彼女が気になってるのは君ですよ

「え……?」


 大樹の葉がサラサラと鳴る、その幹の前で涼し気な眼差しの美男子が自分に指を向けている。月光に照らされたその瞳の中でキラキラとした煌めきに埋もれているのは自分の姿だけではない気がして、硯徳すずのりは後ろを振り向く。


「いや君ですよ、君」


 言われて、ええっと声を上げる。


「お、俺…ですか?」


 戸惑い顔の硯徳に、苦笑いを浮かべた諸月もろつきが頷く。


「私ができるのはあくまで相手の意識を持ってくるところまでです。他に意識が向いている人からは、なかなかその意識を短時間で変えるのは難しい。さらに纐纈こうけつ氏は私の言う事を聞いてくれませんからね、彼の依頼だけは思っていた以上に難関でしたよ」


 眉根を寄せ、微苦笑する諸月に硯徳も曖昧な笑顔で返す。思ってもいなかったことを告げられ、どう言っていいか分からなかった。そんな硯徳に諸月は問う。


「君はいいなと思える人はいなかったんですか?」


 それどころではなかった、というのが正直なところだ。ただでさえ妹の杏夏きょうかが参加して気が気でなかったところに、東海林しょうじたちまで乱入してきた。パーティーの間中、何とか無事終わってくれ、そればかりを祈っていた。そしてさっき東海林と冬星とうせの対戦が終わり、やっと一息ついたところだ。


「いやあ~スタッフとして立ち振舞うのが精一杯で、自分のことを考える余裕なんてありませんでした」


 頭を掻きながらそれだけ返す。


「そう……それは、大変でしたね」


 長いまつ毛を伏せ、同情気味に言ってくれる諸月に、硯徳は一つのことを共に終えたという連帯感を感じていた。正直昨夜バー・アンドレで出会った時は彼に胡散臭さを感じた。そんな彼がかおるママや纐纈の急な依頼に応じて今日来てくれただけでもありがたいことなのに、彼がアドバイスしてくれた内容はどれも的確で、役に立つものばかりだった。最後の段になって纐纈の依頼が達成できなさそうなことを残念がってくれているが、健太けんたあきらは彼のお陰で今日という日を燻ぶらずに済んだ。


「あの…報酬、言って下さい。たくさんは無理ですが、できる限りはお支払いします」


 硯徳のその提案に、諸月は首を振る。


「成功報酬というお約束でしたからね。おそらく纐纈氏はカップリングしないでしょう。なので受け取るわけにはいきません。それに、報酬はすでに受け取っていますよ」


 そう言って涼やかな笑顔を向ける諸月に、硯徳は首を傾げる。諸月が続けた。


「私は普段、室内で依頼人に応対するのが主なのですが、なかなか彼らが奮闘する姿を目の前で見る機会がない。今日は実際に現場で見させていただき、貴重な経験になりました。いや、楽しかった。こちらこそ参加させていただき、ありがとうございました」


 謙虚に頭を下げる諸月に、硯徳も慌てて手を振る。ハイブランドで身を固めた彼は一見拝金主義に見えるが、その立ち居振る舞いには大人の余裕が感じられた。彼への好感度がさらに上がり、硯徳はそんな彼に自分が今抱えている懸案事項を相談してみたくなった。


「あの…一つだけ、相談させてもらってもいいですか?」

「どうぞ。軽いことなら、ご助言さしあげますよ?」

「ありがとうございます。実は俺、最近よく同じ女性の夢を見るんです。場面は何気ない日常の一コマが多いんですが、登場する女性はいつも同じで、俺はその女性と現実で会った覚えはないんです。でも、その夢の後には必ずこう…胸が痛くなるっていうか、すごく切ない感情が残るんです。そういう夢って、何か意味があるんでしょうか?」


 諸月はずっと真剣な表情で聞いてくれ、硯徳が言い終えると、うーん、としばらく思案を巡らせた。


「その女性の顔ははっきり見えるんですか?」

「いえ、顔自体はぼぉ~っとしていて、起きてから思い出そうとしてもはっきり像を結ばないんです。でも、同じ女性だっていうのは感覚的に分かるんです」

「そう……で、起きたら切ない感情が残っている、と…」

「はい」


 そこで諸月は人差し指を立て、いつものポーズをする。


「夢のメカニズムというのはね、現代でもはっきりと分かっていないんですよ。フロイトは夢に潜在的な欲求が現れるという説を唱えましたが、そこには反証がたくさん加えられています。フロイトの弟子のユングなどは夢が自己実現の助けをするなんて説も唱えていますが、それもそういう側面があるというだけで、夢の全体像を捉えたものではありません。ですが、見終わった後に感情を残すということは、きっとあなたに取って必要な何かがその夢に含まれているんでしょう。すみませんが、私に言えるのはその程度です」


 そこでまた頭を下げかける諸月を、硯徳は慌てて制す。元々夢のことなんてどうとでも理屈をつけられるので、いい加減な説をぶち挙げられるよりはよっぽど誠実な答えに思えた。



「あら~イケメンさん、こんな所にいらしたの?」


 そこへふいに後ろから声がし、振り返ると、冬星とうせと、巫女姿の女性が歩いてきた。冬星は御神木には寄らずに社務所の方に歩いて行ったのだったが、どうやらそこから母親と連れ立って来たようだ。冬星の母親は社務所で今日の婚活用にこしらえた縁結びのお守りをチケットと引き換えに渡してくれていた。


