第3話

「俺はこんなみっともない真似をさせるために施設に入ったわけじゃない。卒業旅行で知り合ったって? 旅行中の話はずいぶん聞いたが、そんなことは一言も言っていなかったが?」


 多希はうつむいて組んでいる手に力を込めるしかできない。


「よそ様に向けてはそれなりの言い訳は必要だろうが、俺にはきっちり話してもらわんとな。この家はお前にやると言ったが、まだやったわけじゃないし、それは俺が死んでからの話だ。俺の目の黒いうちは勝手な真似はさせん」


 多希は窮地に陥っていて、うまい言い訳などまったく浮かんでこなかったが、視界の端でライナスが動いた気がして焦り、顔を上げた。


「ヨーロッパ旅行で知り合ったというのは嘘よ。二人とは最近知り合ったの。えっと、お店を再開する一週間くらい前かな。その……」


 異世界から飛ばされてここに来た――なんて言ったら本気で怒鳴られ、二人は追い出されかねない。しかしながら、うまい嘘も浮かばない。


 全身がひやりと冷たく感じ、いやな汗が噴き出してくる。


「えーっと、おじいちゃん、実は、その……」

「家を追い出されまして、日本に来て、この辺りを彷徨っていました。タキさんに声をかけてもらって、拾ってもらったんです」


 ライナスが横から言葉を挟んだ。大喜は無言でライナスを睨み、ふん、と顔を背ける。


「あんたには聞いとらん」


「すみません。ですが、妹に同情してくださったんです。居候は日本で住むに困らない程度になるまで。それ以後はこの近くに部屋を借りて、この店まで通うと約束しました。もうずいぶん慣れました。そろそろ出ようと思っていたところなんです」


「蕎麦屋の出前みたいな言い訳をするな」

「蕎麦屋?」


 ライナスが首を傾げる。大喜はまたしても、ふん、と顔を背ける。


「嘘はもっとうまくつくもんだ。家を追い出されて遠い国から日本に来るなど信じられるものか。であれば、自分の国の中で居場所を探すものだろう。流ちょうな日本語だ。訛りもない。もともとこの辺りに住んでいて、いられなくなって流れてきたってところだろう」


 普通に考えれば大喜の推測は的を射ている。だが、それを否定できないからつらいところだ。


「もうすぐ出て行くつもりだった? 今すぐ出て行き、二度とここには来ないでもらおうか」

「それは」

「おじいちゃん」


 ライナスと多希がなんとか言い繕うとしたその時だった。多希の傍に立っていたアイシスが、店中に轟き渡るような声を発し、泣きだしたのだ。そのあまりの大きな泣き声に三人は目を丸くして絶句している。


 アイシスは駆けだして大喜に飛びつき、力の限りぎゅっとしがみついた。


「イヤだぁーーー! タキと離れるのイヤだっ! 絶対イヤだぁーーー!」

「おっ、おいっ」


 大喜が身をよじるが、びくともしない。


「お願いっ、お願いっ、タキの傍にいさせて。僕からタキを取り上げないで!」

「アイシス、やめなさい」


「父上も母上も大嫌いだ。でもずっとずっと我慢していたんだ。タキはなにをしてもいいって言ってくれたんだ。我慢しなくていいって言ってくれる。いっぱい楽しいこと教えてくれる。これからもいっぱいいろんなところに連れてってくれる約束したんだ。イヤだよぉ、タキと離れるのイヤだよっ」


「…………」

「王様なんかなりたくない。ここにいたい。うわぁーーーーーん!」


 呆然としていたライナスがようやく我に返ってアイシスを大喜から引き剥がした。


「やめなさい、アイシス、恥ずかしいっ。それでも栄えあるフェリクス王国を統べるラドスキア王家の血をいただく者かっ」


「でもっ、でもぉ」


「でもではない。わがままはもっとも許されないことだ。お前はみなを振りきって私とともに飛ばされた。皇太子としてあるまじき行動をした。罪は重い。それをまだ重ねるつもりかっ」


「…………」

「部屋に行って反省しなさい」

「兄上」

「行きなさい」


 けっして怒鳴ってなどいないが、声に強い力を感じさせる。普段穏やかなライナスなだけに、彼が今、どれほど怒っているのかがよく伝わってくる。アイシスは息をのみ、力なくうなだれて身を翻した。そしてトボトボと歩き、店舗から居住場所へと去って行った。


 ライナスは大喜に向き直り、胸に右腕を当てて深く頭を下げた。


「まことに申し訳ございません。妹が失礼を働きました。代わって私が謝罪申し上げます」

「…………」


「一つ言い訳をすることをお許しください。あの子は我が一族の跡目を継ぐために、周囲においては性別をも偽って、男として厳しく育てられております。遊ぶことも許されず、好きなこともさせてもらえず、ただただ後継者としての教育を施されてまいりまして、それがタキさんのおかげで自由になり、心から慕っているのです。どうかお許しいただきたく」


「あんた……」


 大喜の呟きのような言葉にライナスが顔を上げる。大喜はひどく驚いたように両眼を見開いていた。


「いや、なんでもない。多希」

「はい」

「あの子の様子を見に行け」

「あ、はい。え、でも」

「行け」

「はい」


 慌ててアイシスのあとを追う。それを見届けてから大喜はライナスに顔を戻した。


「立っとらんと、座ったらどうだ」

「そのような立場ではありませんので」

「話しにくいだろうが。座んなさい」

「……では、お言葉に甘え、失礼いたします」


 ライナスがカウンターテーブルに並んだ椅子の一つを動かし、大喜に向け正面になるように腰を下ろした。


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