第17話
空夜の手から離れ、湖の上を漂う棺。
陽に照らされた
ピシャンッ‼︎
水飛沫が棺を覆い、ゆっくりと飲み込んだ。
深い、水底へと——
「麻莉亜、僕は旅に出ようと思う」
石が作りだしたもうひとりの麻莉亜。空夜を見る深紅の目。
「僕が
フルームから離れ、ふたりは旅を続けた。
花が消えていく世界の中を。
何故花が消えたのか、見知らぬ人達のざわめきを何度も耳にしながら。
麻莉亜が子を宿し、空夜が住処と決めたのは、数々の店が並ぶ町。空夜は働き続けた、神の力に頼ることもなく。麻理亜と生まれてくる子供を守るために。
麻莉亜と紡ぐ幸せの中。
生まれたのは、空也に似た男の子。
穏やかな日々の中、息子の成長を空夜は喜んだ。
「息子よ、お前に沢山の幸せを。お前が家族と友に恵まれた日々、僕は願い続けよう」
空夜と麻莉亜が老いていく中、息子が授かったひとり娘。彼女はサラと名付けられた。
幼くも美しい孫娘に、空夜は語りかける。
「世界から消えたものがあるんだ。花と呼ばれる、美しく可愛らしいもの。僕は夢を見ようと思う。いつかの未来……咲き乱れる花の中でサラが笑うのを」
「こっこんにちはっ‼︎ 僕はカイトといいます」
サラの隣で、空夜に頭を下げた少年。
「道に迷った私を、カイト君が助けてくれたの。それにね、ほら」
空夜へとサラが伸ばした手。
手のひらに見えるのは少しだけの木の実。
「カイト君がくれたんだよ、美味しいものだって。あのね、なんでもいいの。私……カイト君にお礼がしたい」
サラの真剣な顔を前に、空夜は顔をほころばせる。
「そうだな。……これを彼にあげようか」
空夜が手にした小さな袋。
「カイト君、手を出してくれ」
「はいっ。こうですか?」
空夜へと、カイトが伸ばした手。
袋から出されたのは、深紅の石。
首飾りについていたもの、割れ砕けた石のカケラだ。
「これをお守りに。君に何かがあった時、これが助けになるだろう」
「綺麗な石、私も欲しいな」
「これしかないんだ。サラにはそうだな、何かあるだろうか。……麻莉亜」
空夜に話を振られ、困ったように麻莉亜は笑う。
カイトと顔を見合わせ、クスクスと笑ったサラ。
「ごめんなさい、欲しいなんてもう言わないわ。カイト君と一緒に大事にする。だから困らないで、お爺様」
続くと思われた静かで幸せな日々。
それを終わらせたのは、空夜が耳にした神の声。
モウスグダ、モウスグスベテノ花ガ消エル。
「麻莉亜、僕に訪れたよ。君と共に、眠りにつく時が」
家族が寝静まった夜、空夜は家族への手紙を残し麻莉亜と共に家を出た。向かう先はフルーム、彼の運命を変えた湖だ。
高額の報酬と引き換えに乗り込んだ馬車。それは
「麻莉亜、もう少し見ていたかったよ。サラの笑顔を、幸せになっていく姿をね。カイト……僕にはわかるんだ、彼はサラを大事にしてくれる。彼はいい目をしていたよ」
微笑む麻莉亜の顔がひび割れていく。
ひとつ、またひとつと石のカケラが馬車の中に落ちる。
「麻莉亜がいればいいと思っていた。巡り会えた家族……カイト。別れが寂しいのは、彼らと出会えて幸せだったからだ」
空夜は握りしめる。
石を無くした首飾り、錆びついた鎖を。
「神に託された力、僕は少しだけ使おうと思う。夢魔……夢を見守り、時に戒める者を生みだすんだ。僕は願うよ、夢魔に出会う者達が悔いなき日々を過ごせるように」
「ルイス、空夜が生みだしたもの。夢魔だけどさ」
