第9話 九台目のだんじり
日帰り出張の予定を変更して隣町の温泉旅館で一泊することにしたのは、駅に貼られていたポスターを見たからだった。それは精緻な彫刻で飾られた
ポスターの説明によると、「だんじり」とは関西地方で山車を指す言葉で、この温泉町では船の形をした8台の「だんじり」が引き回されるという。その祭が今夜、隣町であるのだ。都合よく翌日は土曜で会社は休み。そこで観光案内所で適当な旅館を紹介してもらい、隣町へ向かうバスに乗ったのだった。
だが、祭見物の客で混み合うバスで揺られながら、私は奇妙な気持ちだった。これまで祭には少しの興味もなく、見物に出かけたことなど一度もなかったからだ。なぜ「船だんじり」がそんなにも見たくなったのか、自分でもまったくわからなかった。
たしかに、だんじりは見事だった。龍や鳳凰、蓮といった彫刻で覆われた車体は、それ自体が工芸品であり芸術品であったし、その上でお
8台目のだんじりが通り過ぎると、老人はその後を追って歩き出した。
「あんたも来なされ。神社で奉納演奏があるから」
「あ、はい」
老人について行こうとしたその時、もう一台だんじりがやって来るのが目に入った。それは古ぼけて壊れかけているように見えた。引き手はみなうつむき、お囃子も陰気だった。車の彫刻も他とは違い、もだえ苦しむ人間の群像であった。
だんじりの上には黒い着物を着た男が立っていたが、私の前まで来ると扇子を広げ、四方に向かって呼びかけた。
「迷っておる者たちよ、早く乗らんかあ」
すると、周囲の見物者の中から数人が歩み出てきた。いずれも影の薄そうな者たちだったが、次々にだんじりによじ登り始めた。
「ほら、あんたもだ」
男は私に向かってそう言い、気がつくと私もだんじりによじ登っていた。振り返ると、いつの間にか町は遠ざかり、周囲は蒼黒い川面になっていた。
「この世の見納めじゃあ」と男が言った。
「えっ?」という声はもう出なかった。私もだんじりを飾る木彫の一つになっていたからだ。
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