第3話

 二週間が経った。


 特になにもない。ライナスは座標の水晶を仕舞い込んでいるのか、多希は以前に見たような、光っている様子を目にすることはなかった。


 この二週間の間にライナスは努めて教習所に通い、全課程を修了して卒業するに至った。本当なら本試験に進むのだが、実は問題があって、それを解決するためにどうしようか思案している間に座標の水晶が輝き、ライナスは運転免許証取得を断念すると告げた。


 それは身分を証明する証明書を用意できないからだ。


 フェリクス王国はこの地球上に存在していない。近所の住民にはスウェーデンから来たと偽っているが、実際はスウェーデン人ではないので、パスポートも就労ビザも、なにも持っていない。不法滞在状態だが、いきなり異世界から来てしまったのだからどうしようもない。


 では、どうやって教習所に入所できたかというと、客のツテを使って、特別許可を得てのことだった。


 異世界から来たとはさすがに言えなかったものの、多希のごにょごにょした様子から訳アリと察してくれ、ライナスの人柄を信頼した上で手を回してくれたのだ。


 本来は褒められたことではない。とはいえ、ここは民間企業なので、なんとか授業を受けることはできた。


 しかしながら、免許証を交付されるには正式な手続きが必要だ。さぁ、どうすべきか、と頭を抱えた時、座標の水晶が輝いた。ライナスはそう遠くない時期に迎えが来ることを理解し、免許取得をあきらめたのである。


 多希にはひどく残念に感じるのだが、本人は車を運転できる技術を得られたことに、充分だと喜んでいる。


 定休日の今日は朝からのんびりしている。


 多希はコーヒーをドリップしならが、


「異世界からトリップなんて非科学的なことが起こるんだから、魔法かなにかでチャチャッと書類が用意できたらいいのに。だってライサスさんもアイシスも、日本語の読み書き、ぜんぜん問題なくできるじゃない。それって秘術のおかげなんでしょ? だったら証明書用のパスポートをぴゅっと生み出してくれたらいいのに」


 なんて言ってみたのだが。


「秘術は確かに魔法みたいなもので、言語においては脳に働きかけて使えるようにしてしまうが、私自身はタキさんと同じで、魔法など使えないんだ」



「教習所に入る時、必要な書類や内容を一緒に聞いたじゃないですか、その時に本試験は難しいってわかっていたってことですよね? 最初から受けないつもりでした?」


「なにか良い案がないか探すつもりだった。まさかこんなに早く、秘術の力が満ちるとは思わなかった。数年、へたをすれば数十年はかかると思っていたから。その間になんとかできないかと考えて」


「できないでしょっ。お役所はなかなか頑固で融通が利かないんですよ」


「みたいだな。我が国では王族を筆頭に、高位貴族が口利きをすればいかようにでもなるから」


 多希は、それは日本も政治家に頼めばもしかしたらできなくもない、と言いそうになり、すんでのところで踏みとどまった。


 それは忌むべき行為だからだ。


(まぁ、世の中、蛇の道は蛇で、悪いことをやってる人はゴロゴロいるけどね)


 なんて思うのだが。


「ところでタキさん。最近、おじいさんのところに行ってないのでは? 今日は定休日なんだし、顔を出してはどうだい?」

「…………」

「タキさん?」


 きまりの悪そうな多希にライナスが首を傾げる。


 多希は大喜と口論になって施設を飛びだしてから、気まずさとわだかまりから会いに行っていないのだ。


(ライナスさんはわざわざ、おじいちゃんに謝りに行ってくれた。自分の気持ちをきちんと述べた上で、約束を守れそうにないことを。この人は本当に誠実な人なんだわ。こんな素敵な人に求めてもらえたのに、私は……)


 ライナスが不思議そうな顔を向けている。


「あの、ライナスさん」


 その時、タタタッと足音がして、アイシスがダイニングルームに入ってきた。


「終わったの?」

「うん」


 最近サブスクで配信が始まったアニメにハマっていて、今朝もそれを見ていたのだ。


「長かったんじゃない? 最初から全部見てた?」


 アイシスは多希の横にやって来て、ぴょんと跳ねるように椅子に座った。


「うぅん。お菓子作りの動画も見てた。スコーンとか、マフィンとか。女の人に人気だってやってて、お店で出せたらいいなーって」


「アイシスはなかなか研究熱心ね」


「だってさ、おじさんたちってコーヒー一杯で新聞ずーっと読んでて、あんまりお金にならないんだもん。女の人たちはスイーツ頼んでくれるから、そっちにシフトしたらどうかなって」


 なかなか渋いことを言う。多希の顔に苦笑が浮かぶ。


「アイシスの言うことは、確かにそうだけど、ランチが終わるまではおじさんたち、そのあとにスイーツ目的の女性たちって感じで、うまく回ってると思うけど」


「おじさんが来てくれることは、僕はぜんぜんかまわないよ。コーヒーと一緒に別のものも頼んでほしいだけ」


 多希はますます苦笑を深めた。


「兄上もそう思うよね!?」

「まぁ」


 ライナスがそう答えた時だった。いきなりハッと息を詰め、胸を押さえる。そして焦ったようにペンダントのチェーンを引っ張り出した。


 座標の水晶であるはずのペンダントトップは、革の袋に納められている。ライナスがその革の袋を取り外した。


「あ!」


 そう声を発したのは誰だったのか。


 座標の水晶が今までにない強い光を放って輝いている。


 それを見た瞬間、多希は嫌な予感を覚えた。


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