非業をもたらす邪神の笑み

「え……お、男……?」


東海林しょうじは驚愕の目をかおるママに向けて言う。


「男でワリィかよ!お前、いい度胸してんなあ?」


 薫ママからメラメラと殺気が沸き立つのが伝わってくる。東海林は薫ママの手を振り払おうとするが、ママの握力が強いのか、東海林のトップスを掴んだ腕はビクともしない。東海林はママの鋭い眼力に固まり、大悟だいごに困惑した視線を向ける。


「俺らのさあ、ずっと上の先輩にすっげー強え人、いただろ?ほら、一時は県内を統一させたっていう」

「あ…ああ、確か、伝説の鬼番長とかいう…」


 急に昔語りし出した大悟の人差し指が、すっと薫ママを指す。


「その伝説の鬼番長本人だ」


 東海林が慌てて薫ママに視線を戻すと、薫ママはにっこり微笑み、


「鬼でーす」


 と可愛らしい声で言う。ええー!と東海林がのけ反り、それに合わせて薫ママが手を放すと、東海林は回転椅子ごと倒れて後ろの壁に激突した。


 普段、薫ママは裏声を駆使して女性の声色を使っている。その音域は完全に女性のもので、ちょっと聞いただけでは男性だと判別できない。猿上町さるかみちょうに住む者なら薫が昔、かなりのワルだったのは有名な話で、アンドレには薫を親分と慕う当時の荒くれどもがひっきりなしに訪れ、その頃の薫の権勢を垣間見ることができるのだが、薫の女装姿は線も細く美麗で、他の町から来た者には女性にしか見えないのだった。


「そ、そんな…まさ、まさ、まさか……」


 ぐしゃりと床に身体を叩きつけながら、起き上がれない亀のように手足をバタバタさせる。やれやれ、と大悟が椅子から立ち上がり、東海林に手を貸して助け起こしてやる。


「薫先輩に目をつけられたやつは、五体満足にはその後の人生を送れないっていうぜ?悪いことは言わない、謝んな」


 大悟の言葉に東海林はそのまま床に正座すると、


「す、すみませんでしたあ!」


 と頭を床に擦り付けて謝り、そのままドアまでズリズリと後ずさる。そしてドアの前で立ち上がり、店にいる面々を見回すと、


「お、お前ら、覚えとけよー!」


 と、絵に描いた敵モブキャラのような負け犬の遠吠えを吐いて階段を駆け下りていった。大悟と硯徳すずのりは呆気にとられて薫ママとしばらく顔を見合わせていたが、


「あいつ、今日は散々だったな」


 と大悟がポツンと言った一言で、店内は笑いに包まれた。





 やがてバー・アンドレにりく春海はるみが合流し、婚活スタッフ七人に秋穂あきほ先生を加えたメンバーが乾杯のグラスを合わせる。


「私も参加させてもらってよかったのかしら」


 秋穂先生が二つのボックス席に座っている面々の顔を見回しながら不安げに言うと、


「いいんですいいんです、何なら僕と二人でカウンターに移ります?」


 と纐纈こうけつがすかさず秋穂先生とツーショットになろうとする。


「シャチョウ~往生際が悪いぜ!ここはみんなで飲もうぜぇ」


 と冬星とうせが自分のグラスを持って立ちかける纐纈を制し、纐纈はチッと分かりやすく舌打ちした。


「でもさあ、七組って上出来じゃね?」


 カップリング結果を聞いた大悟が嬉しそうな声を上げ、スタッフたちが口々に今日の感想や反省点を話し出す中、硯徳は若干の居心地の悪さを感じていた。東海林がアンドレから出てから硯徳もボックス席に移り、無事に婚活パーティーが終わったことの達成感を他のメンバーたちと分かち合おうとしていた。そこへ秋穂先生が硯徳の隣りにぴったりと着き、常に秋穂先生の隣りを確保したい纐纈が硯徳と反対側の先生の隣りに着いた。なので硯徳が先生の方を向くと彼女の顔越しに纐纈の睨む顔がチラチラと視界に入る。纐纈は顎を突き出し、仕切りにこっちを向くなと合図を送ってくる。硯徳は仕方なく先生と反対側を向いて大悟や冬星たちと話すのだったが……



 硯徳がビールを飲む。秋穂先生もビールを飲む。纐纈が焼酎の水割りを飲む。最初はその連動に気づかずにいたのだが、二回三回と続くと、さすがに気になってくる。まさかなと思いながらも、秋穂先生を視界の端に入れながら頭を掻いてみた。すると秋穂先生も髪をかき上げる仕草をする。からの、纐纈も毛量の少なくなってきた頭髪を撫でる。硯徳が鼻の下を指で擦ると、秋穂先生も鼻の下を擦る。そして纐纈も鼻の下を擦る。間違いなく、三人の仕草が連動していた。


 それは、諸月もろつきが相手の気を引くために教えてくれたミラリングという手法。さり気なく気になっている相手の仕草を真似、意識をこっちに持ってくるテクニックだ。きっと纐纈は律儀にそれを実行しているのだろう。秋穂先生は途中でそのことに気づいたのだろうか、彼女はあからさまに硯徳の仕草を真似ていた。いくら気づかないふりをしていても、さすがに同じ仕草が三人続くと目立ってしまう。


「あれあれあれえ?何かさ、そこの三人、ずっと同じポーズしてない?」


 ついに硯徳の向かいに座っていた冬星が気づき、そこに言及してきた。全員の視線が三人に向く。


「え?何何?」


 大悟が聞くと、


「うん、さっきからずっとさあ、スズの仕草を秋穂先生が真似て、それをシャチョウが真似てるんだよ。それって何かのゲーム?」


 と冬星が説明する。纐纈は自分のことを言われたと思って最初アタフタしていたが、冬星の説明でやっと状況が飲み込めたのか、目を丸くして硯徳と秋穂先生を交互に見た。みんなの視線が集中する中、秋穂先生は顔を赤らめ、ペロッと舌を出した。


「バレちゃいました?」


 秋穂先生はいたずらがバレた子どものように笑って誤魔化そうとしていたが、男性陣はその行動の意味を知っている。


「おー!ひょっとして秋穂先生、スズに気があるとか?」


 大悟の言葉に、纐纈がガバッと立ち上がる。


「そんなバカな!」


 そして秋穂先生の顔を覗き込むも、当の先生は顔を赤らめて俯いてしまった。耳まで真っ赤になっていき、それが大悟の言葉を肯定しているように見える。


「いやいやいや、そんなわけないでしょ、僕を差し置いて」


 纐纈が目にしている光景を振り払おと首を振る。


「いや差し置いても何も、シャチョウはとっくに振られてんじゃん」


 冬星がケケケと笑いながら纐纈を指差し、


「トウセ先輩、お行儀悪いですわよ?」


 と春海がたしなめる。


「き、君らみたいにガサツな人間には大人の心の機微は分からないんだよ!」


 現実を認めたくない纐纈は冬星たちに向いて声を荒らげるも、


「ああ?ガサツって誰のことだよ?」


 と、春海の眉間にシワが寄るのを見て、陸が慌てて言葉を挟む。


「ほら、今は楽しくお疲れ会をする場なんだからさ、無粋な話は止めようよ」


 荒れ出した空気を戻そうとした陸の気遣いだったが、その言葉で自分の責任を感じたのか、秋穂先生が申し訳なさそうに頭を下げた。


「ごめんなさい、私がお邪魔したばっかりに、変な空気にしてしまって……」


 そんな秋穂先生の横に纐纈は座り直し、


「いや先生は何も悪くありませんよ、顔を上げて」


 と声をかけるも、いや変な空気にしたのはあんただよ、と突っ込みたくなる気持ちを硯徳は抑え込んだ。秋穂先生は顔を上げると、真摯な目で纐纈を見つめた。


「私、纐纈さんのこと決して振ったわけではないんです。私なんかにずっと話しかけていただき、すごくありがたく思ってます」


 そこでパッと顔を明るくし、言葉を被せようとした纐纈を片手で制し、秋穂先生は言葉を続ける。


「でも私、教師になってずっと子どもたちとばっかり接して恋愛なんかするゆとりなんてなくて、ちょっとそういったことに疎くなってるんですね。今回参加させていただいたのも、水醐堂すいこどうさんの塾に通ってる子どもたちからよくスズさんのお話を聞いていたものですから、一度お会いしてお話してみたかったんです。私、すぐに恋人になるとかは無理かもしれませんが、もし纐纈さんもスズさんもこんな私でよければ、これを期にこれからも交友していただけたら嬉しく思います」


 そう言ってまた深々と頭を下げた秋穂先生の言葉は、この場を収めるのに充分だった。この後三人は電話番号の交換をし合い、纐纈には白い目で見られながらも、硯徳は秋穂先生の番号をゲットした。硯徳も秋穂先生の隣りにいると不思議と居心地の良さを感じていて、ぜひゆっくり話してみたいと思っていた。願ったり叶ったりと、纐纈には悟られないように彼と反対側を向いてゲットした紙をにんまりと見つめた。ふと、視線を感じで顔を上げると、対角線上の席からは杏夏きょうかが冷え冷えとした視線を送ってきていた。




 その後八人は気持ちを新たに酒を飲んで盛り上がった。そして時刻が10時を回ると、陸がそろそろ帰ると言って立ち上がった。陸の実家の八百屋で売られている商品のほとんどは自家で所有している山間の農地から野菜を仕入れているのだが、その仕入れは陸が担当していた。なので彼は曜日を問わず、朝が早いのだ。陸にしてみれば、今日はかなり遅くまで付き合ってくれた方だった。


「いや、明日は月曜だしな、俺たちもそろそろお開きにするか」


 秋穂先生とカップルになれなかったのが面白くないのだろう、悪酔いし出した纐纈に一瞥を加えながら大悟言うと、かおるママがそれを受けてお疲れ会の精算をした。


「え、こんなに安くでいいんすか?」

「いいのよぉ、おもちゃ屋ケンちゃんもツーショットになったみたいだし、可愛い後輩たちのためにも、今日はサービスしとくわぁ」


 薫ママが可憐なウィンクを決め、かなり安くなった飲み代を人数で割り、それぞれが払って外に出ると、湿度の高い空気がモワッと襲ってきた。店々の電気が消え、薄暗くなったアーケードに、薄いもやがかかっている。


「お、今朝は朝霧がかかってんじゃん」


 大悟が扉を出て伸びをしながら言うと、


「いやまだ朝じゃないし、夏に霧は出ないでしょ」


 と、陸が優等生らしいことを言い、怪訝な顔で靄の立ち込んでくる方向を見つめた。


「何か、焦げ臭くないですか?」


 春海が鼻をクンクンさせて言うのに合わせ、皆も辺りの匂いを嗅ぎ出す。


「おい!あっち!あれ、煙じゃねーか!?」


 冬星がアーケードの南側を指さして叫ぶ。見るとちょうどリストランテ・ナナミのある辺りから、確かに黒い煙が立ち昇っていた。


「ま、まさか、火事じゃないよね?」


 纐纈が言ってその場でうずくまり、ゲエエと飲んだ酒を吐き出す。大丈夫ですかと秋穂先生が纐纈の背中を擦り、他の者は皆煙の方へ駆け出す。煙はやはりナナミとそのすぐ隣りのおもちゃ屋ミヤワキの間の細い通路から吹き出していた。


「119番!」


 大悟が叫ぶと同時に、


「私が!」


 と、春海が携帯を取り出す。硯徳はナナミの反対側の通路からテラス側へ駆けた。リバーウエスト商店街の東にはアーケードに沿って木引きびき川が流れており、ナナミにはその川沿いにテラス席が設けられている。建物を回ってそのテラス側へ出ると、すでに火の手がゴウゴウとテラス席を巻き込んでいるのが視認できた。胸が詰まる思いを抑えて目を凝らすと、一人の男が火の手の前に立っているのに気づいた。男は長い銀髪をなびかせながら、片手を高く突き上げていた。その姿はあたかも赤壁の戦いで風向きを変えた諸葛孔明のようだった。


「諸月さん!?」


 火の光を反射して金色に輝く髪を揺らし、天に向けた指をぐるぐると掻き回す仕草をすると、風が河原の方へと流れ出す。ゆっくりと硯徳の方に振り向いた男の顔には黄色い面が張り付いている。その面の漆黒の目と口角をニタッと張り上げた顔がこの世に非業をもたらす邪神の笑みに見えた。遠くからサイレンの音が聞こえ、硯徳の意識はそこで遠退いていった───。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今話の場面イラストです。文章とイメージが違うかもしれませんが、それでもよければ見て下さい。


https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/PCycJh8y

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