2-3 六年前
灰鐘邸へ戻ると、ハル達は待っていたツバキから満面の笑顔で感謝された。
そこには他の村人達のように、困惑した様子が感じられない。
表情に出さない事が得意なのか、それとも無事に戻って来る事を想定していたのか。
疑っている関係でどうしても悪く考えてしまうが、どちらにせよ彼女が諸々の首謀者であるとしたなら、なかなか厄介な話である。
なんて事を考えながら、ハルは一人で屋敷の廊下を歩いていた。
服を着替えるためだ。さすがに儀式の服装のままではいられない。
ちなみにハルの服は、昨日、屋敷に着いてから確認したら奇跡的に無事だった。
さすが防水仕様の鞄である。お値段は少々高めだったが、あれを選択して良かったと心から思った。
(和服も好きなんですけどねぇ)
今着ている服をちらりと見てハルは思う。特に今着ているような袴のタイプは、動きやすさもあって好きだ。
肌触りも良いし、何かあった時も問題なく行動が出来る。
綺麗な服や可愛い服も、似合う似合わないはともかく好きだが、ハルは服を着る時は、ついつい動きやすいものを選んでしまいがちだ。
(……まぁ、何もないにこした事はありませんが)
少々脱線したが、そこが一番である。
ただ、まぁ、以下の状況だと無理そうだなとは思っているが。
(ひとまずタチバナ君がどうなっているか、着替えたら様子を見に行きましょう)
そう思い、荷物が置いてある大部屋へと向かって歩く。
部屋に近付くにつれてクラスメイト達の声も、小さいが聞こえて来る。とりあえず泣いている様子はないので、悪化はしていないだろう。
……とは言え、恐らくタチバナの容体は改善されてはいないだろうけれど。
その理由はハルとナツが無事に戻って来たからだ。
お社を出た時の村人達の反応を見るからに、自分達が無事に戻って来た事は、彼らの想定外なのだろう。
そしてハル達は、
誰かが、彼に、何かをした。
恐らくは村の人間。その中でも犯行に及んだ可能性が高いのが、神職の家系だと言った灰鐘家の誰かだ。
ハルが確認しているだけでも、灰鐘の家の人間は二人。ツバキにアキト。他にもいるかもしれない。
その前提で考えると、彼女達の目的がまだ達成されていないのであれば、せっかく人質のようににした人間を簡単に開放するはずがなのだ。
下手をするともっと被害が拡大する恐れもある。
(ひとまず、あれを何とか出来るかやってみよう)
ナツはタチバナの身体を何かが覆っていると言っていた。
それをどうにかする事が出来たならば、今後クラスメイト達が同じ状態になったとしても助けられる。
どうにもならなかった時は、携帯の電波が圏外になる前にメールを送った人物――ハル達の叔父が来てくれたら何とか出来る。
(……来てくれたら、いいのだけど)
一瞬、弱気な考えが浮かんでしまってハルは首を横に振る。
ひとまず叔父の事は横に置いておいて、自分に出来る事をしなければだ。
伊吹に頼んで人払いをしてもらって、タチバナの状態を改善できないかやってみよう。
そうハルが考えていると、
「あの、ハルさん、すみません」
と、後ろの方から呼びかけられた。
足を止めて振り返ると、そこに立っていたのはアキトだ。
顔を見ると、何やら少々緊張しているような雰囲気を感じる。
何だろうかと思いながらハルは応える。
「あ、これはどうも。先ほどはありがとうございました」
「いいえ、こちらこそ。色々とお手数をおかけしました」
「いえいえ。お役に立てたのなら何よりです」
もっとも、望まれた通りの結果ではなかったかもしれないが。
心の中でそう付け加えながら、ハルはにこりと笑って返す。
「……あの。一つ、お伺いしても良いですか?」
するとアキトが、誰もいないのを確認するように周囲を見回した後、声を潜めてそう聞いて来た。
この様子から察するに聞かれたくない類の話なのだろう。
堪えられるかどうかは内容次第ではあるが、とりあえずは聞いてみよう。
そう思ってハルは頷く。
「はい、何でしょう?」
「その……ハルさんとナツ君は山神様のお社で、本当に何もありませんでしたか?」
先ほどの村人達と同じ内容だが、その後でこれとは、なかなかストレートに聞いてくるのだな、とハルは思った。
真剣な眼差しを向けられながら、どう答えたら良いものかと一瞬迷う。
アキトが他の村人達のように、ハル達が無事だった事に対して動揺していれば、一考もしなかった。
それに、祟りの騒動が起きる前も、彼は自分達を気遣うような事を言ってくれているのだ。
正直に答えるか、否か。
少し悩んだが、それでも彼が信用できるかどうかを判断する材料にはちと弱い。
灰鐘家の人間でツバキの子供。その関係性から考えると、ここはまだ素直に言わない方が良いだろう。
そう判断したのでハルは、
「いえ、特には何も。少々お社の床が汚れていたくらいでしょうか。……先ほど村の人が言っていましたが、あそこに何かあるんですか?」
先ほどと同じようにすっとぼけて、逆にそう尋ねてみた。
とは言えこちらも誤魔化されるだろう。
あの井戸の事は、恐らく口無村の人間にとって、他人から見られたくないもの、もしくは気付かれたくない類のものという事は、容易に想像できるからだ。
そう思っていると、
「……ええ」
意外な事に、アキトはハルの言葉を肯定した。
