利己的な遺伝子
「あら、ちょおっと横道に逸れすぎちゃったわね。何が言いたかったかと言うと、結局人が人を好きになる時って、お互いの個性を受け入れることが大切ってことだと思うのよね。心理学とかで人がこうすればこう、なんていうのは一時のツールでしかないわけ。そしてね、コウメイ先生はちゃあんと人の個性を見ているとあたしは思うのよ。機械的に人と人をくっつけてるわけじゃないの。ね、そうでしょ?」
そこまで聞き、
「うん、兼ねてから思ってましたが、やはり性というのはグラデーションなんですね」
と、にこやかな顔を薫ママに向けた。
「え、そこですか?」
思わず突っ込んでしまった硯徳だったが、隣りの秋穂先生からうーんと唸る声が聞こえる。
「仰ることはよく分かりました。でも私、やっぱりちょっと納得できないっていうか…結局スズさんも私が
横から睨まれ、硯徳の喉からもうーんという渋い声が出た。それを見て、
「秋穂先生ってさ、実はスズのことが気になってるんだよな?だったらさ、スズと先生がカップルでも俺たちはよかったんだよ」
「いやオレもさ、あんたらのやってること、実はおかしいと思ってたんだ。何でシャチョウが秋穂先生を好きになったからって、それに乗っかる必要あったんだ?」
何で、と言われると纐纈からしつこく頼まれたからだったが、それを言ってしまうと秋穂先生の怒りを再燃させることになるだろう。それが分かっているからか、隣りから大悟が冬星の問いには答えずに肘で突いてくる。
「いやもう付き合っちゃえよ!俺ら青年会は、二人を応援します!秋穂先生、スズのことよろしくお願いします!」
勝手に話を進める大悟を睨み、ゆっくり右を向いて秋穂先生の表情を確かめる。秋穂先生は硯徳と目が合うのを待っていたように、まっすぐに視線を合わせて頬を緩めた。それを見て、硯徳の眉も上がる。と、その時、
「
と、
「あ、でもさ、コウメイ先生って結局嘘を見抜くんじゃなくて、自分の思うように相手の行動を誘導するってことだろ?だったらさ、道久さんが嘘を言ったとして、コウメイ先生には分からないんじゃないか?」
大悟が椅子に腰を落とし、やっと話を本題に戻す。
「いや、でもオレの時は言葉や視線で見抜いてたぜ?てことは、道久さんの表情見てたら分かるんじゃないか?」
冬星の言葉に大悟は確かに、と頷き、薫ママがそれを受けてニンマリと笑う。
「あたしにね、いいアイデアがあんのよ。まずはさっきみたいなことをやってもらって、道久さんの選んだ物をコウメイ先生に当ててもらうの。そうすれば、道久さんは嘘をつけないって分かるでしょ?それからショウちゃんのことを聞けば、本当のことを言ってくれるんじゃないかしら」
「でも、あの物選びを当てるのって、百パーセント当てられるわけじゃないんですよね?もしそこで間違えたら、もう本当のことは聞けなくなるんじゃ…」
秋穂先生が不安顔で言うことに、薫ママが待ってましたとばかりに声のトーンを上げて返す。
「百パーセントにすればいいのよお。予めサインを決めておいてね、コウメイ先生がもし間違ったことを言おうとすれば、あたしが教えるってどう?ここにいるみんなで、コウメイ先生が間違えないようにチームを組むのよお」
薫ママのその提案は妙案に思えたが、それを聞いた諸月は首を振る。
「いや、私は間違えませんけどね」
それから──
薫ママが道久に電話を入れ、今から来店するという約束を取り付けた。事前に警戒されないように、商店街の青年会の子たちが道久を心配して会いたがっている、という一点でずっと押してくれていたが、傍から聞いていると、道久はどちらかというと薫ママの圧に負けてやって来ることにしたように感じられた。薫ママには昔の喧嘩仲間たちを中心に親衛隊がたくさんいるので、薫ママを敵に回すと
その秋穂先生はというと、この場で道久を詰めることに最初は気乗りはしていないようだったが、いざ道久がやって来るとなると、覚悟を決めたようだった。
「私のクラスには、イジメはありません」
道久が来るまでの時間を利用して、秋穂先生が諸月に向いて言う。秋穂先生の希望で、彼女の言葉に嘘はないかを判定してもらうことになった。自分の言うことに嘘はないことを証明したい、というより、諸月に挑むような目を向ける彼女の意図は、彼の実力を確かめたい、ということにあるように見えた。
「私には、あなたの言うことに嘘はないように見えます」
諸月が神妙な顔でジャッジの結果を言い、青年会の面々からほうっとした安堵の息が漏れる。だが秋穂先生自身は不安げな顔を崩さない。
