プラシーボ効果の誤解

 スパーーーンと小気味いい音が響き渡り、大悟だいごは長机に置いてあるチャンバラ竹刀を手に取ってマジマジと見た。


「え、これってスポンジだよなあ?こんなふにゃふにゃの剣でよくあんな大きな音が立てられるなあ」


 ショッキングピンクのおもちゃの竹刀をぐにゃぐにゃと曲げながら言う大悟に、硯徳すずのりは訳知り顔で言う。


「剣道の一本って触れただけでは認められないでしょ?冬星とうせは着実に芯の部分から当ててくるからね、あんな音が出るんだよ」


 硯徳の言葉に、大悟は口をへの字に曲げて返す。大悟も子どもの頃は剣道場に通っていたが、中学に上がる頃には止めてしまった。その理由を、硯徳はどうしても冬星に勝てないで嫌気が差したからだと見ている。大悟もなかなかの負けず嫌いなのだ。


 道場の試合用スペースの真ん中で、東海林しょうじが何が起こったのか分からないというように立ち尽くしている。構えると同時に冬星は東海林に向かって走り抜け、彼の頭頂部を打ち据えていた。あっという間の出来事で、東海林はまさに面食らった状態だった。やがて痛みを感じ出したのか、頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「イテテテ!何だよそのスピード!聞いてねーよ!」


 ウシシシと笑いながら、冬星が振り向いて東海林を見下ろす。


「どうした?やめるか?」

「や、やめねーよ!」


 東海林はヨロヨロと立ち上がりしな、もう一人の仲間のドレッドヘアに何事かを目配せする。ドレッドヘアは頷き、そろりと冬星の後ろに回っていく。


「おい、あれはナシだろ!」


 東海林たちの目論見に気づき、大悟が駆け寄ろうとするのを、硯徳は彼の腕を取って制した。


「大丈夫」

「大丈夫ってお前……」


 大悟は硯徳に止められ、不安顔で試合場の三人に目を向ける。東海林と冬星が構え直して向き合う中、冬星の後ろからドレッドヘアが冬星の頭めがけて突進する。が、冬星はわずかに横にスライドし、スカッと空振りして走り抜けるドレッドヘアの頭頂にスパーンと一本入れた。と同時に、東海林の竹刀を払って彼にも一本入れる。スパンスパーーーンと、二発の小気味いい音が鳴り渡った。


「す、すげえ……」


 大悟も子どもの頃に対戦したことがあるだろうに、すでに忘れていたのか、改めて冬星の剣捌きに感嘆の声を漏らす。イテテテと二人の男がうずくまり、冬星はカカカと哄笑する。実に楽しそうだ。


「なんだ?もう終いか?」

「ま、まだまだ!」


 東海林も簡単には音を上げなかった。が、次からはあからさまに二人対一人になった。それでも冬星は幼子をあしらうように、ひょいひょいと軽々男たちの剣をかわし、着実に彼らの頭頂部に一撃を加えていく。硯徳も中学の頃に東海林の喧嘩を目の当たりに見たことあったが、決して彼は弱いわけではなく、あの頃の体幹がまだ生きているなら、その辺の若者を相手にするよりはかなり手強いはずだ。しかも二体一なのに、傍目には冬星が弱いものイジメをしているように見えてきていた。


 頭の痛みが耐えきれないくらいになってきたのか、東海林たちは次第に腰が引け出した。


「わ、わかった、もうやめ……」


 スパーーーン!


 きっともう止めたいのだろう、東海林たちは竹刀を持っていない手を突き出してギブアップのポーズを取る。冬星はそんな彼らに斟酌しんしゃくすることなく、容赦なく剣を振り抜いていく。しまいには東海林たちは逃げて走り出し、冬星はそれを後ろから追いかけ回す格好になっていた。


「お、おい、あいつの目、座ってねーか?」


 大悟の言う通り、冬星は目は血走り、ワハハハと笑いながら追いかけるその口からはよだれが垂れていた。逃げ惑う東海林の頭は発汗もあってか黄色い髪がタンポポのように膨れ上がり、ドレッドヘア君に至っては丁寧に編み込んだ髪がほつれ、たわしのようにゴワゴワになっていた。


「うわ~あん!髪が、髪があ~!とうちゃんにもこんなに殴られたことないのにぃ~!」


 ついにドレッドヘア君がどこかで聞いたようなセリフを吐きながら泣き出し、チャンバラ竹刀を放り出して道場から逃げ出していく。一人取り残された東海林はドレッドヘアが去っていくのを見ると、バタッと倒れて仰向けになり、


「くそーぉ!」


 と悔しそうに咆哮した。


「なんだよお前ら…なんなんだよお前らーー!!」


 断末魔のような声を上げ、それがチャンバラ終了の合図のように、冬星も動きを止めた。


「なんだよ、もう止めるのか?」


 東海林を覗き込んだ冬星に、大悟が寄って行く。


「いやもう充分だろ。見ていてだんだん可哀想になってきたわ」


 冬星はフンとつまらなさそうに鼻を鳴らす。息は全く上がっていなかった。


「じゃ、そろそろ戻るか」


 遊び疲れて帰る子どものように冬星が玄関に向かう。硯徳もそれに続くが、大悟は東海林の側を離れない。東海林は息荒く横たわったまま、腕で顔を覆っていた。


「俺はこいつを連れて出るからよ、先に行っててくれ」


 まるで好敵手を労るように言う大悟に頷くと、硯徳は冬星を追いかけた。





「そういえば、シャチョウはどこ行ったんだ?」


 冬星は今思いついたように硯徳に振り向いて言う。そういえば、と硯徳も周りを見回す。秋穂あきほ先生を追いかけて四人の男が付き従っていたはずだが、道場の周辺には見当たらなかった。