これには、おや、とハルは少し驚いた。
「あそこには、この山を司る山神様が祀られているのです。……実際に、あそこにいらっしゃるのですよ」
確かに神社は神へ祈りや感謝を捧げる場所だ。けれども、そこに神様がいるかと問われれば、ハルは否と答える。
たまに覗きに来たりはするだろうけれど、常にいるという場所でもないと思っている。
だから実際にいると言われると、少々首をかしげてしまう。
……もっとも、井戸の底にいた何かが
「実際に……ですか。……もしかしてアキトさんは見た事があるのですか?」
井戸の底の何かを思い浮かべながら、ハルはアキトに聞く。
すると彼は、
「はい。六年前に儀式を行ったのは私と……私の双子の妹でしたから」
はっきりとそう言って頷いた。
どうやら想像していた通り、儀式はアキト達が行っていたらしい。
そしてツバキがその時の子は命を落としたと言っていたはずだ。
「それは……。お悔やみを申し上げます」
その一点についてだけは、ハルはそう思った。
この村の事情は知らない。ツバキやアキトの心の内も分からない。
けれども、だとしても、人の生き死にが絡んだそこだけは、雑な言葉を向けてはならないのだ。
「…………ッ、お気遣い、ありがとうございます」
アキトの表情が、ぐっ、と感情を押し込めたようにくしゃりと歪んだ。
それはほんの一瞬の変化だったが、今まで見た中で一番、彼の感情が動いたようにハルには見えた。
「……ハルさんは」
「はい」
「その、驚かないのですね」
「と言いますと?」
「六年前に誰が儀式を行ったのか……気付いてらっしゃったようなので」
それから彼はそう続けた。
もしかしたら気付かないフリをした方が、警戒されずに済んだのかもしれない。
ただ、前述の通り雑な言葉を向けたくなかったし、この辺りはこれまでの会話の流れからも推測可能な範囲だ。
だからハルは誤魔化す事も慌てる事もなく「はい」と頷いた。
「そうですね……。ツバキさんから、灰鐘家は神職の家系だと伺いましたし、それにニ十歳以下の子供が儀式をするのでしょう? それで六年前にと聞けば、何となく想像が出来ます。アキトさんの外見年齢から、恐らくそのくらいだったのかなと思いました」
「なるほど」
ハルが答えると、アキトは納得した様子で小さく頷いた。
「……六年前の儀式の日。お社へ向かった私達は、そこであるものを目にしました」
「あるもの?」
「はい。……井戸の底から這い上がって来た、
敬称が取れた事に、ハルは、おや、と思った。
声にもどこか恨みを孕んだような雰囲気が感じられる。
信仰している神について話す声色ではないなとハルが思っていると、
「
とアキトは続けた。その言葉にハルはぴくりと反応する。
聞き覚えのあるものだったからだ。
「美味しそう……ですか。それは……」
あの時、井戸の底にいた得体の知れない何かが行っていた言葉がそれだ。
状況的にも一致する。で、あれば、やはりハルが見たものは、この村で信仰されている山神とやらで間違いなさそうだ。
(やはりあの青白い手は違う)
それについては良かったと考えるべきかは、少し悩ましいところだが、別であった事に少しホッとした。
さて、それはともかくだ。
今も昔も儀式へ向かった子供に「美味しそう」と評している山神がいるとなると、やはり自分達に求められていたのは祈りを捧げる事ではなかったようだ。
求められているのは山神に食べられる事――つまり生贄だ。
そして、あの手が山神でないとしたら、その正体は、今まで生贄になった者達の手なのだろう。
そう考えてハルはぞっとした。この村はどれほどの犠牲者を出したのだろうかと。
で、あれば、なおの事アレは信仰するべき神ではない。
「……もし山神様が、人を餌として見ているとしてですが。人を食べた時点で、それがどのような神であっても、私達人間にとっては悪神となります。そうなれば祀る対象から外れます」
ハルはそう続けた。
これはいよいよ、口無村に祀られている山神が、良くないものである可能性が強くなる。
クラスメイトを助けてこの村から脱出する――それだけでは済まなくなってきた。
その山神を何とかしなければ、今後も被害者が増え続けるだろう。そういう仕事でアルバイトをしているハルにとっては、見過ごすわけにはいかない。
「悪神……」
アキトはぽつりと呟いた。その目が軽く見開かれる。
彼は息をするのと同時に、ああ、と小さく声を漏らした。
「……その通りです。良かった……」
そして安堵したように微笑んだ。
良かった、という彼の言葉が何をさしているのかハルには分からない。
けれどもアキトの眼差しがどこか優しく――そして胸の痛みを感じるように細められている。
ずっとその言葉が欲しかった。まるでそう言っているかのように。
「ハルさん。……どうか、くれぐれもお気をつけて」
アキトは最後にそれだけ言うと、軽く頭を下げて、くるりと踵を返してその場から去って行った。
確認がしたかったのか、忠告がしたかったのか。
(たぶんどちらも……かな)
廊下を曲がり、すでに姿が見えなくなったアキトの方を向いたまま、ハルは心の中でそう呟いた。
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