第5話 エア・キャット
亜利沙とは第二外国語の最初の授業で出会った。5分ほど遅刻してきた彼女が、一番うしろの席にいた僕の隣の席に座ったのだ。腰を下ろしながら僕の方を見て笑った顔の、小動物めいたかわいらしさが印象に残った。
次に会ったのは、語学クラスの懇親会の時だった。やはり遅刻してきた亜利沙は、端の席にいた僕の隣にするっと座ってきた。
酒が入ったせいもあって、懇親会では話がはずんだ。猫好きだけど一人暮らしなので飼えないという共通点が、心の境界線をぐっと低くした。よく行く猫カフェとか野良猫が多い場所など、話題は尽きなかった。
一次会が終わる頃、亜利沙は顔を寄せてきて、こんなことを言った。
「でも、どうしても飼いたいからエア・キャットにすることにしたの」
「エア・キャット?」
「ほら、エア・ギターとかあるでしょう? ギターがあるつもりで演奏するやつ」
「ああ。じゃあ、猫を飼ったつもりってこと?」
「そう。見えない猫を飼っているの。それなら、ペット禁止の部屋でも大丈夫でしょ?」
「なるほど」
と言ったものの、それがそんなに楽しいこととは、僕には思えなかった。
「ねえ、今からうちの猫に会いに来ない?」
「え?」
ほぼ初対面の女の子から家に誘われるとは思わなかったので、僕は驚いて彼女を見返した。亜利沙は邪気のない、幼女のような笑顔を浮かべて僕を見ていた。僕はすぐに承知した。
亜利沙の住まいは古びたマンションの1階にあった。部屋の鍵を開けながら彼女は、「古いけど部屋は広いし、ほら、猫って外に出たがるでしょう?」と言った。
すっかり猫飼いになりきっていることに感心したが、それが尋常ではないことに、部屋に入ってすぐに気がついた。1LDKの室内には、至る所に猫トイレとエサ入れが置かれていたのだ。
「飼うのは1匹だけのつもりだったんだけど、だんだん増えちゃって」
僕が驚いているのに気づいた亜利沙は、ささやくように言った。
「でも、エア・キャットなんだろ……」
「そうよ。でも、本当の猫と同じようにしてあげたいの」
そう言うと亜利沙は見えない猫を抱き上げて頬ずりをした。
「ほら、あなたの足元にも三毛ちゃんがいるよ。抱っこしてあげて」
そう言う亜利沙の目は異様につり上がり、瞳は糸のように細くなっていた。
「ね、かわいいでしょう? 猫たちも喜んでいるわ。このところ新鮮な肉を食べてなかったから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます