悪魔の証明
「シャチョウ…
「え、何何ぃ?シャチョウ、何かやらかした?」
「あ、パーティーの後はあの方、紳士的でしたよ?すごく具合が悪そうでしたし、お店で休んで帰ると仰るのでお店の前までお連れしてそこでお別れしたんです。でも次の日から頻繁にお電話いただいて食事に誘っていただいて…私もこれからよろしくお願いしますって言った手前無下にはできないんで何度かお食事させていただいたんですが、毎回、何ていうか…」
「あ、シャチョウ、ずっと口説いてるんだ」
言い淀んだ秋穂先生の言葉を、冬星がニヤッとした顔で補う。そこまで聞き、硯徳にも鼻息の荒い纐纈の姿がありありと想像できた。婚活パーティー以来、纐纈は秋穂先生を恋人候補としてずっとロックオンしているのだ。そして何度か食事に行ったと聞き、胸にチクッとした痛みが刺した。
「先生、その言い方だと気乗りしてなさそうだな。となるとさあ、いっそ彼氏ができたって言ったらどうよ?いや、もう彼氏作っちゃおうよ!スズなんかどお?スズと先生はどうなってんの?」
冬星が勝手に話を進め、硯徳の方に話を振ってくる。その場の人間の目が一斉に硯徳に向く。
「え?いや、どうなってるも何も、先生とお会いするのはあの日以来だよ」
期待されるようなことは何もない、という意味を込めて硯徳が言うと、隣りの
「何やってんだよ。青年会からも一組くらいカップリングしなくちゃ、立つ瀬ないじゃん」
青年会の立つ瀬をなぜ自分が引き受けなければいけないのか、と硯徳が大悟に苦情を言おうとすると、反対側から秋穂先生の明るい声が飛ぶ。
「私もね、スズさん、連絡くれないな~って、ちょっと寂しく感じてたんです!なので今日はおめかしして出て来たんですよぉ」
そう言う秋穂先生を改めて見ると、暗色のブラウスに枯れ葉色のカーディガンを羽織り、カーキ色のロングスカートを履く姿は大人の秋の装いで、心なしか化粧の色も前回よりも濃い感じがする。ほのかに香る香水が、硯徳の心を疼かせた。
「おー!いい感じじゃん!俺らお邪魔でしたね~」
硯徳の肩をポンポンと叩きながら言う大悟の言葉に、そんなそんなと秋穂先生が手を振る。
「みなさんにもお会いしたかったですよ~」
困り顔で言い繕う秋穂先生に、何か言い添えなければと硯徳が口を開きかけた時、ガシャンと大きな音を鳴らして背後から
「イジメの話、しないとでしょ?」
先生が来る前に打ち合せをしていたのを聞いていたのだろう、空いた食器を下げながら、杏夏がポソッと一言呟いていく。食欲が無いのだろうか、杏夏自身の食器の中のチャーハンは全然減っていなかった。
「え、イジメ…?」
秋穂先生の眉が上がり、探るような視線を硯徳たちに向ける。杏夏の落とした小さな爆弾が、浮わつきかけた店の空気を再び冷えさせた。
「火傷の跡が……」
銭湯で見た
「翔がクラスでイジメられてる…なんてことは…?」
大悟が身を乗り出して聞く。誰かが切り込まなければ先生を呼び出した意味がない。大悟がイジメという言いにくいキラーワードを出してくれ、秋穂先生も自分が呼ばれた理由が分かったのだろう、鎮痛な表情で瞼を閉じ、しばらく逡巡するような間を開けた。重い沈黙が下りる中、先生以外の三人はおずおずと自分のグラスを口に運ぶ。やがて先生がパッと顔を上げ、カウンターに座るの三人を視界に入れた。その目には強い意志が宿っているように見えた。
「うちのクラスに、イジメは絶対にありません。と、担任としては言いたいんです。でも、絶対ないなんて言えるのかと、しばらく考えていました。子どもたち一人ひとりの顔を思い浮かべて、やっぱり、イジメはない、と私は言いたいです」
そこまで言うと、先生はグラスを持ち、コクンと一口飲んだ。そして眉を曇らせ、呟くように言う。
「でも、私のクラスのことを知らないスズさんたちには、それが本当かどうか分かりませんよね?私もできることなら証明したいんですが、そのやり方が分かりません」
そしてグラスをコースターに乗せ、両手を膝の上に置いた。次に誰かが何かを言うのを待つ構えだ。
「オレもさ、子どもたちを指導してる立場として、その子たちがイジメをしてるって言われたら絶対にないって言うと思う。だから先生の気持ち、分かるよ」
冬星が沈黙を破って口を開くも、そこで口を噤み、イジメがあるともないとも決められずに立場を彷徨わせた。担任がないときっぱり言っているのだから、学校部外者の硯徳たちとすればそれ以上切り込む術はなく、後は先生の言葉を信じるか信じないか、だ。
「悪魔の証明ねえ…」
カウンターの中から、薫ママが嘆息しながら言った。イジメがあるという証明よりも、ないことを証明する方が難しい。そのことは、学習塾で子どもたちに教えている硯徳にも想像できた。カウンターに座る四人に再び沈黙が下りる中、BGMのジャズに混じって杏夏の食器を洗い出したカチャカチャという音がやけに耳障りに聞こえていた。このタイミングで?と硯徳は思ったが、杏夏もカウンターの向こうから硯徳たちのやり取りに耳をすましていたのだろう。話が膠着したので、自分の仕事をし出したのだ。
「これはさ、本当は言ったらダメなことなんだけど……」
そんな中、口を開いたのは薫ママだった。何を話し出すのだろうと、全員の視線がママに向く。
「いやね、あたしらみたいな客商売って、酔ったお客さんから普段では言わないような打ち明け話を聞くこともあるじゃない?それをさあ、ホイホイ他の人に話すのは信用に関わるんだけどさ、あんたたちの話してることってショウちゃんの将来にも関わる重大なことじゃない?確認なんだけどぉ、ショウちゃんが誰かに怪我させられてるのは確かなんだよね?」
薫ママがカウンターの四人に視線を流し、目が合った硯徳と大悟が深く頷く。
「間違いありません。翔は、誰かから火傷を負わされてます」
「そうそう!それも見えない場所に傷ができてるんすよ!翔に怪我させてるやつは、間違いなくバレないようにやってるんす!」
硯徳と大悟の言葉を聞き、薫ママは一つ首肯する。
「ダイゴちゃんだけならそそっかしいからちゃんと確かめなきゃって思うとこだけどぉ、スズちゃんも言うんなら間違いないわね」
ちょっと!と大悟が立ち上がり、薫せんぱ~い、と甘えた声を出す。空気が少し弛緩する中、薫ママが話し出した。
「
薫ママがそこで一旦区切り、大悟がえっと声を上げる。
「店が原因じゃないって、道久さん、店のことは落ち込んでないんすか?」
「ううん、もちろん落ち込んでると思うわよ。でも営業ができなくなっていろいろ考える時間ができて、元々悩んでたことが大きく頭の中を占めるようになったのね」
道久の悩み…きっとそれが翔の傷に関連しているのだろう、硯徳も薫ママが話し出したわけが分かり、身を乗り出す。
「一体、道久さんは何を悩んでるんですか?」
「うん…それが…」
薫ママがそこでまた間を置き、カウンターの四人が皆、前のめりになる。
「実はね、
一瞬、店の中がシーンとする。杏夏も洗い物を止めて薫ママの話に聞き入っている。ジャズは鳴っていたが、その旋律は耳に入ってこなかった。
「いや、それっておめでたい話じゃないっすか!」
やっと大悟が突っ込みを入れ、思ったことが間違いじゃなかったという安堵の空気がカウンター席の面々から流れる。
「そうね、そうね。もちろん、それが悩みなんじゃないわ。でも、ここからは本当に
薫ママが全員の顔を見回し、皆、真剣な顔で頷く。杏夏も薫ママの隣りでコクコクと首を振っていた。
「分かった、信用するわ。実はね、ショウちゃんと道久さん、血が繋がってないらしいのよ。道久さんの悩みっていうのはね、自分と血の繋がりのある子ができて、今まで通りショウちゃんのことを愛せるかってことなの」
ついに薫ママの口を突いて出た話は、確かに衝撃的な内容だった。てっきり翔は道久と沙織の実の子だと思っていたので、硯徳もかなり意表を突かれた。そしてこのママの話が翔の傷とどう関連してくるかを考え、ザワッとしたものが胸を撫でていく。
まさか、翔を虐待しているのは、道久さん……?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今話の場面イラストです。文章とイメージが違うかもしれませんが、それでもよければ見て下さい。
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