第4話

 翌日。


 店は閉めることにした。ただ、いきなりやめてしまうと常連客や近所の人に心配されそうなので、とりあえずは『臨時休業』の張り紙を出した。


 なにもかも失ってしまった。愛しい人たちも、店も。


 つい、そう思ってしまう。


 そんなことはない。大喜がいるではないか。


 自分を叱責し、納得させ、正しかったのだと言い聞かせる。


 そんなことの繰り返しだ。


 心は沈んでしまって、なにもする気が起きないが、ぼんやりしていても仕方がない。そう思い、ひたすら片付けと掃除をしようと決めた。


 昨日は結局なにもせずに終わってしまったので、今日から頑張らなければ。


 そんな多希だったが、スマートフォンが震えていることに気づいて手に取ると、メッセージが受信されている。展開すると、大喜からだった。


『すぐにこい』


 入力が苦手なのでひらがな平打ちの短いメッセージだ。


「まったく」


 呆れながら了解の返事を送り、急いで出かける用意をした。


 施設に到着し、受付でスタッフに挨拶しながら名前を書いていると、奥の事務室から施設長が慌てて近づいてきた。


「吉村さん」

「こんにちは。いつも祖父がお世話になっています」

「こちらこそ。あの、吉村さん、大喜さんとケンカなさいましたか?」

「え?」

「以前来られてから、大喜さんの元気がなくてですね。お孫さんに連絡しようとすると怒られるので、こちらからはなにもできずにいたんです。いらっしゃるのを待っていました」


 言われて目を丸くする。


「おじいちゃん……あ、いえ、ケンカってほどのことはないんですが、口論しちゃって。すみません、ご心配をおかけしてしまって」

「そうなんですか。なんだかずっと考え事をされているのか、お声がけしても上の空というか。ちょっと気をかけて差し上げてください」


 互いに頭を下げ、多希はエレベーターに向かった。


(おじいちゃん、ケンカしたので落ち込んでた? そんな性格じゃないと思うんだけど。でも、いきなり来いって呼びつけるんだから、元気よ、きっと)


 部屋の前に到着し、ノックをしたら返事を待たずスライドさせた。


 大喜はいつものように一人掛けのソファに座っていた。


「多希、待ってたんだ。名案を思いついた」

「名案?」


 反芻しながら大喜の隣に座る。土産にと持参した手作りのマドレーヌをテーブルの上に置いた。


「お前とライナスさんがうまくいく方法だ」

「え?」


 刹那に多希の顔が曇った。しかしながら、大喜は一方的に話を続ける。


「そうだ、万事がうまく行く方法だ。お前がライナスさんの子を産んだらいい」

「…………はあ?」


「水晶とやらは王家の者しか持ってはいけないんだろう? ライナスさんの血を引いていたら持っていていいということだ。秘術の力がたまるまで行き交いはできないが、満ちれば自由だ。どうだ、名案だろう?」


 多希が目を瞬いている。驚きすぎて言葉が出てこない。


「俺がお前たちの子どもを見てやれば、お前だってライナスさんの国に行けるわけだしなぁ」

「なにを言ってるのよ」

「結婚して、子どもが生まれたら、すべてがうまくいく、って話じゃないか」

「…………」


 そう言われたら、その通りだ。


 想いあっている。その想いのままに結婚し、普通に暮らせばいいのだ。子どもはフェリクス王国の王家の血を引くのだから、座標の水晶を持つ資格を持っている。子どもを水晶ごと大喜に預けておけば、多希とライナスは秘術の力さえ満ちれば自由に行き交いができる。そこにアイシスが加わっても、なんら問題はない。


「ライナスさんに話して、さっそく子作りをしろ」

「! おじいちゃん!」


「なんだよ、良いことじゃないか」

「良いとか悪いとかじゃなくてっ。恥ずかしいこと言わないでよ。それでも祖父なの?」


「俺はお前たちが幸せになれる方法をずっと考えていたんだ。万事解決できる名案を思いついたから言ってるんだろうが。お前だってライナスさんが好きなんだったら、貪欲になれ……多希?」


 多希の目から、また涙が溢れている。


「多希、どうした」

「…………」


 黙り込む多希を凝視する大喜だったが、やがて涙の意味を察したのか、肩を落とした。


「遅かったのか」

「……昨日、だったの」

「そんなに早かったのか」

「う、ん。ライナスさんも、驚いてた」

「そうか」


 二人して項垂れる。

 しばらくの間、互いに口を噤み、沈黙が続いた。


「行けばよかったのに」

「おじいちゃん」


「まあ、聞け」

「…………」


「済んだことを言っても始まらん。次にこれと思う相手を見つけたら、迷うな。俺の生い先は短い。俺に構って貴重な時間を無駄にしてはいけない」


「そんなことない! たった一人の身内のために頑張ることは、私自身の問題じゃない。おじいちゃんとの時間が私にとって大事なことなのよ? 選択を誤ってなどいないわ」


 泣く多希の頭を、大喜がゆっくりと撫でた。


「多希。お前が生きる道に、他人を考慮することはない。他人はお前の人生を保障してくれないし、お前に譲ってもくれない。冷たいように聞こえるが、それが現実だ。お前がもし、人を思いやって生きていきたいと言うなら、与え続けられるくらい人の数倍幸せになれ。お前の手の中になにもなければ、お前は人を頼って、人に与えられないと生きていけなくなる」


「私はただ……初めて人を好きになって、その恋が実らなかったことが、悲しいだけなの。後悔なんか、してないから」


 涙を流しながら、だが強い目力で言う多希を、大喜は悲しげなまなざしで見返す。そして頭を撫でていた手を後頭部にやり、ぽんと弾くように優しく叩いた。


「初恋は実らないもんだ。俺も実らなかった」

「そんなこと言ったら、天国でおばあちゃんが怒るよ」

「ははは、そうだな。だけど、大事にしたさ」

「苦労させられたって言ってたけどなぁ」

「言うだけだ。逃げなかったじゃないか」

「そうだね」

「人生は長いからな。次、現れたら、逃すなよ」

「……うん」


 そんな日が来るのかどうなのか。多希には来ないような気もするのだが、今は祖父の優しさに甘えて頷くことにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る