「私のどんなところから、そう判断されたんでしょうか?」
そんな突っ込んだ質問をされ、諸月は眉根を寄せてうーんと唸った。
「嘘発見器というのがあるでしょう?あれは心拍数や生理的な変化を計測して嘘を言った時の状態を見抜くんですが、わざわざ機械を使わなくても、人の言葉のトーンや表情、目線などにも変化は現れるんです。もちろんそれを見抜くにはそれなりの経験が必要なんですが、私にはその力があるとしか言えません。胡散臭く思われますか?」
秋穂先生の方もずっと諸月から視線をはずさずに見ていたが、彼のその言葉に、はい、と躊躇なく頷いた。
「いや胡散臭く思ってるんかい!」
すかさず大悟が突っ込みを入れ、すみません、と秋穂先生が頭を下げる。
「もちろん、信じたくは思っています。そうでないと、今から
真摯に頭を下げる秋穂先生に、諸月は手を振って顔を上げさせる。真っ向から否定される形になり、諸月は居住まいを正した。
「信じていただけないことは残念に思います。ただ百歩譲って私が嘘をついているとして、その私の嘘と、イジメがないと言ったあなたや、これから自分の子どもに虐待をしているかどうかということを話す道久さんの話とは次元が違います。それは人の生存権を脅かすような内容であり、最悪犯罪になるかもしれないことなのです。そこにはその人の善悪の価値観が大きく関わってきますし、そういう重要な内容に対して嘘をつく場合、その人の身体には必ず大きな変化が現れます。嘘にもいろんな程度があり、それが明らかに悪だと分かっていることに対しての場合、その人自身の信念、引いては生き方にも影響するからです。利己的な遺伝子という言葉を聞いたことはありませんか?」
そこで諸月は一度話を区切り、秋穂先生の反応を伺う。
「オレオレ!」
硯徳の左側からそんな声が聞こえ、そちらを向くと冬星が嬉しそうに自分を指さしている。
「巫女的な剣士ってさ、オレのことだろ?」
「いや巫女的って何だよ。だいたいお前剣士でもねーじゃん」
「いや心は常に剣士だよ!」
そんなやり取りをしている大悟と冬星にどう突っ込もうかと思案していると、
「確か、進化論に関する本で読んだ覚えがあるんですが、ごめんなさい、詳しいことは忘れてしまいました」
と秋穂先生の声が右から聞こえる。秋穂先生は二人のやり取りを完全にスルーした。
「はい、進化生物学者のリチャード・ドーキンスが提唱した言葉で、彼の言葉を借りるなら、遺伝子はあくまで種の存続を優先し、個人の幸せを目的としません。ヒトは集団生活をすることで他の生物から大きく進歩してきましたが、その遺伝情報は一万年前からアップデートされていないんです。そのため、致死率の高い自動車よりも滅多に遭遇しない蛇を怖がったりします。そんなヒトという種に取って、集団から弾き出されることは死を意味します。なので、集団生活がつつがなく行われるために作られた道徳や法律を守ることは生きるために必須であり、そこに嘘をつくことは最悪死を意味します。そして遺伝子は個体を生かすことに最大限の力を発揮します。個体がもし死に瀕した場合、身体に様々な変化をもたらして生かそうとするんです。なので、善悪に関わる嘘には必ず生化学的に大きな反応があり、私は必ずその反応を捉えてみせます」
諸月の語る話は難しかったが、バスバリトンの声には説得力があったし、そこに緩急を加え、聞く者の注意を逸らさない話し方だった。わざわざ学術的な例を持ち出すあたりは煙に巻かれた感を否めなかったが、諸月の最後の言葉には、オリンピックに出る選手が必ず優勝しますと言うのに似た、宣言というよりは決意といった感じの力がこもっていた。
「まあまあ、みんなショウちゃんのことを心配してるのは共通してるわけじゃない?だとしたらさあ、道久さんが虐待してようがしてまいが、父親を抜きにしては語れないと思うの。今からその本人が来るわけだからさあ、どんなふうになったとしても、みんなでショウちゃんが楽しく生きられるように持っていこうよ」
場が沈黙したのを見て、薫ママが明るい声を出す。おお、そうだそうだと大悟と冬星が囃す中、よろしくお願いします、と秋穂先生もついに諸月に頭を下げた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今話の場面イラストです。文章とイメージが違うかもしれませんが、それでもよければ見て下さい。
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