ミラリングとハロー効果

「無理に話す必要はないのです。まずは、女性の話を引き出すこと、これが大切なのです。女性は男性より話好きが多いですからね、聞き手に回るだけでも好感度は上がります」


 健太けんた諸月もろつきの言う事を神妙な顔で聞いていたが、硯徳すずのりは彼の言う事に眉根を寄せた。


「でも、こっちに興味を持ってもらわないと話が進まなくないです?」


 黄色いの面を被っている諸月の表情は見えなかったが、頬を弛緩させるような雰囲気は伝わった。


「まあそうでしょうね。では、ミラリングというテクニックをお教えしましょう。やる事は簡単です。相手の仕草をただ真似るのです。相手がドリンクを口に運べば、同じタイミングで自分もドリンクを飲む。さりげなくやるのは意外に難しいんですが、いかんせん短時間勝負です。とにかく意識をこちらに持ってきてもらうことが先決なので、多少ぎこちなくなってでもやってみて下さい。慣れてきたら、ちょっとした仕草も全て真似ること。後は、相手の目をしっかり正面から見て下さい。こちらに自信がないことを悟られると、相手の気持ちも離れてしまいます。好感を持った人がいたなら、5秒でいいので、相手の目をじっと見つめて下さい。一目惚れする人は無意識に相手の目を5秒から7秒見つめるという統計があるのですが、それをこちらから意思表示として示すのです。いざやってみると5秒は長く感じるかもしれませんが、それだけで相手には特別な感情が伝わります。人から受け取る情報の割合は、顔の表情55%、声の高低や大きさやスピードが38%、そして話す内容はたったの7%です。短時間勝負では話の内容よりも、第一印象が大事なのです。後は焦らずゆっくり、丁寧に話すよう心掛けて下さい。あなたのゆったりとした雰囲気は刺さる人の心には刺さるはずですよ」


 はい、と健太は黄色のユニーク面を付けた男に恭しく頭を下げる。心なしか、健太の目の光が強くなった気がした。



 のだったが……硯徳がパーティーが始まって感じたことを、健太も感じているのだろう。ほとんどの女性たちに取っては相手の年収やステイタスが大事で、彼女たちのその価値観から外れた者は婚活対象から外されてしまう。パーティーでの会食タイムも半分が終わり、健太の顔は完全に曇っていた。


「あと二テーブル、何とか頑張りましょう」


 今のところ心に響く女性はいなかったと言う健太に、硯徳は有り体なことを言うしか術がなかった。


 健太とはテーブルと少し離れた所で話していたのだったが、彼をテーブルまで送っていくと、手前で足を固まらせてピタッと止まる。どうしたんですかと聞くと、健太は話しにくそうに硯徳の耳に口を寄せた。


「じ、実は自分、放蕩息子先生のふ、ファンでね。き、今日は婚活というより、か、彼女と話せることを楽しみに来たんだ」


 意外な名前が健太から飛び出し、硯徳はちょうど隣りのテーブルから移動してきたゴスロリファッションの女性を見た。素朴な健太と不釣り合いな気もするが、オタク気質という点で気が合う可能性もあるなと思い直す。


「分かりました、じゃあ彼女に、諸月さんから教えてもらったミラリングのテクニックを使ってみましょう。あと、ちょっと俺に考えがあります」


 健太に慣れないウィンクをしたのは、諸月の影響だろうか。健太が硯徳の言ったことに力強く一つ頷いてテーブルに着くと、硯徳は彼と同じテーブルに移動してきた春海はるみを手招きで呼び寄せた。


「健太さん、放蕩息子先生のファンらしいんだ。ひょっとしたらカップリングする可能性もあるからさ、横からフォローしてあげてくんない?」


 硯徳がそう頼むと、分かりました、と春海は柔らかい笑顔を向けてくれる。そして席に戻ろうとするところを、もう一度呼び戻す。


「あ、今言ったこと、冬星とうせには言わないようにね」


 春海は訳知り顔で頷く。


「冬星先輩、腹芸的なことは苦手ですものね」


 春海の言葉に、硯徳はにっこり微笑んだ。


 春海が席に戻ると、硯徳は沙織さおりに頼んで次のベルのタイミングを遅らせてもらう。硯徳はちょうど健太の隣りに座っているもう一人のサポートすべき参加者を手招きした。



 白井しらいあきらは豆腐屋白井の三代目店主であり、50過ぎの独身男だ。まさか童貞ではないだろうが、結婚相手には恵まれなかったようで、もし明が働けなくなれば店は閉めなければならない。リバーウエスト商店街では次にシャッターを下ろしたままの店になる筆頭だった。


 豆腐屋白井は明の祖父の代に屋台から始めた店で、三年前に父親が他界して以来、明と玉恵たまえおばあちゃんの二人で切り盛りしている。父母も晩婚で、玉恵もすでに80過ぎになっており、職人気質の明に代わって店に立つ人の出てくることが急がれた。それには明が結婚し、夫婦で店を切り盛りすることが理想なのだが、口下手な明が結婚まで行き着くのは絶望的な状況にある。硯徳に取っては商店街の中でも白井豆腐店は特別思い入れがあり、何とか明の嫁を迎えられる手助けができないかと今回のパーティーに誘ったのだった。


