巡る時と空の下
最終話
訪れた教会。
足を運ぶのは何度目だろうか。訪れるきっかけは数年前、ルイスから言われたこと。
——覚えてないの? 約束したじゃない、教会に連れてってあげるって。約束の理由は……思いだせないんだけど。
ダリアに買われてから過ごす日々。
それは慌ただしさと奇妙な出来事で繰り返されている。
物乞いとして過ごしていたある日、ダリアの酒場が何者かに襲われた。
犯人は今も捕まっていない。
ルイスと共に攫われた僕。
不思議なのは、町に帰るまでのことを何ひとつ覚えていないこと。犯人と接し話をしてたはずなのに。
——私は犯人に怒鳴りつけたんだ。なのに見た顔を思いだせずにいる。今も犯人がわからないなんて悔しいったらありゃしないよ。
ダリアは今も悔いている。
自分がそばにいながら僕達が攫われたことを。
奇妙なのはそれだけじゃない。
僕の中で不意に込み上げる寂しさ。何か……大切なものを無くしたような。
「螺子、見てあの子達」
ルイスに言われるまま目を向けた先、無邪気に笑い合う子供達が見えた。
男の子と女の子。
女の子の髪は僕と同じ灰色だ。
「珍しいな、僕と同じ髪の色か」
「あの子の顔、螺子に似てると思わない?」
「どうかな、あの子のほうが美人だと思う」
「カイト、サラッ」
背後から響く声。
振り向いて見えたのは、教会から出てきた老夫婦。
「お爺様、お祈りは終わったの?」
老人に駆け寄った男の子が声を弾ませた。
あの子がカイトだろうか。
あとに続いた女の子の悲鳴。
老夫婦に駆け寄ろうとして転んだらしい。『大丈夫?』と近づいていくルイス。
「すみません、サラがご迷惑を」
老婆が話しかけてきた。
柔らかで、優しさに満ちた顔つき。
「可愛いお孫さんですね」
「いえ、違うんです。あの子達は」
老婆は微笑む。
「引き取って育てているの。何処で生まれた子かわからないまま。兄妹なのか、他人なのかも知らないんです」
「どういう……ことですか?」
「何年か前、主人が見たんです。ふたりの赤ん坊が
眠ってたのか。
本当にあるんだな、予知夢……あるいは正夢と呼ばれるものが。蝙蝠か、夢を操る者にしては随分と気味が悪い。
「息子達と話し合い、引き取ろうと決めたんです。あの子達が大きくなるまでは、主人も私も元気に過ごさなければ」
「サラッ‼︎」
カイトが近づいてくる。
子供とは思えない真剣な顔つきで。
「この子は大丈夫よ、怪我はないみたい」
「よかった。ありがとう、お姉さん」
ルイスに向け、カイトは頭を下げる。
育ちの良さを感じられる態度。大切に育てられてるんだな、あの子達は。
「行こう、ルイス。馬車を待たせてる」
ルイスをうながして教会から離れた。
向かうのは僕の故郷フルーム。
数日前、羅衣羅から届いた手紙。見せたいものがあるから来てほしいと。
それにしても。
「カイトとサラか」
「どうしたの? 螺子」
「何処かで聞いた名前だなって。……気のせいかな」
振り向いて見える遠のいた教会。
これから先、通う中でまた会えるだろうか。
幸せに包まれたあの子供達に。
報酬を払い乗り込んだ馬車。
「螺子、お腹が空いたでしよ? これお母さんから」
ルイスから渡されたのは、肉と野菜のサンドイッチ。
それとダリアが勧めてくる極上のワイン。ご丁寧にもチーズとナッツのつまみ付きだ。
——どうだい、螺子。お前も二十歳になったんだ。私と一緒に飲み明かそうじゃないか。
酒場の手伝いを始め、ダリアに酒を勧められてからそろそろ一年が過ぎる。
酒を飲もうとは思ってなかったけど。
「少しだけはいいか」
グラスに注がれたワイン。
ゆっくりと口に運ぶ。
「どう? 初めてのワインは」
「よくわからないな、どう味わえばいいんだろう」
