ラストロマンティック

第21話

 部屋の中。

 鏡に映るのは黒いドレスを纏う僕。


 新月の世界に帰ってから緩やかな時が過ぎる。

 カナメはロイドの中で待つ、僕と紗羅の別れの時を。紗羅は気づいてるだろうか、ロイドの蒼い目が微かな紅みを帯びていることに。


「ドレス、螺子にぴったりね」


 ルイスが感嘆の声を上げる。


「背の高さ、僕と紗羅は同じだから」


 僕がドレスを纏うなんて思わなかった。ドレスを着させてほしい、紗羅にそう言ったのは僕だけど。



 目を覚ましたあと、ルイスを交え紗羅と話し合った。

 フルームで知ったこと。空夜と麻莉亜の存在と、カイトの前にセレスが現れた理由。セレスを飲み込もうとするのは、湖に棲んでいた神と呼ばれる者。 


 カナメのことは話さなかった。

 セレスに気づかれてはいけない。闇を媒介にこの世界を見ていたカナメ、その目的がセレスを飲み込むことだとは。

 闇はすべてを飲み込んでしまう。

 水晶が硬く、セレスを護る力を秘めていても。

 闇を前に抗えはしないだろう。


 そしてカナメ。

 彼女が告げたことは僕を驚かせた。


 ——カイトとサラを新たな運命に導いたあと。私はセレスと共に眠りにつくつもりだ。まやかしの存在が人の運命を変えるのだ、それ相応の報いは当然だろう。サラが命を捨て、カイトが叶えた願い。それは……長すぎた夢物語。


 夢物語か。


 カナメは随分と綺麗な言葉で……ふたりを。


「何してるの、螺子。口紅」

「いいよ、そんなの」

「ドレスが引き立つわ。ほら、彼のためじゃない」


 赤く濡れた唇。

 鏡に映る顔がやけに艶かしい。


「これが……僕か」


 違う誰かを見るような錯覚。

 理性を捨てられる、そんな気さえしてくる。


「行ってくるよ、紗羅の所へ」

「すべてが終わったら、私も忘れちゃうのよね。紗羅のことも私がルイの生まれ変わりってことも。ドレスを着た螺子だけは覚えていたいのに」

「ルイス、僕のこと面白がってる?」

「女の私より綺麗なんだもの。……行ってらっしゃい、螺子。素敵なひと時を」


 ルイスに背中を押され紗羅の元へ向かう。

 履き慣れないヒールに苦戦しながら。


 ——僕の姫君。


 紗羅の声が僕の中を巡る。

 胸の高鳴りと同時に浮かぶ欲望。本当に、彼のすべてを手に入れることが出来るなら。


「それにしても」


 ヒールの履きにくさは想像以上だ。

 女ってのは、なんだってこんなものを。


「螺子」


 僕を呼ぶ声にどきりとする。

 紗羅が立っている。

 部屋から少し離れた場所で。


「……紗羅」


 体が熱を帯びる。

 初めてのドレス。

 自分から頼んだこととはいえ、見られるのが恥ずかしい。


「どうして、ここに?」

「迎えに来たに決まってるだろう。螺子のことだ、ヒールに苦戦すると思ってな」


 差し出された手。

 僕を気にかけてくれたんだ。


「綺麗に着こなしている。ルイスが手伝ったのか?」

「違うよ、ルイスは何も知らない。こんなこと、口が裂けても言えるもんか」

「彼女には言えない秘密を、僕と」


 嘘をついた、ルイスは何もかもを知っている。


 ドレスを着させてほしい。

 紗羅にそう言ったのは、話し合いが終わったあと。紗羅とふたりきりになった時のことだ。

 理性を捨てる覚悟が出来た。僕のすべてを受け入れてほしい……そう付け加えて。


 紗羅を騙すことに心が痛む。

 だけどもう……決めたんだ。


「さぁ、螺子」


 ドアが開き入った部屋。

 僕が与えられたのと同じ白で統一された部屋。テーブルの上に並ぶふたつのティーカップ。


「お茶、淹れてくれたのか」

「螺子を落ち着かせるため。違うな、落ち着きたいのは僕も同じだ。覚悟を決めた……とはいえ男同士で」


 向き合って座るテーブル。視界に入るベッドが嫌でも僕を緊張させる。きまずさが僕達を包む中、僕はあるものを口の中に含む。紗羅が怪しまないよう、お菓子の形にしたものを。


