第4話
再開を決めてから一週間が経った。
ライナスとアイシスはすっかりご近所と打ち解け、親しげに世間話をしている。
ご婦人たちはライナスのイケメンさにすっかりやられて目じりが緩みっぱなしだ。
一方、アイシスには子どもに対する保護意識が湧くのか、なにかにつけて世話を焼いてくれる。それが多希にはありがたかった。
再開を決めた際、店の前に張り紙をしたので、常連客がわざわざ訪ねて喜んでくれる。
店内はすっかりきれいになり、いよいよという感じだ。
多希の知る『喫茶マドレーヌ』と違うところはメニューだ。祖父の手伝いをしていたので手順は知っているけれど、見るとするは大きく違う。最初は手の込んだ料理は出さないほうがいいだろうと思い、ドリンク中心の簡単なラインナップにした。
とうとう明日になった。
ライナスはあまり動じない人のようで、いつもと変わらない様子で新聞を読んでいる。パソコンとスマホで欲しい情報を得られるというのに、紙のほうがやはり落ち着くと言って愛用している。
「じゃあ、行ってくるので留守をお願い」
「ゆっくりしてくるといい」
「ありがとう」
多希は家を出た。向かうは大喜がいる介護施設だ。
(おじいちゃんに言いたいけど、ここは我慢。バレたら大変だから)
口がもぞもぞしているが、言えばきっと大反対するどころか、ライナスたちを警察に突き出すことだろう。
(それだけは絶対避けないと!)
施設に到着し、受付で名前を書いて奥に進む。エレベーターに乗って大喜の部屋にやってきた。
「おじいちゃん、顔、見に来たいよ」
声をかけつつ扉を開く。だが、返事はない。部屋の奥に進むと、祖父は窓際に置いている一人掛け用のソファで眠っていた。
「あらあら」
足元に薄手のひざ掛けを置くと、多希は隣にある椅子に腰を下ろした。そして丸テーブルに視線をやる。
(おじいちゃん……未練たらたらじゃないの)
昭和の喫茶店から今風のカフェが載っている雑誌が数冊ある。モダンなものやレトロなもの、コーヒーだけ紅茶だけなど専門を謳っているもの、いろいろある。
根っから喫茶店が好きなのだ。ただ飲食をする場所、ただ飲食を提供する場所、ではなく彼の思い出や矜持や理想や苦労がいっぱい詰まっている場所なのだ。
(帰ってきて、みんなでできればいいのに。四人でやったらきっと楽しいだろうに)
顔色もいいし、口も達者だ。認知症だと本人は言うが、多希がそれを感じることはほとんどない。物忘れがひどいとの言葉も、誰だってあるし度忘れもある。
多希は、はあ、と大きなため息をついた。
(私にはおじいちゃんしかいない。お父さんが誰だか知らず、お母さんの顔も写真でしか知らない。おばあちゃんはもういない。おじいちゃん、こんなところにいず、傍にいてよ)
言いたい言葉はたくさんある。そのどれも言えない。
昔、両親のことを尋ねたら、母が相手のことをまったく言わずに多希を産んだことに対し、そんな娘に育ててしまった自分たちが悪いのだと言って泣かれたことがある。
ただどんな人か、なぜ相手のことを言わずにいたのかを聞いただけだったのに。
祖父母は多希が思っている以上に罪悪感を抱き、多希に対し申し訳ないと思い続けているのだ。
そんな祖父母を傷つけたくない。
だから聞けない。
そう思い続け、今ではもう、聞く必要も知る必要もないと思っている。
「多希、来ていたのか」
声をかけられて雑誌を持つ手がピクリと震えた。
「あ、うん。今、来たところ」
「そうか。また施設からなにか言われたのか? お前に説教されたから、出されたものは残さないようにしているが」
それは施設長から聞いている。
「そう、それはよかった。でも、おじいちゃん、用事がなくても来るわよ。顔見たいもん」
「…………」
「なに」
「なにか悪だくみでもしているんじゃないのか?」
ギクリ!
「なによ、それ」
「お前は俺らに都合の悪いことを企むと機嫌を取りに来るからなぁ」
「ひどっ」
「それで、就職先は決まったのか?」
ギクリ!
「ま……だ」
「多希、俺はあまり貯えがない。ここに入ったからなおさらだ。お前には家しかやれん。あの家を売れば少しは金になるが、一生どころか十数年くらいしか暮らせんだろう。早く働き先を見つけろ」
「わかってる」
「それから」
「わかってる」
「まだ言っとらん」
どうせ、いい男を見つけろ、でしょ――という言葉を多希は飲み込んだ。今までだったらなんのこともない言葉なのに、今は違う。
(ヤだ、意識しちゃう)
脳裏にライナスが浮かんで一人焦った。
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