第2話

 さらに一週間が経った。


 開店前、ライナスが店の前を掃除している。そこにやってきたのは前川だった。ライナスの正面に立った。


「これは前川さん。おはようございます」

「…………」

「まだ開店までに三十分以上はあるので店内にご案内ができないのですが」

「わかってる。あんたに話があるんだ」


 あんた、という言葉にライナスのこめかみがピクンと動いた。それでも優美な笑顔は崩れることはない。


「お話とは?」

「あんた、いつまでここにいるんだ?」

「いつまで。いえ、決まっていません」


 答えると前川がキッと鋭く睨み上げてきた。ライナスは一八〇センチあるが、前川は一七〇センチないくらいだから十センチの差がある。


「お前、迷惑なんだよ。それ、わからないのか?」


 今度は、お前、と来た。


「嫁入り前の若い女性が一人で住む家に転がり込んで、無神経で厚かましいだろう。多希ちゃんに妙な噂が立てば、彼女の評判が悪くなる」

「それはおっしゃる通りですね」


 飄々とした返事に前川の顔はますます怒りを浮かべて赤く染まり始める。ライナスはそれを事も無げに見下ろしている。


「いくら幼い妹が一緒であっても、そのような目で見る人はいるでしょう。私が厚かましくタキさんの厚意に甘えているのも事実です。ですが、私も一方的に恩恵にあずかっているつもりはありません。彼女が快適に過ごせるよう、誠心誠意心を配っています」


「それが厚かましいって言うんだ」


「そうでしょうか。互いに利益があるから協力しているのですよ? 私たちは兄妹は、住む場所を保障してもらう代わりに、タキさんの安全を保障しています」


「多希ちゃんの安全? バカ言うな。男のお前が傍にいることが一番危険じゃないか」


 ライナスは、いえいえ、と手を小刻みに振った。


「一番危険なのは客のフリをして不埒に近づこうとする者です。相手が客なら、よほど不快でない限り拒絶はできません。私はそういう客をさり気なく遠ざけています。それになにもしなくても、私がいるだけで不埒な真似はできないでしょう。前川さんは常連客なのですから、よくおわかりだと思います。だから私に注意されているのでしょうから」


「…………」


「私が傍に控えている間は、タキさんは安全です。私は誓ってタキさんに不埒な真似はいたしませんから」

「そんなこと、信じられるか。とにかく、さっさと国に帰れっ」


 前川は言い捨てると身を翻して駆けだした。その背を冷たいまなざしでライナスは見送ったが、すぐ傍に老人が立っていることに気がついた。


 初めて見る顔だ。背は前川より少し高いくらいだろうが、姿勢がいいのでスマートに映る。


 ライナスは、客か通りすがりの人なのか迷いつつ、軽く会釈をした。するとその老人は無反応のままライナスの前までやってきた。


「あんたがライナスさんかい」

「……はい。そうですが」

「前川の言っていることは正しいが、あんたも半分は正しいな」

「え? あ、ちょっと、まだ開店前でっ」


 老人は、ふん、と鼻を鳴らすと店の扉を開けて中に入っていく。ライナスが慌てて追いかけて止めようとしたが、店内に足を踏み入れた瞬間、多希の大きな声が響いた。


「おじいちゃん! どうしてここにいるの!?」


 おじいちゃん、という言葉にライナスは目を見開き、呆然と立ち尽くした。


 一方、多希は慌てふためいた様子で駆けてくる。その後ろには、同じように驚いているアイシスがいた。


「お前が店を再開させたって聞いたからだ。しかも、外国人を住まわせて手伝わせているとな」

「えーっと」

「若い男と、幼い子ども。親子ではなく腹違いの兄妹だっていうんだから、放っておけないだろう。まあ、親子だったとしても放っておけないが」

「……ごめんなさい」


 大喜はカウンターテーブルの席に腰を下ろした。


「なぜ言わなかった?」

「……言っても反対しかしないでしょ」

「当然だ。雇うだけならまだしも、家に住まわせるとは。どこの世界に嫁入り前の娘が若い男を家に住まわせるんだ。世間がなんと言うか、わかるだろう」

「ライナスさんはそんな人じゃないわよ」


 大喜は多希が出したコップを掴み、水を飲んだ。


「わかるものか。なにも知らない世間知らずのくせして」

「そんなことないわよっ」

「そんなことがなくて世間を知っていたら、男を家に引っ張り込むような真似などせん」


 ダン! 大喜がコップを乱暴に置くと、その音で多希の体がビクリと反応する。多希は大喜がそうとう怒っているのがわかって反論する気持ちを失い、口を噤んだ。



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