第6話

「タキさん?」


 カウンターの中ではライナスが目を丸くして立っている。どうやらコーヒーの淹れ方を勉強していたようだ。サイフォンの一つから芳しい香りが漂っている。


「コーヒーはライナスさんの担当かい?」

「いえいえ、私はまだまだです。とても人に出せるものではありません。当面は給仕と掃除係です」

「この店、大喜さんの時はむさいじいさんやおっさんばっかりだったけど、これからは若い女の子で賑わいそうだなぁ」


 ライナスは意味がわからないようで、首をかしげている。そんな様子に常連客たちは笑っているが。


 その横でアイシスが水と使い捨てのおしぼりを配っている。


「急遽のプレオープンだから好みに合わせられずごめんなさい。コーヒーはキリマンの中煎りかブラジルの深煎りです。食べ物のほうはホットケーキになります。キリマンがいい人~」


 はーい、と四人が手を挙げた。


中西なかにしさんと深田ふかださんと松本まつもとさんと牟呂むろさんがキリマンで、和田山わだやまさんと前川さんがブラジルですね」


 また、はーい、と声が上がる。


 多希はまずホットケーキ作りから取りかかった。といっても、ホットケーキ用に配合された粉に玉子と牛乳、少量のヨーグルトを入れて混ぜ、フライパンで焼くだけだ。


 混ぜ終えたらホットケーキの生地が入ったボールをアイシスに渡した。


「お願いね」

「任せて!」


 ホットケーキを焼くのはアイシスの担当だ。


 二つのフライパンを用意し、それぞれ三枚焼くように生地を流し入れる。気泡が湧いてきて表面が波打ってくるまで見守り、ひっくり返して蓋をしたら今度は二分待つ。


 そんなアイシスを見ることなく、多希は大きなコーヒーサーバーを用意して、まずはキリマンジャロを中細挽きにしてセットした。


 そこに湯を少しずつ垂らし入れる。最初は蒸らすため、こんもりとした山を作るようにして、できた山がゆっくり萎むのを待ってから、完全に陥没する前に注ぎ足す。ここからは焦れるくらいの少量を途切れないように注意する。


「いい香りだなぁ」


 誰かが言ったが、コーヒーに注力している多希は反応しなかった。


 まずは四杯分を作り、温めておいたカップに注ぐ。


(ん?)


 運んでもらうためにライナスを見ると、彼は多希ではなく窓際の四人掛けテーブルのほうを向いている。


「ライナスさん?」

「あっ、すまないっ」


 ライナスは慌てたように多希のもとにやってきた。淹れ終えたコーヒーをライナスに託すと、多希は次に取りかかった。


「キリマンの人、挙手」


 カウンターテーブルに向かっている中西が、自ら手を挙げながら言う。他の三人が「はーい」と返事をしつつ手を挙げた。


「失礼します。キリマンジャロです」


 ライナスが四人の前にコーヒーカップを置いていく。


 漆黒の水面が店内のライトをわずかに反射させつつ揺れている。その面からは白い湯気がコーヒー独特の芳しい香りを纏ってやんわりと立ちのぼっている。四人はそれぞれカップを顔に近づけ、大きく吸い込んだ。


「いい香りだ」

「ああ、本当に。多希ちゃんのコーヒーは初めてだなぁ」

「大喜さん、コーヒーだけは自分で淹れてたもんな」

「そうそう。多希ちゃんは紅茶係だったから」


 多希は常連たちが話しているのを聞きながら、深煎りされたブラジルを中挽きにしてドリップを始めた。


 隣ではアイシスが焼き終えたホットケーキを皿に盛っていく。そこにライナスがバターを載せ、メイプルシロップが入ったポーションを皿の端にセットして四人の前に置いていく。


「ほほぅ、うまそうだ」

「手慣れたもんだなぁ」

「そうですか? よかった。練習しました」

「手並みはすごーくよかったよ。じゃあ、味見だな」

「タキが作ったからおいしいです!」


 アイシスが緊張気味に言うと笑いが起きた。


 その間に多希がブラジルを淹れ終えていて、待っている二人のもとに届けられた。


「うん、いい香りだし……おいしい。最高だよ」


 前川が感動したように言った。


「前川さんったら大げさですよ」

「本当においしいって!」


 多希は微笑んで対応し、使った道具の洗浄を始めた。


「ところで多希ちゃん、大丈夫なのかい?」


 そう言ったのは多希が立っている場所から一番近いカウンター席に座っている深田だ。


「大丈夫かって?」

「再開するって聞いて大喜さんが戻ってくるのかと思ったら、多希ちゃん一人でやるって言うからさ。ライナスさんが手伝うって言っても、観光で滞在している間だけだろ?」


「それはそうだけど、彼、しばらく日本にいるから」

「そうなの?」


 みなの視線が一斉にライナスに向いた。

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