「少しずつわかっていくと思うわ。正直な所、私もよくわからないのよね。お酒の良さが」
ルイスはペロリと舌を出す。
酒場の女主人、その娘とは思えない反応に苦笑する。
窓の外に見える町。
フルームで僕を待つ母さんと羅衣羅。
***
「お兄ちゃんっ‼︎」
夜が近い夕暮れ時、羅衣羅の弾む声が僕達を出迎えた。家の中を包む母さんの料理の匂い。
父さんは相変わらず家を出たままか。
「羅衣羅、僕に見せたいものは」
「これだよ、見て?」
渡されたのは一枚の絵。
黒いドレスの姫君と彼女に寄り添う者のうしろ姿。ふたりが見上げるのは紺碧の
「すごいな、これ羅衣羅が描いたのか?」
「うん。夢の中でね、お兄ちゃんが話してくれた世界なの。いっぱい練習して、綺麗に描けるようになる。それでね? 素敵なお話を書いてみたいんだ」
「書けるよ、羅衣羅なら」
空想好きの妹。
僕の想像もつかない世界を描いていくだろう。
「それとね。これ、お兄ちゃんとひとつずつ」
羅衣羅の手の上の、真っ黒なふたつの粒。
「なんだ? これ」
「花の種だよ」
「……花?」
世界から消えた花と呼ばれるもの。
鮮やかで美しい彩り、今を生きる誰ひとり見ることは出来ない。
「どうして、羅衣羅がこれを?」
「夢の中で蝙蝠がね」
また蝙蝠か。
老婆から聞かされたことといい、今日は妙なものと縁があるな。
「私にくれたんだよ。『私達の命が形を変えるもの。大事に咲かせなさい』って」
「不思議なのよ、螺子」
母さんが近づいてきた。
テーブルに並ぶ料理と飲み物。
ルイスは夕食の準備を手伝っていた。
「目が覚めた時、羅衣羅の手に握られていたの」
「種が……本当に?」
「お兄ちゃん、明日一緒に撒いてみようよ」
手を伸ばし触れた種。
一瞬、僕の脳裏を掠めたもの。
それは紅い目の蝙蝠と水晶の人形。なんだ今の……夢に見たものを思いだしたのか?
「お兄ちゃん?」
「わかった。朝ご飯を食べたら庭に撒こう」
「楽しみだね、どんな花が咲くのかなぁ」
嘘みたいだな。
花を最初に取り戻すのが僕の故郷だなんて。
夕食を食べ終えて、ルイスと紺碧の空を見上げる。
「綺麗ね、私の町より星が澄んで見える」
「冬はもっと綺麗に見えるんだ。小さな頃は」
母さんと一緒に空を見上げていた。
朝も夜も、あの頃は未来が楽しみでしょうがなかったんだ。
「螺子、ひとつ聞いていい?」
空を見上げたままのルイス。
「どうするの? 私達と家族になるかどうか」
そのことか。
ルイスに聞かれるたびに返していなかった答え。
僕にとって母さんはひとり。
ダリアを親と思うのは抵抗がある。だけど母さんと羅衣羅。ふたりはルイスを家族のように受け入れている。
「家族っていろんな形があるじゃない。たとえばそうね、私と螺子が夫婦になるとか」
「冗談じゃないよ、ルイスの尻に敷かれるなんて」
「私、いい奥さんになると思うけど?」
そんなこと考えなくてもわかる。
ダリアに買われてからずっと……僕達は一緒にいたんだから。
脳裏に浮かぶ教会で見た子供達の残像。
カイトとサラ。
ふたりの幸せそうな笑顔。
「螺子? どうして泣いてるの?」
泣いてる?
僕が?
心の中がやけに温かい。
何かが報われたような。
「……ルイスの尻に敷かれ、ダリアにこき使われる。僕の災難はまだまだ続くのか」
「螺子ったら、私もお母さんも」
「わかってるよ、ふたりの優しさは。だから考えたいんだ、ふたりと過ごすこれからの未来を。考える時間はいくらでもあるんだから」
僕達を包む夜の闇。
見上げる紺碧の空。
一羽の蝙蝠が、月へと羽ばたいた。
〈微睡みの新月、遥かなる抱擁・完〉
微睡みの新月、遥かなる抱擁 月野璃子 @myu2568
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