第6話

 寝室の奥の窓辺には、一人掛けのソファが二脚と丸テーブルが置かれている。ライナスが座ったあと、セルクスが一礼してから腰を下ろした。そして前のめりに、声を潜めて話し始めた。


「待て、セルクス。わざわざ寝室に移ったんだ、普通に話せ」

「いえ、念には念を入れたく。殿下、わたくしはこの数日、オグスレー殿と秘術の移送軌跡を追っていました」


 オグスレーとは魔道隊の長を務める、秘術の操作を誰よりも知っている男だ。


「姿が見えないと思っていたら、そんなことをしていたのか」


「どのような経路を辿り、あの世界にたどり着いたかのか。お迎えにあがった時の軌跡は簡単でしたが、同じ軌跡を水晶無しで辿れるのかを調べていたのです」


「…………」


「最終地点、つまりヨシムラ様のご自宅まで行けるかどうか定かではありませんし、試し打ちができないので危険を伴いますが、座標の方向を定めることは可能です」


「お前、なにが言いたい」


 いつの間にか、ライナスの眉間にしわが刻まれている。


「殿下、どうか、行ってください」


「行く?」

「はい。ヨシムラ様のもとに」


 ライナスは驚いたように両眼を見開いた。


「秘術の軌跡を追うと同時に、この問題を解決する方法がないか、ずっと考えていました。それで、答えを得たのです」

「答え?」


「殿下とヨシムラ様が結ばれ、かつ、二つの世界を行き交いする方法を、です。閃けば、実に簡単なことだと思いました。殿下、なにも悩まず、互いの想いを成就なさって、ご結婚いただいたらいいのです。そうすれば、おのずと御子が誕生することでしょう。その御子に、座標の水晶を預ければいいのですよ」


「…………」


「生まれてくる御子は王族です。王族であれば、例え赤子であっても座標の水晶を持つことは許されます。秘術の力が満ちるまでの時間、行き交いはできませんが、まったく断絶することはありません。それに、飛ばす時に別の衝撃を与えれば、力の消費を抑えることができることがわかりました。この方法を得てしまえば、移動のスパンが短くなります」


 ライナスはセルクスの目を睨むように見つつ、大きく深呼吸をした。


「それは私も考えていた。タキさんをあきらめたことが誤りだったと、私は判断を誤ったと後悔して、他になにか良い方法はなかったのか、ずっと考えていた。ただ、座標の水晶が手元にある以上、タキさんのもとに行く術がないと思っていた」


「殿下」

「お前も同じところに行き着いたとなると、正解なんだろうな。だが、セルクス」

「はい」

「だとすれば、私は戻ってくる気はない」


 セルクスが息をのむのもかまわず、ライナスは続ける。


「行けば、もうここに戻ってくる気はない。王妃が世継ぎを産んだ以上、国としての憂いはなくなった。だが、王妃はますます私の存在を恐怖と捉えるだろう。侍女を娶るように言いだしたのも支配したいからだ。ならば、二度と戻ってこないほうが安寧となるだろう。お互いに最良だ」


「殿下、それは……」

「こんなことを言わせるために軌跡を追ったのではない、そう言うか?」


 セルクスは目をギュッとつぶり、激しくかぶりを振った。そしてジッと見つめてくる。目が潤んでいる。


「殿下が幸せにおなりになるのならば、このセルクス、いかようなことでも致します。ずっと殿下に仕え、殿下を見てまいりました。ヨシムラ様に向けるまなざし、かける言葉、帰郷時の苛立ち、あのような殿下を拝見するのは初めてです。いかに想われているのか痛感し、ずっと苦しかった……なんとか、なんとか……して差し上げたかったのです。幸せになってほしくて……」


 セルクスは途中で言えなくなり、うつむき、両手で顔を覆った。そんな彼の肩にライナスは優しく手を置いた。


「ありがとう。お前には感謝してもしきれない。いや、お前だけではない、ローゼンや、私に仕えてくれている者たちすべてに感謝している。お前たちがいてくれたから、私は今までこうやって生きてこられた」


「殿下」

「アイシスも連れて行く」

「えっ」

「あの子にも、自由を与えてやりたい」

「…………」

「大丈夫だ。きっと陛下もわかってくださる。セルクス、世話になったな」


 セルクスの目から涙がこぼれ落ちた。


「泣くのはまだ早いぞ。いかに陛下から了解を取り付けても、肝心の秘術に力がたまらなければ飛べないのだからな」

「そうですね。存外、まだまだ長くお仕えできるかもしれませんね」

「縁起でもないことを言うな。私は今すぐにでもタキさんのもとに行きたいというのに」


 ライナスの本音にセルクスが泣き笑いを浮かべた。ライナスが手を出すと、両の手でガッツリと握りしめる。ライナスは部下の気持ちを感じ、ただただ胸の内に深い感謝の思いを抱いたのだった。


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