第3話

 多希は不穏なものを感じて、目を瞬いた。


 オーブンのガラス面から見える中から、赤いものが見えるではないか。


「ちょっと?」


 店は閉めているが、菓子を焼く時は店のオーブンを使っていて、この半年まったく問題はなかった。


「うわ、燃えてる? ヤバい!」


 慌ててスイッチを切ろうと立ち上がった時だった。オーブンがバン! と開き、楕円形の枠の中に虹のような七色の光が浮かび上がり、それがオーロラのように波打っているではないか。


 多希はその現象をはっきり覚えている。


 いや、忘れたくても忘れられない。


(まさか!)


 七色の光に人影が写る。一つは大きく、一つは小さい。


 そのシルエットも覚えている。


 これも忘れたくても忘れられない。


(ウソ!)


 体の奥底から激しくなにかが込み上げてくる。まだ姿は現れていないのに、目の前が滲んでいた。


 多希はふっと自分の世界から音が消えたような気がした。


 無音の中にたたずみ、じっと目を凝らしている感覚だ。


 オーロラのように波打ち、七色の光がさらに大きく揺らめく。その中を、二つの影がゆっくりと歩いてくる。


(……ウ、ソ)


 愛しくて、愛しくて、会いたくて、会いたくて、仕方のなかった人が目の前に立っている。


「タキ!」


 つんざくような大きな声と同時に、アイシスが駆けてくる。多希が両膝を衝いて腕を広げると、ぶつかるように胸の中に飛び込んできた。


「アイシス……ホントに、アイシスだ」

「うん、タキ、会いたかった」


 アイシスの声が涙に裏返った。そして力の限りしがみついてくる。


「会いたかった、私も」

「うわーーーん!」


 耳元での泣き声は痛いくらいの衝撃だが、多希にはうるさいどころか心地いいくらいだ。


 そして、愛しい人が多希の前に立った。アイシスを抱きしめながら、見上げる。


「…………」


 声が出ない。


 ライナスの、いつもと変わらない穏やかな表情。優しいまなざしが多希を見下ろしている。


 ライナスも身をかがめた。目線を合わせて微笑む。


「タキさん」

「…………」

「元気そうでよかった」


 大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。


 ライナスが手を伸ばし、多希の頬にそっと触れつつ、涙をぬぐってくれた。


「ただいま」

「!」


 じっと見つめ、多希は震える唇を動かした。


「おかえりなさい」


 ようやく答えると、ライナスはアイシスごと多希を強く抱きしめた。



 場所をダイニングルームに移し、お茶を淹れて席に着く。一口、二口と飲んでから、ライナスが話を始めた。


「あの時、迎えに来た中に若いのがいただろう? 彼はセルクスというのだが、私がいかにタキさんを想っているか痛感したそうで、なんとか成就させられないかと、いろいろと調べてくれたんだ。それで秘術が辿った軌跡の形跡を見つけてくれて、今回に至ったわけだ。だが、それとは別に、実はね」


 ここまで言って、ライナスは手を伸ばし、多希の左手を取った。そしてそこにある指輪を剥き取る。それは別れ際にライナスが多希に渡した指輪だった。


「この部分は開くんだ」


 上部を回して持ち上げると、確かに外れた。中は空洞で、小さなか欠片が入っていた。


「これは?」

「座標の水晶の欠片だ」

「え? え、まさか、ライナスさん」


「少しだけ削ったんだ。こんなことをやったら、きっと精度が落ちて、ヘタをしたら使えなくなってしまうかもしれないんだが、ここに辿り着ける印をどうしても残して置きたくてね。二度と来られない、二度と会えないと覚悟しながら、どうしても最後の最後で、あきらめられなかった」


 驚く多希に、ライナスが苦笑を向ける。だが、まなざしは優しい。


「私のやったことは、うまくいくかどうかもわからない小細工だが、セルクスのおかげで目標地点を定めることができた。で、あとは秘術の力は満ちれば、と思って待っていたんだ」


「僕もおとなしく待っていたんだよ、タキ! 兄上がいい子にしていたら、連れて行ってやるって約束してくれたから、周囲に、うぅん、母上に気づかれないように、ホントにおとなしく、良い子にしていたんだ!」


 アイシスの言葉に、ライナスが用意周到にこの半年を過ごしていたことを察する。


「正直、秘術の力が満ちるのは、いつかわからないもので、数年を覚悟していた。だが、急に大きな光が見えた。これはチャンスだと思った。だから力は満ちきれてはいなかったが、作動させたんだ。偶然だろうけれど、タキさんのアシストのおかげだ。うまくいってよかった」


「そんな……でも、ここに来て、大丈夫なんですか?」

「大丈夫だよ!」


 と、またアイシスが口を挟む。


「父上が許してくれたんだ」

「ホントに?」

「ホントだって。ね、兄上」


 ライナスが、うん、と頷く。


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