「どうしたの? 螺子」
「夢の中で会ってるんだ。カナメという女、彼女はサラに寄り添っている」
馬車の中から見えだしたフルームの町。
朝が近い薄青色の景色。
空夜にもたれかかった麻莉亜。閉ざされた目、粉々にひび割れた顔が告げるのは——
「今までありがとう、僕もすぐに逝くよ」
麻莉亜を抱き寄せ、空夜は息を吸い込んだ。
「馬車を止めてくれ‼︎ 目的地は近い、ここからは歩いていく」
麻莉亜を抱き上げ、空夜は湖へ向かう。
「寂しいものだな、花が消えた世界は。それでも、思い出の中には花が息づいている」
朝の陽射しが湖を照らす。
空夜が振り向いた先、見えるのはひび割れ朽ちた教会。
「帰ってきたよ、麻莉亜様」
空夜の顔に浮かんだ、少年のような笑み。
湖へと空夜は足を踏み入れる。
強く、麻莉亜を抱きしめながら。
湖が空夜を飲み込んでいく。
静かに波音も水飛沫もなく。
空夜が消えた水面に浮かび見えたものがある。
旅に出る前に、空夜が沈めた棺。それはすぐに見えなくなった。
「あの棺、麻莉亜が迎えに来たのかしら。湖の奥底から……空夜を」
「うん、きっとそうだ」
棺の中で麻莉亜は待っていた。
自分を愛し求めていた少年を。
ゴボ……
ゴボリ……
冷たい感覚が僕達を包む。
何も見えない水の中。ここは……空夜が眠る場所なのか。
カイト?
カイトなのか?
空夜の思念が僕に流れ込む。
見えだした過去のカイト。サラの死後、ひとり訪れていた岩陰。体を貫かれ、血塗れで倒れた姿。それが何故、空夜に見えるのか。
カイトの血に濡れた砂の中、新月が照らし光らせたもの。それは空夜から受け取った深紅の石。
空夜が感じ取ったカイトとサラの絶望。
閉ざされようとしているカイトの意識。
死なせるものか、せめてカイトだけは。
生きろ‼︎
石が光輝き、カイトの前に現れた女神セレス。
彼女を生みだしたのは空夜の想い。あるいは空夜と麻莉亜が紡いだ繋がり、それとも……空夜の中に残っていた神の力なのか。
「新月ニ現レタ女神。ナントイウ美シサダ」
神の嗄れた声が湖の中響く。
「手ニ入レタイ、アノ女神ヲ我ノモノニ。イツカハ飲ミ込ム、我ノ中ニ」
月明かりの中、僕とルイスは湖の跡の中に立つ。
土の中に見える割れた棺のカケラ。
しゃがみ込み、触れたそれはやけに温かい。
「神が眠る棺……か」
「螺子、何か言った?」
「なんでもない、独り言だよ」
セレスが恐れていたもの。
それは遠のいた過去、
新月の女神、セレスを飲み込む時を夢見て。
今……神の生き餌となっているのは誰なのか。
麻莉亜と血が繋がった者、あるいは新たに見つけた者。考えるのはよそう、神のことを考えてる時間なんてない。
「ルイス、僕達がフルームに来てから何日経ったのかな」
「わからないわ、長いこと彼の思い出の中にいた気がするけど」
夢を見るような時の流れを感じていた。
僕達を導いたのは、湖に残る空夜の思念だったのか?
「ロイドの迎えを待とう。……ルイス、話したいことがある」
姉のように温かい人。
出会ってからずっと、僕を見守ってくれた。
ちゃんと伝えなきゃな。
「僕は長く生きられないんだ。たぶん……一緒には帰れないと思う、ダリアの所には」
「どういう……こと?」
ルイスは顔を曇らせる。
悲しげな声が、風に流れ僕を包んだ。
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