「御神木の方に回ったんじゃないかな?纐纈こうけつさん、ずっと秋穂あきほ先生と二人きりになりたそうだったから」


 門に真っ直ぐ向かわずに御神木に寄ってみると、そこには諸月もろつきが巨木を見上げている姿があった。が、纐纈たちの姿はない。


「ここにいたんですね。纐纈さんは?」


 諸月に近づいて聞くと、


「先に戻って行きましたよ。それにしても…こんな立派な樹が人知れず残っているなんて…こんな樹齢の樹は天然記念物になっていてもおかしくないだろうに、日本もまだまだ広いですねえ…」


 と、感慨深げに嘆息する。さやさやと湿度の高い風が吹き、月明かりに浮き立つ銀髪をしっとりと揺らす姿は、一枚の幽玄な水墨画のようだった。


「あの、あきらさんと健太けんたさんのこと、ありがとうございました」


 一瞬見惚れていた目を現実に戻し、硯徳は諸月に頭を下げた。ようやくパーティーも終わりに近づき、思わぬ事態に直面しながらも何とか明と健太を女性とツーショットに持ち込めたのは、ひとえに諸月が彼らに適切なアドバイスをしてくれたお陰だった。終わったら諸月にその感謝を伝えようと思っていたのだが、今その機会を得た気がした。


「私は彼らが元々持っていたポテンシャルをちょっと引き出して差し上げたに過ぎません。プラシーボ効果という言葉をご存知ですか?」


 聞いたことのある言葉が出て、硯徳は頷いて返す。


「薬でないものでも薬と信じて飲めば薬と同じ効果を発揮することもあるってやつですよね?」

「はい。例えば痛みを訴えている患者にこれを飲めば痛みが緩和すると言って薬でない物を与え、実際に痛みが緩和したとします。勘違いされがちなのは、その薬の代わりに与えた物が薬と同じ作用をして患部を治したと思われがちですが、実際はそうではなく、患者の体内から痛みを緩和するような生化学的な反応が起こった結果痛みが和らいだのです。つまり、感覚的なことが弊害になっている場合、思い込みによって改善される場合があるということです」


 そこで諸月はいつものように人差し指を顔の前に立てる。おそらくここは感嘆すべきところなのだろうが、言っている内容が学術的すぎて、硯徳は頭の中で整理してみる。


「えーと…明さんも健太さんも、元々女性と自信を持って話すことのできるポテンシャルはあった、ということですか?」


 硯徳の言葉に、諸月はニッコリと微笑んだ。


「あなたは飲み込みが早いようだ。特に健太さんの場合、私はどもりを治して差し上げたわけではありません。健太さんの元々持っていた、あの小説のことが好きだという思いが自信に繋がり、どもりを引っ込めるだけの作用が健太さんの身の内に起こったのです。私はその素養を少し引き出すお手伝いをしたに過ぎません」


 あくまでも謙虚に言う諸月に、硯徳は首を振る。


「それでも、諸月さんがいなかったら、二人とも今日は辛い思いをしただけで終わってたと思います。本当にありがとうございました」


 硯徳はもう一度諸月に頭を下げる。諸月は今度は微苦笑を浮かべただけで何も言わなかった。硯徳はもう一人の厄介者について聞く。


「纐纈さん、うまくいきそうですか?」


 すると今度は、はあ〜っと大きなため息をつく。


「それなりにアドバイス差し上げたつもりなんですが、いかんせん、彼はどうしても自分の話をしたいようでこちらの言うことを聞いてくれないのでね、結果に関しては責任持ちかねる、といったところです」


 諸月は健太に自分について語るのは三割に留め、相手の話を聞くことに時間を割くべきとアドバイスしていたが、それはきっと纐纈にもしたのだろう。彼と同じテーブルだった硯徳は、彼がずっと自分語りしている場面を嫌と言うほど見ていた。諸月もろつきの横に並び、同じように大ケヤキを見上げながら、ため息をつく。葉の間からチラチラと星の瞬きが覗いていた。


「まあでも、さすがにあの最後の局面で話を聞くだけでは印象が薄まるだけですからね、彼のプロフィールの中から秋穂さんの興味を惹きそうな事柄をピックアップして話をするようにアドバイスしたんですが、それが上手くいけばあるいは後日、デートくらいには持ち込めるかもしれません」


 諸月の言葉を聞きながら、硯徳は胸にザワッとさざ波のようなうねりが湧き上がったのを感じた。纐纈が上手くいくなら喜ぶべきところなのに、心のどこかで纐纈に振られて欲しいと願っている自分がいる。ふと横から見つめられていることに気づき、硯徳はそんな自分の思いを悟られたくなくて曖昧な笑みを返した。諸月は意味深な視線を向けながら、こんなことを言った。


「ですが、秋穂さんにはどうやら別に気になる人がいるようです」


 その言葉に、硯徳の眉が上がる。


「え!?誰ですか?」

「言ったでしょう?一目惚れする人はその相手のことを5秒から7秒みつめる傾向があります。秋穂さんの視線がその秒数、よく向いていたのは……」


 諸月がまた人差し指を立てる。だが今回は決めポーズではなく、その指をゆっくりと硯徳に向けた。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今話の場面イラストです。文章とイメージが違うかもしれませんが、それでもよければ見て下さい。


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