 硯徳の父母も白井の豆腐は好物で、こどもの頃からその風味豊かな甘みのある豆腐はよく食卓に乗っていた。その甘みは手作りだから出せるのだと、父がまるで自分の手柄のように語っていたのを覚えている。テレビの街ブラロケで白井の豆腐が取り上げられ、評判になった頃だった。当時ちょうど高校受験の真っ只中だった硯徳は、疲れた頭を冷やそうと早朝散歩に出た折、すでに稼働していた白井の店の中を見学させてもらったことがある。時刻はまだ明けきらぬ5時過ぎだった。店先を覗くと、今は亡き明の父親が豆腐を作る行程を見学させてくれた。大豆を挽いたものを豆乳とおからに分け、豆乳の方を熱してにがりを加え、冷水に浸けて撹拌する。その撹拌の仕方で味が決まるのだと教えてくれた。朝の冷気の中の作業は大変そうに思えたが、その職人顔は思いの外楽しそうで、息子の明もそんな父を尊敬し、弟子としてしっかり技を受け継ごうとしている気概が伺えた。




「どんな感じですか?」


 席から立ってきた明をカウンター前まで誘導して聞く。明は年の割には多めの目尻のシワをクシャッと深め、頼りなく笑った。


「いやあ、やっぱり若い人ばっかりだねえ。でも、いい経験になりました。誘ってくれてありがとう」


 言外にすでに諦めの色を伺わせ、それでも明は硯徳に頭を下げた。その明の殊勝な姿を見て、胸がチクッと痛くなる。参加者の他には50代はおらず、一番年上で纐纈と、40代半ばと思しき女性が一人いるくらいだ。そんな中で明は完全に浮いて見えた。きっと彼もこれまで対象からあからさまに外されたような態度を目の当たりにしただろう。残るは二テーブル、だがその一つはスタッフテーブルで、今さらその中から明とカップリングすることはないだろう。明に取って一つ希望があるとすれば、最後のテーブルにいる最年長と思われる女性と意気投合し、カップリングすることだった。硯徳は明を諸月の前に誘導し、彼に最後のアドバイスを乞う。



「さっきあなたのお店の豆腐を食べさせていただきましたが、すごく美味しい。私もね、様々な料亭で食事をしてきましたが、どんな高級懐石料理にも引けを取らないと思いました。あなたはその仕事を誇りに思うべきです。ハロー効果というのがあります。一つの優れた点が、他のことも優れて見せるのです。どうぞ、あなたは自分の仕事に自信持って語って下さい。幸い、参加した女性たちはオードブルを食し、あなたの仕事の素晴らしいことを知っています。あなたが仕事への熱意を語れば、きっと相手もあなたの姿が輝いて見えると思いますよ」


 諸月が淀みなくそう言い終え、面の向こうでウィンクした気配があったが、黄色の滑稽な顔からはその格好良さは伝わらなかった。が、諸月のアドバイスは、硯徳が伝えたい明の魅力を十二分に盛り込んでいるように思えた。口先だけでアピールしても仕方がない。豆腐屋を背負って立つ明には、その仕事を認めてくれる伴侶が必要なのだ。諸月はその意図にもしっかり配慮してくれていた。自分の仕事を褒められたからか、所在なさげだった明の顔が、少し綻んだように思えた。




 三回目のテーブルチェンジが終わり、四つ目のテーブルでのトークが繰り広げられている間、硯徳は右隣りにいる健太の様子が気になって仕様がなかった。春海が上手く誘導してくれたのか、見た目には健太は放蕩息子先生と話が弾んでいるようだった。四回目のテーブルチェンジの折に、春海が自分たちのテーブルに来るや否や、硯徳に親指を立てて見せる。それはミッション達成の合図だと判断し、硯徳もニッコリ笑顔を返す。そんな二人のやり取りを見て、冬星が訝しむような視線を向けていた。



「よう、どうだ?お前らカップリングできそうか?」


 いよいよ最終のトークタイムが始まり、冬星が目の前の男性陣に向かって聞く。大悟だいごがその問いに対して大袈裟に首を振って見せた。


「ぜんっぜん、ダメだな」

「お?何だ何だ?いつも無駄にガッツあんのにどうしたよ?お前、ひょっとして、こっちか?」


 冬星が手刀する前のように右手を立てて額の前に立てる。


「いやどっちだよ!それをやるならこうだろ?」


 大悟が右手の甲を左手頬に当てる。


「お、おう。こっちか?」


 冬星が大悟の訂正したポーズを真似る。


「いやこっちじゃねーよ!てかさ、お前はどうなんだよ」


 大悟に聞かれ、冬星は手を入れ替えて左手の甲を右頬に当てた。


「オレはこっちだよ」

「いやどっちだよ!て、形の問題じゃねーんだわ、彼氏になりそうなやつはいたのかって聞いてんだよ」


 そんな二人のやり取りを見て、放蕩息子先生が笑い声を上げた。


「二人、息ぴったりじゃない?いっそ二人が付き合っちゃえばいいのに」

「「ないないない!」」


 大悟と冬星の息は確かにピッタリだった。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今話の場面イラストです。文章とイメージが違うかもしれませんが、それでもよければ見て下さい。


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