第3話
「午後からは買いだしに行きましょう」
「この前のショッピングセンター?」
アイシスはゲームコーナーに行けると思ったのか、ますます目を輝かせている。
「ごめんね、今日は違う場所なのよ。喫茶店に使う材料は別のところに買いに行くの」
「あのお店では買えないの?」
「あそこは普通に生活している人用のお店だからね。お店で出す商品は、別の場所で買っているのよ」
「へぇ」
「特に、ライナスさんには、お遣いをお願いすることが多いと思うから覚えてほしいの」
「承知した」
食べ終わると食器を食洗器に入れて稼働させる。次に買い物へ行く準備に取りかかった。
車に乗り込み、卸売市場に向かう。
「私も運転ができたらいいんだが」
後部座席に座るライナスがおもむろに話し始めた。
「馬なら得意なんだが」
「!」
「剣術は嗜み程度だが、馬の扱いは自分で言うのもなんだが、うまいんだ」
「…………」
多希の肩が震えている。だが、ライナスはそのことに気づいていない。
「王宮騎士団の団長を務めるアスティラにも褒められたんだから本当なんだ。疑わないでほしいんだが」
多希が返事をしないので、信じていないと思ったようだ。多希としては、いくらなんでも馬はないだろう、と言いたいところなのだが。
「タキさん、聞いているか?」
「聞いてます。疑うなんてしてません。でも……」
「ん?」
やはり肩が震えてしまう。
「御覧の通り、この国では、一部の例外を除いて、交通手段に馬は使わないんです。だから、車の運転に馬の話は、ちょっと……ふ、ふふ……ごめんなさい」
ようやく多希がウケて笑いをこらえていることを理解し、ライナスの整った秀麗な顔に不満が浮かぶ。しかしながら、確かに車窓から見える様子からは、馬の出番はないと思ったようだ。
「ライナスさん、馬の名誉のために言いますが、車は鉄の塊で、ものすごいスピードが出ます。そんな中を走らせては馬が危険です。万が一ぶつかった時、車は壊れてもしょせんモノですが、生きている馬は大けがをするか、最悪死んでしまいます」
「……それは、確かにその通りだな」
「だから馬を交通手段にするのはよくないと思います」
「…………」
明らかにしょぼんと残念顔になったライナスをルームミラーで見、多希は浮かんでくる笑いを嚙み潰した。
「馬に乗れるところもあるから、今度、行きましょう」
「本当か? ぜひ行きたい。馬術が得意なところを見てもらいたい」
多希は笑顔で頷いた。
この世界に来て多希に教えられるばかりだから肩身が狭いのだろう。あるいはなにも知らないと恥じているのかもしれない。少しくらい、良いところを見せたいのだと察する。
「週に一度の定休日は、二人がこの世界、それから日本のことを知るための日なので、いろいろ出向きましょう。乗馬もだし、蝋細工体験もそうだし。アイシスが喜ぶ楽しい場所もね」
「ホント! やったー!」
後部座席のアイシスが万歳をした。
「それで、運転のことですけど」
ライナスが、あっ、という顔になった。
「教習所という場所があります。そこに通って技能や交通ルールを学べば運転できるようになります」
「本当かっ」
「はい。通います?」
「ぜひにも通いたい。これは非常に便利だ。私自身が操ることができれば、行動範囲が広がるし、タキさんの負担を軽減できる」
「じゃあ、今夜、どこに申し込むかとか決めましょう。すぐだから」
ルームミラーに映るライナスの目がキラキラと輝いている。
多希の負担軽減は本音だろうが、純粋に運転してみたいのだろう。馬の扱いが得意と主張するところを見ても、そういったことが好きなのかもしれない。
(慣れない世界でストレスも溜まるだろうし、気晴らしにドライブに行ったらいいわ。アイシスを連れて出かけてもらってもいいし)
ライナスは近いうちにこの自動車を運転できるようなることがよほどうれしいようで、アイシスに向けて外を指さしてなにか話している。
程なくして目的地が見えてきた。近所の卸売市場だ。
「そろそろ着くから」
車は大きな建物の中に入っていく。駐車場に車を止めて、三人は店が並ぶフロアに向かった。
「この前のお店とぜんぜん違う」
「ここはお店をしている人たちがやってくる市場だから、遊びのムードはまったくないの」
説明しつつ、『喫茶マドレーヌ』に必要なものが売っているコーナーに二人を連れて行く。どれも箱売りで、けっこう安い。
「こんなにあるのに、この値段なのか?」
「たくさん買うから安いんです。ウチもまとめ買いの時に来ているから。少量の時は近所のスーパーのほうがいいのだけど」
コーヒー豆、紅茶葉、砂糖、牛乳、卵、パスタなどを買い込む。果物や魚、肉なども多くはないが購入した。それ以外にも、使い捨てのおしぼりや、卓上ナフキンなどの消耗品も。
帰宅して買ったものを片づけると、準備はおおかた終わった。
あとはマンパワーの部分だけだ。ライナスはトレーに皿を載せ、運ぶ練習をしている。さらにトレーの皿やコップをテーブルに置くことも。
そんなことまで練習しなくても、なんて多希は思うのだが、本人曰く、今までこういったことはやってもらった側で、自らは経験が乏しい。失敗して客を怒らせたら多希に迷惑をかけてしまうから入念に練習をしたいそうだ。
(真面目)
ライナスの整った顔を眺めながらそう思う。
(しかも、欲がないわよね? だっていくら父親に後妻が来たからって、自分のほうがこれから生まれてくる王子様より遥かに年上で、周囲も推してくれているなら王様になろうと思わない? それを捨てちゃうなんて。ライナスさんは勉強が得意だからって言うけど、そうじゃなくて、真面目で気遣いの人だから周囲の人は味方しようって思ったんじゃないかな。この人に、王様になってほしいって)
母親の身分が低かろうが王子は王子ではないか、さっさと権力を手中に収めたほうが勝ちのように思う多希だが、それがライナスの人柄なのだろうと妙に納得もしてしまう。
今はその人柄に頼っている自分がいる。『喫茶マドレーヌ』が再開できるのもライナスのおかげだ。
多希はせっせと開店の準備に勤しんでいるライナスを眺めていた。
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