「螺子、覚悟を決めたのは何故だ?」

「紗羅のためだよ。考えたんだ、長く生きられない中何が出来るかを。ドレスを着ようと思ったのは、その……形から入りたいっていうか」


 言えない。

 紗羅を油断させるためなんて。


 席を立ち、近づいた紗羅。

 つられるように僕も立つ。 


 僕の背中へと回された腕、紗羅の温もりが僕を包み込んだ。胸元に顔をうずめ目を閉じる。


「ひとつ聞いていいか?」


 問いかけながら、紗羅の背中へと腕を伸ばす。

 この温もりを手放さないように。


「過去に帰ってサラに会えたら。何を望むんだ?」

「謝りたい、助けられなかったことを。サラの帰りを待たず城に行くべきだったと」

「取り戻せるとしたら? サラとの幸せを」

「何故そんなことを聞く? 僕の願いは叶えられた。サラは転生を繰り返し僕のそばにいる。今もここに」


 僕はサラじゃない、螺子だ。

 喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 生まれ変わった者を愛しても、紗羅が心の奥底から求めるのは——


 紗羅の手ではだけていくドレス。

 背中をなぞる紗羅の手と耳元に感じる息遣い。それは淫靡な感覚を呼び寄せる。


 今になって気づく。

 サラへの愛は、長い時の中で執着に変化したのだと。生まれ変わった者が何を考えようと……サラと同じ姿をしていればいい。サラの姿で、自分を愛してくれるなら。


 長すぎた夢物語。

 それはいつしか紗羅の悪夢になっていた。

 僕が……彼を目覚めさせなきゃ。


「カイト」


 紗羅の手が動きを止めた。

 どんな顔をしているか、見なくても想像はつく。


「言っただろう、その名は捨てたものだと」

「何度でも呼んでやる。お前はカイトなんだ」

「螺子」

「僕が導いてやる、サラとの……新たな未来に」

「何を言って」


 問いかけを封じるように重ねた唇。

 想像もしていなかった、初めてのキスの相手が男だとは。


 重ねた唇の中、彼が飲み込んだもの。

 それは粘土を捏ね、作りだした彼にだけ効く眠り薬だ。口に含んだもの、飲み込まなかったことにほっとする。


「なんだ? 瞼が……重く」

夢魔カナメの世界でサラに会える。ちゃんと……謝れるよ」


 力を無くした彼が僕にもたれかかる。

 露わになった体に彼の唇が触れた。


「おやすみ、カイト。そして……さよなら」


 天井を黒く染めだしたもの。

 それは生き物のように動き彼へと近づいていく。


 ドレスを整えて部屋から出た。


 寂しさと彼への未練を巡らせながら。








 ルイスは待っていた。

 何も知らないセレスと共に。


 深紅の目の、美しい水晶の人形。

 それが闇に飲まれるのは、カイトとサラが再会を果たしたあと。


「行こう、ルイス」


 ルイスをうながして部屋から出た。

 透明な部屋の外に見える紺碧の宇宙そら。この世界で過ごした夢のような時。それは記憶に残らず消えていく。


「口紅が滲んでる。彼とキスをしたの?」

「うん」

「彼との別れ、選んだことに後悔はない?」

「……うん」


 忘れるまでは悔いを残す。

 ずっと、彼を愛していたかった。


「私が螺子だったら、たぶん同じ選択をするわ。……だから」


 僕の前に立ちルイスは微笑む。


「泣かないで、螺子」


 ルイスが言ったこと。

 僕は……泣いてるのか。


『えっと』と呟きながら、ルイスは背を向ける。


「カナメはちゃんと、送り届けてくれるのよね? 私達を」

「たぶんね」

「大丈夫なの? 家に帰れるかしら」

「あのさ、帰る前に着替えたいんだけど」

「いいじゃないそのままで。ドレスが似合うこと忘れたくないし」

「こんな格好、ダリアに何を言われるか」


 クスクスとルイスは笑う。

 どんな時もルイスは変わらない、その事実が僕を安心させる。



 元の世界で僕を待つのは……自由と未来なんだ。

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