第19話

 訪れた睡魔。


 グウウゥ……


 ロイドの威嚇の声が続く。

 何かが、闇の中にいるのか?


 目を覚ませばわかる。

 紗羅の世界に帰ったら……きっと。


 耳元に響く羽音。


 これは……蝙蝠……?








「螺子、起きた?」


 ルイスの声がする。


 見えるのは巨大な月と赤みを帯びた世界。

 ここは——


「誰かしら


 ルイスの問いかけに目を向けた先。

 見えるのは黒と赤が入り混じる髪。


「あれは……カナメだ」

「空夜が生みだした、夢魔……?」


 なんでカナメの世界にいるんだ?

 新月の世界に帰ったんじゃなかったのか?

 ロイドは、何処にいる?


「お目覚めね? 螺子、君の寝起きの悪さは相変わらず」


 カナメが近づいてくる。

 高らかなヒールの音を響かせて。


 彼女の背後に見えだしたサラ。

 身に纏うのは真っ白なドレス、長い髪がやけに艶やかだ。


「螺子と同じ顔、彼女がサラなのね?」

「うん」

「不思議な気持ち、心が温かくなるような」

「たぶん、ルイが喜んでるんだ。母親に会えたことを」


 僕の前でカナメが微笑む。


「知りたかったことを知ることが出来た。私の手助けは役に立てたのかしら」


 カナメが指を鳴らし、浮かび見えた空夜の残像。

 それはすぐに砕けて消えた。


「君達を空夜の思い出へと導いたのは私。彼は私の生みの親、そして……彼の記憶は私の中で生き続ける。サラの願いが叶ったあとも……ずっと」


 サラの手がルイスの頬をなぞる。

 ルイスの目から落ちた涙。


「あなたは螺子を守っていた。あなたがいなければ、螺子は男娼として……私と同じに」


 汚された運命を。


「ルイスは生まれ変わりなんだ、サラ……君の子供の」

「知っているわ、螺子の中で見ていたもの。……それに」


 僕に向けられた目。

 翳りを帯びるサラの顔。それが告げるのは僕の想いを察してのことだ。

 紗羅を愛している、許されはしない想いを。きまずさが僕を包む、サラにどう向き合うべきなんだ? 同じ命を秘める……もうひとりの自分に。


「私ったら、何で泣いてるのかしら」


 ルイスの呟き、その声は掠れ細く響く。


「こんな時に、どうして」


 涙を拭うルイスをサラは抱きしめる。

 優しく、穏やかに。


「ごめんなさい、あなたを育ててあげられなくて」

「……っ‼︎」


 声にならない嗚咽。

 ルイスの顔を濡らす涙、それはボロボロと溢れ続ける。

 慕い続けた母親、ルイが望み続けた温もり。

 僕の中でサラは見守っていたのか、ルイスの中で生きる息子を。


「螺子」


 カナメの声が響く。


「新月の世界に向かう前に聞きたいことがある。確認……と言うべきか」


 確認って何を?

 それよりも。


「ロイドは何処だ? 僕達を迎えに来たはずだ」

「案ずることはない。ルイスに訪れた眠りの闇、それを利用して私は獣の闇に同化した。それだけのことよ」


 紗羅が言ったことを思いだした。闇は何処にでも繋がっている。


「答えてもらおうか、螺子。私がしようとしていること、それが君を導いていく未来。受け止める覚悟があるかどうか」


 カナメが僕の顔を覗き込む。

 覚悟って、カナメは何をするつもりなんだ?


「獣の闇と同化した目的はふたつ。ひとつはカイトを私の世界に呼び寄せること。もうひとつは、セレスを飲み込み彼女の力を手に入れる」

「なんの……ために?」

「決まっているだろう、カイトの命をセレスから解き放つ。そして断ち切るのよ、サラの転生の巡りを」


 そんなことが出来るのか?

 セレスとカナメの目の色は、砕けた石を思いださせる。麻莉亜が空夜に託した首飾り。ふたりを生みだした空夜の力と想い。


「何度でも愛する者と巡り会う。その願いは美しく残酷なものだ。そうは思わないか? 長い時の中を生き続けるなどと」

「お前とセレスも同じじゃないか。長い時を生きてるのは」

「私に向かって理屈か」


 蝙蝠に姿を変え、カナメは僕の回りを飛び回る。その体は、赤、緑、虹色へと瞬時に色を変えていく。


「私とセレスは作りものも同然、与えられた命と時間ときはまやかしに過ぎない。この姿もそうだ、何にでも姿を変える幻。ほら、君と同じ姿にも」


 蝙蝠が姿を変え、僕と同じ顔で微笑む。

 ボロボロの服、物乞いの姿で。


「まずはカイトを呼び寄せ、サラと会わせるつもりだ。セレスを飲み込むのは、ふたりが話し終えたあと。そこでだ、螺子」


 カナメが僕を引き寄せ、耳元に唇を寄せる。

 感じ取る息遣い。


「君に与える選択はふたつ。転生の巡りを終わらせ、生きられるだけの命を手に入れる。もうひとつはサラの願いを拒絶し、残りわずかな命を彼のそばで終わらせるのか」


 この選択が意味するのは。


「短命でなくなるのは、呪縛からの解放だ」

「……解放?」

「強いられた地獄の日々をサラは呪った。生まれ変わった者達が短命なのは、呪いに捕らわれての結果ということ」

「それじゃあ、サラが新たな命で生まれ変われば螺子は」


 ルイスの問いかけにカナメは微笑む。


「そう、呪縛が解け生きたいだけ生きられる。サラを拒絶するなら、この世界に二度と螺子を呼びはしない。カイトとサラを会わせることもないだろう」

「そんな、ふたりを会わせてもいいじゃない。どうしてそんな」


 サラにしがみつくルイス、その姿は母を守る姿そのものだ。


「言っておくが」


 カナメが指を鳴らし、崩れ消えたサラ。


「サラの姿は、君の中にある彼女の思念を具現化させているだけにすぎない。そして私は夢魔、善と悪が共存する存在だ」

「僕がサラを拒絶したら」

「セレスが生き続ける限り、転生の巡りに終わりはない。サラは汚されたまま、そして呪いが解かれることもないだろう」

「ふたりが違う命で出会ったら」

「これまでのすべての記憶が消える。君のことを思いだすことはないだろう。望むなら、ふたりの記憶を君にだけは残してやる。私は慈悲深いからな」


 紗羅への想いの深さはサラには及ばない。

 そばにいた時間もそうだ、サラに比べたら短くて思い出にもならない。

 だけど、ダリアに買われてから見続けた夢。僕と紗羅は出会うべくして出会ったんだ。


 それに紗羅は言ったんだ、僕とサラはひとりの人間だって。カナメの声になんて……耳を貸すもんか。


「螺子、大丈夫? 顔色が」

「なんでもないよ、少し疲れただけだ」

「私への答えを、螺子」


 答えなんて決まってる。

 僕は紗羅と出会うために生まれてきた。

 だから選ぶんだ。

 サラの願いより、僕の想いを——


「……っ」


 声が詰まる。

 カナメの問いかけ、答えれば終わるんだ。

 僕にあるのは、限られた時の中の紗羅との未来。


 なのになんで……答えられない?

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