 僕と同じ顔が翳りを帯びる。


「考えもしなかった。僕の姫君が……男に生まれ変わっているなどと」


 紗羅が言うことが本当なら。

 僕は繰り返し、女として生まれ変わってた?


「紗羅様、どういうことですか? 螺子はいつから生まれ変わりを」


 ルイスってば、こんな状況でも紗羅を姫君のように。


「数百年も前からさ。花が消えた砂に覆われた世界。平和の象徴にと担ぎ出されたは僕の幼馴染みだ。宇宙そらを見上げ僕は願い続けた、サラが自由になり僕と共に生きられる未来を。僕の願いは叶えられたのさ、新月の女神セレスによって」


 気のせいか?

 今……人形が微笑んだように見えたのは。


「僕の命はセレスと同化している。セレスが死なない限り、僕は生き続け生まれ変わったサラと巡り合う。何があろうとも……僕達は離れはしない」


 僕を見る目に宿る光、それは紗羅の想いの深さを物語る。それに……見てる夢とはいえ、僕が秘める想いも強いものだ。


 ひとりだけを求め、愛している。


 体の中がやけにざわつく。

 理性を飲み込もうとする情念。ダリアに連れられ、町に訪れた日から……僕は愛する者を探していたのか。


 夢を媒介にして。


 待てよ、見ていた夢が生まれる前の過去の記憶だったとしたら?


「螺子」


 ルイスの声が僕を弾く。


「どうしたの? 怖い顔をして」

「なっ……なんでもないよ。ごめん」

「謝らなくていいわ。紗羅様が話すことに驚いてるのよね。私も同じよ、信じられないことばかり」


 何を考えてるんだ僕は。

 過去が女だったとしても今は違う。男が男を愛するなんて馬鹿げたことだ。

 紗羅の想いなんて……僕には関係ない。


 落ち着こうと手にしたティーカップ。

 甘い匂い、ミルク入りのお茶なのか。


 ——約束してね。


 僕の奥底から響くもの。

 それは可憐な少女の声。


 ——あなたが触れるのは私だけだと。あなたが口づけ、抱きしめるのは私ひとり。


 体が熱を帯びていく。

 心を捕えるのは、理性を壊そうとする欲望。

 彼のすべてを……手に入れたい。



 唇を噛み、正気を取り戻す。


 飲み込まれるな、僕は僕なんだから。

 転生がどうとか関係ないんだ。


「お前は何を考えてる? 姫君を演じ町を訪れたのは何故だ?」

「螺子を見つけるためさ。セレスが僕に告げた、螺子に会える時刻を。同時に、姫君という架空の存在は」


 まただ。

 人形の唇が笑みを浮かべたように見えた。

 気味が悪いな、僕達の話を聞かれてるような気がしてくる。


「住人達を嘲る簡単な方法だ。平和の象徴として姫君となったサラ。もっともそれは、世界を欺く偽りに過ぎなかったが。どれだけ時が流れようと、サラを奪われた憎しみを忘れはしない。サラが生まれ変わり、何度再会を果たそうとも。僕が姫君を演じたのは一度だけではない。サラのためになら……僕は悪魔にもなろう」


 紗羅が秘める愛は大きなものだ。男娼にされかけたなんて絶対に言えないな。発狂どころかダリアを殺しに行きかねない。


 お茶を飲み室内を見回したルイス。

 そういえば……と思う。

 ここに来るまで誰ともすれ違わなかった。訪れた広場、紗羅と一緒にいた男達は何処にいるんだ?


「紗羅、ここは何処なんだ? どうして月が……あんなにも近くに」

「セレスと新月の世界、もうひとつの宇宙そらとも言える」

「紗羅様? それじゃあここは」

「人には見えない世界……と言った所か」

「大丈夫なのですか? 私がここにいても。……螺子と一緒に来ることを望んだとはいえ」

「僕は言った、君は特別だと。ルイスはこの世界の住人だ」


 勝手に決めつけるなよ、僕達には帰る場所があるんだから。ダリアが待っている、母さんと羅衣羅も……きっと僕の帰りを。


「それで? セレスは何処にいるんだ?」

「螺子の目の前に」

「え?」

「水晶の人形、セレスの魂はこの中で生きている」


 唇が動き人形が微笑む。僕が見てたのは気のせいじゃなかったのか。紗羅が話すことといい驚くことばかりだ。


「この世界の住人は、セレスと僕とロイドだけだった。これからは賑やかになるな、螺子とルイスがいるのだから」

「待てよ、広場。お前と一緒にいた男達は」

「彼らの正体はこれだ」


 紗羅が指さした箱。

 蓋を開け見えるのは。


「なんだこれ、粘土?」

「ルイス、必要なものはあるか?」

「そうですね……心安らげるもの。可愛い動物がいいかしら」

「なるほど、これはどうだ?」


 紗羅が粘土を捏ね作りだした丸いもの。テーブルに置かれすぐ、ふさふさしたものが床へと跳ね落ちた。

 真っ白なうさぎだ。


「ロイド、喰い殺すなよ」


 グルル……


 ロイドのまわりを跳ね回るうさぎ。

 あの男達は、粘土を捏ねて作られたものだったのか。となると、紗羅達が乗っていた馬車も。


「気に入らなければ作り直す。生き物を殺す訳じゃない、粘土に戻るだけだ」

「可愛いです、とても」


 ルイスの反応に、満足げにうなづいた紗羅。


「僕達の世界にはどうやって来たんだ」

「ロイドを媒介に。ロイドは無限の闇と繋がっている、どの世界へも向かうことが出来るんだ」


 あの時、僕を捕らえた黒いもの。

 あれはロイドと繋がる闇だったのか?


「ルイス、必要なものがあれば遠慮なく言えばいい。僕に気を使うことはない。様呼ばわりも不要だ」

「そんな、でも」

「螺子と同じように接してくれ。僕は特別な存在ではないのだから」


 ルイス向けられた穏やかな笑み。


「疲れただろう、部屋に戻り休むがいい。ロイド、ふたりを部屋に案内するんだ」







 ***


 与えられた部屋は広く、窓の外には巨大な月が見える。ルイスの部屋は離れた先にある、今は何をしてるだろう。


 服を脱ぎ捨て、鏡に映るものを見る。

 感じ取る艶かしさ。

 気持ちを昂らせるのは転生の記憶なのか、僕の中に息づくサラがそうさせるのか。


 僕の体に重なり見えるサラの裸身。

 それは……嫉妬を感じる美しさだ。

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