 巫女母はタタタと諸月に走り寄り、彼の腕を取る。そして顔を見上げ、ぶしつけに聞いた。


「あなた、結婚はされてませんよね?所帯じみた感じがしないもの。彼女さんはいらっしゃるの?」


 がっしり腕を掴まれ、諸月は困り顔で巫女母を見る。冬星が慌てて駆け寄り、母の手を振り解こうとする。


「母さん!何いきなり言ってんだよ!」

「あら、だあって~こちらすっごい男前じゃない?母さん、彼女に立候補しよーかなーって思って」

「何バカ言ってんだよ!父さんはどうすんだよ!?」


 冬星は必死に母を諸月から離そうとするが、母は諸月にピッタリとくっついて離れようとしない。冬星の母親、桃寧もねは五十路手前のはずだが、見た目は若々しく、30代でも通りそうな肌艶をしている。いつ見ても妖艶な笑みを浮かべ、恋愛方面も現役に見えた。


「うそよ~!母さん、あなたの心配をしてるんじゃないの~ぉ。あなた、今日の婚活だってお相手見つからなかったんでしょお?ね、コウメイ先生、うちの娘なんてどおかしらん?ちょおっと男っぽいところもありますけど、ちゃんとしたら結構美人ですのよ?」

「だあ~っ!やめろお~!」


 冬星は慌てて母親の口を塞ぐ。普段凛としている冬星も、この母親の前では型なしだった。桃寧が諸月をコウメイ先生と呼んだのは、冬星がその名前で彼女に伝えていたからだろう。ずっと腕をがっちり腕を掴まれている当のコウメイ先生は、そんな不測の事態にも相変わらず涼し気な顔をしている。普段から女性に言い寄られ、こんな場面には慣れているのかもしれない。諸月は傍らの女性に意味ありげな笑顔を向けた。


「お母様のお墨付きとは光栄です。ですが娘さんにはすでに意中の方がおられるようですよ?この婚活の間、娘さんの視線はずっと……」


 諸月が何か言いかけたのを、冬星は慌てて大声で掻き消す。


「だあー!やーめーろおー!ば、バカか、あんたは!オレに意中の男なんていねーよ!」


 娘が両手を上げてアタフタと仕出したので、自由になった巫女母は諸月の腕を放して少し離れた位置から三人を視界に収める。


「あら~こうして見ると、やっぱり男前ね~ぇ。ゲントクくんとコウメイさん、二人並ぶと三国志の一節みたいで様になってるわよ~お」


 冬星はどうやら母親に昨夜、かおるママが言っていた内容をそのまま伝えたようだ。桃寧も硯徳をゲントクと呼んでいる。


「そうなると…冬星ちゃんはさしづめ孫権の妹の尚香しょうこうってところかしらん。ほら、お転婆さんだし、うちの人の名前ソンケンって読めるでしょう?」


 硯徳も三国志の孫権の妹の尚香という名前は小説やアニメなどで知っていた。尚香がお転婆という設定は、十数年前にヒットした赤壁の戦いを描いた映画のイメージなのだろう。ちなみに水醐堂すいこどうの住職は神薙かんなぎ尊顕たかあきといい、確かに名前はソンケンと読める。桃寧は娘の困り顔をよそに、さらに続ける。


「私は別にゲントクくんに娘をもらってもらってもよかったんですけどねぇ、ほら、尚香って、史実でも玄徳に嫁ぐじゃなあい?」

「だあ〜〜〜!何言ってんだぁ〜〜!」


 そこで冬星が慌てて母に駆け寄り、その勢いのまま母を押して御神木の前から遠ざかっていった。桃寧は一体何をしに来たのだろう?場に静寂が戻り、硯徳と諸月は困り顔で互いを見る。彼女たちが来る前にしていた話題は完全にかき消されていた。話に水を差された二人は、そろそろリストランテ・ナナミに戻ろうと一緒に水醐堂の門を潜った。しばらく歩くと、後ろから冬星が追いかけてくる。何とか母親を帰らせ、二人に息を切らせながら追いついてきた。チャンバラ試合では全く息が上がっていなかったのに、今の冬星は歩きながらゼエゼエと肩を上下に揺らしている。剣道では最強の彼女も、母親にはペースを乱されるようだ。冬星が必要以上に男口調なのは、あの母親が反面教師になっているからではないか…硯徳はそんなことを思ったりした。



 ナナミに戻ると、春海はるみりくの仕切りで、婚活参加者たちに自分がカップリングしたいと思う相手の名前を一人だけ書いて提出してもらっているところだった。イベント会社が主催する婚活パーティーなどでは第三希望までなどというように何人かの名前を書いてもらってカップリングする率を高めようとするのだが、今回の婚活パーティーはカップリングだけが目的ではなく、あくまでも異性との交流をサポートすることを謳っていたので、カップリングはパーティーの締めとしてやることにはやるが、カップリングしなくとも連絡先を交換するなどして、後は参加者たちの行動に任せることにしていた。


 陸がパソコンに向かい、受け取ったカップリングカードに書かれた名前を手早く入力していく。彼はリバーウエスト商店街青年部のIT担当的なポジションで、今回のパーティーのチケットなども作成してくれていた。書いてもらった名前を入れると、自動的にカップリングしているかどうかが分かるフォーマットも予め作ってくれている。


「スズとトウセは?面倒だから口頭で耳打ちしてくれる?」


 硯徳がカウンターに置かれたパソコンを覗き込むと、陸は画面から目を離さずにそう聞いた。参加者たちはスタート時点での席に戻り、結果発表を待つ間そわそわと歓談している。


「オレ、今回はパスで」


 冬星がそう言うと、硯徳もそれに倣う。


「そっか。じゃあスタッフで相手の名前言ったの、シャチョウだけだね」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今話の場面イラストです。文章とイメージが違うかもしれませんが、それでもよければ見て下さい。


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