第6話
ダリアから離れ、紗羅へと近づいていくルイス。
「ルイス、危な……」
止めようとして思いだす、あいつが言ったことを。
——女を傷つける趣味はないんだ。
何故だろう、あいつが嘘を言うようには思えない。
「あなた……誰?」
「僕達は広場で会っているよ、ルイス」
「紗羅……様? まさか、だって……紗羅様は女の人よ。髪の色は……黒なのに」
答えを求めるよう、ルイスは僕を見る。
見られたって答えようがない。
わかるのはあの日、広場で会った姫君は
ゾワゾワとしたものが僕の中を巡る。
夢の中、誰かを想い続けてる僕。求め続ける愛しい者、それがあいつだったとしたら。
冗談じゃない。
僕のひとりだけの人……それが男だなんて‼︎
「ルイス、何が起きてるんだい‼︎ どうして螺子に似た奴が‼︎」
ダリアの大声に『やれやれ』とあいつは肩をすくめる。
「男なら気を失わせている所だが。螺子は連れて行く、今までのことは夢だと思い忘れていくがいい」
「何言ってるんだい、螺子は大事な商売ものだ。やすやすと渡せるもんか‼︎」
グルル……
黒豹が威嚇の声を上げる。
怯むことなく、あいつへと歩み寄るダリア。
「あんた何者だい? 螺子に妙な真似をしたら」
「ルイスといい、母君といい強いな。螺子を守る女達は。
グウウゥ……
黒豹の体が溶け崩れ、ドロリとしたものになっていく。ゴボゴボと音を立てて酒場を飲み込んでいくもの。見えなくなっていくテーブルと椅子、気を失った客と従業員達。
そして……僕に絡みつくものの強い力。
「なんだよ……これ」
連れて行くって何処へ?
父さんへの復讐はどうなる? 母さん、羅衣羅……もう会えないのか?
「離せ、離せよっ‼︎」
「言っただろう、連れていくと。僕の姫君、手放すつもりはない」
嫌だ。
こんな、訳のわからない奴の言いなりなんて。
僕は……僕の自由を。
「やめて、螺子を連れていかないで‼︎」
ルイスが叫んだ。
闇に飲まれ姿は見えない。それでもルイスは僕を助けようとする。駄目だルイス、僕のために無茶をしないでくれ‼︎
意識が遠のくのを感じる。
強い力が僕を締めつけて。
「連れていくなら私もよっ‼︎ 螺子を傷つけるのは許さない、絶対に」
ルイス、何処へ連れて行かれるかわからないのに。
「いいだろう、心優しき者。君は特別だ」
穏やかな声が闇に響く。
瞼が重い。
抗える力が……僕には。
「ルイス、螺子を守るんだよっ‼︎」
遠く響くダリアの声。
「待ってるからね、お前達の帰りを。帰ってきたら見たこともないご馳走を」
口元が緩むのを感じる。
食べることばっかりだな……ダリアってば。
金の亡者じゃなければ、母さんと仲良くなれたかもしれない。だって、母さんも食べることが好きだったんだから。
——螺子、羅衣羅、沢山食べるのよ。食べることは生きる源なのだから。何があっても、食べられるうちは大丈夫よ。
闇の中、浮かんで消えた母さんの笑顔。
意識が……揺らいでいる。
目が覚めたら……僕は……
新月の光が照らし見せるのは愛しい者の影。
彼は空を見上げている。
——サラ、僕の姫君。
彼の声を飲む夜の闇。
——何度でも僕は願おう。サラと共に紡ぐ未来を。僕達の想いはいつか、この世界に花を呼び寄せるだろう。咲き乱れる花は君の美しさを引き立てる。何があろうとも……僕達の愛は揺らぎはしない。
彼が振り向いた。
向けられた優しい笑み。
ゆっくりと、彼に手を伸ばす。
触れた手が離れないことを願いながら。
「螺子。起きて……螺子」
ルイスの声が聞こえる。
朝が来たのか。
起きなくちゃ……めずらしいな、ルイスが起こしに来るなんて。いつもなら、ダリアのけたたましい声が僕を包む。
夢を見ていた。
いつもよりもはっきりした夢だった。愛しい者が……僕に振り向いて。
「螺子、螺子ったら」
「起きろ、螺子」
ルイスのあとに続く男の声。
見えるのはルイスと、傍らに立つ紗羅と名乗る男。それから……真っ白な天井と知らない部屋。
「何処だ……ここ」
「随分と寝起きが悪いんだな、ルイスはすぐ目覚めたというのに。信じられない、お前が僕の姫君だとは」
だから、男を姫君と呼ぶなって。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
「ルイスは? 僕のために無茶を」
『平気よ』と微笑んだルイス。
「言ったでしょ? どんなことになっても私が責任を取るって。女は度胸、私とお母さんの口癖よ」
「螺子、まずは着替えてもらおうか。見窄らしいものを平然と着こなすとは」
「着たくて着てるんじゃないわ。これはお母さんが」
「君の母君は何を考えている。あの日の驚きは忘れられない。まさか……僕の姫君が物乞いの姿で現れるとは」
——これは……驚いた。
広場での出会いを思いだす。
あの時、平然としていたように見えたけど。僕の姿に動揺してたのか……こいつは。
「ルイス……紗羅と話したのか? 僕のことを何か」
「まだよ。螺子が起きたら話してくれるって」
「着替えが先だ、ルイスと共に待つ。ロイド、螺子の案内を頼む。僕達が待つ場所へ」
グルル……
随分と洒落た名の黒豹だ。
しかもこいつは体を溶かすことが出来る。
下手に抵抗は出来ないな。
何をされるかわかったもんじゃない。
この世界にはルイスがいる。ふたりで力を合わせればなんとかなるはずだ。紗羅の話を聞いてからどうするかを考えよう。
汚れた服を脱ぎ、用意されたものを手に取った。黒ずくめの紗羅と対象的な真っ白な服。
鏡に映る僕の体、艶かしく見えるのは何故だろう。見慣れたものなのに熱を帯びるのを感じる。
——僕の姫君。
紗羅のせいだ。
僕を姫君なんて言うから。
それに見続ける夢、出てくるのはあいつなのか?
「僕は僕だ、あんな奴に……振り回されやしない」
手早く服を着て鏡から目をそらす。
体が感じた熱はまだ冷めない。
グルル……
僕を見透かすようにロイドが鳴いた。
ロイドのあとを追い歩くのは、白い壁と赤い絨毯に覆われた廊下。窓の外に見えるのは紺碧の星空とほのかに
僕達の他歩く者は誰もいない。
妙な所だな、紗羅の世界は。
何かの物語に入り込んだような感覚。これが夢の世界だったなら……ダリアに買われていなければ、空想好きの羅衣羅に話してやりたかった。
僕達が見上げる月には、巨大な穴がいくつも空いているのだと。
ロイドが足を止めた扉の前。
この中にふたりはいるんだろうか。
グルル……
『開けろ』とでも言うようにロイドが鳴いた。
僕を見上げるロイドの目、蒼い輝きは何かの宝石を思わせる。
「ロイドは知ってるのか? ……これから僕が聞かさせること」
問いかけてすぐに首を振った。
どうでもいいか、そんなことは。扉を開いた先に答えがあるんだから。
グルル……
「せかすなよロイド。今……開けるから」
緊張を遠ざけようと息を整える。
扉を開けて見えた紗羅とルイス。
次章〈新月の女神セレス〉
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