4-5 援軍


「キク……ノ……?」


 アキノは目の前に降り立った白い狼に向かて、そう名を呼んだ。

 その美しい尾が揺れる。

 狼は――キクノは振り返らずに、


『兄さん、無事で、良かった』


 それでもはっきりと、そう返した。

 その言葉にアキトの目が濡れる。競り上がって来た涙が頬を伝って零れ落ちる。


「アハ」


 ナツが嬉しそうに笑う声がハルの耳に届いた。ハルも同じ気持ちだ。

 アキトが無事でよかった。二人が会えて良かった。色んな良かったが胸に奥を熱くする。


 キクノは村へ入る事が出来ないと言っていた。

 これは推測だが、井戸の結界は村全体も守る様になっていたのだろう。

 それが壊れたからキクノは村の中に入る事が出来たのだ。


『お前、お前、お前ぇ! 山神のぉ! 臭いがするぅぅうぅぅう!』


 そんなキクノに反応をしたのは自分達だけではなかった。

 疫病神だ。もっとも全く逆の反応ではあるが。

 先ほどまで獲物を甚振るのが楽しくて仕方がない様子だった疫病神が、キクノを見たとたんに、その顔を不快そうに歪めて唸る。


「あれ~? 本物の山神様、苦手なんだ~!」

「苦手な相手の真似をしていたとは実に滑稽ですねぇ!」


 ここぞとばかりに、ハルとナツが疫病神をそう挑発する。

 すると、ギロリ、と血走った目がこちらに向いた。

 眼差しから、突き刺さるような殺気と怒りを感じる。

 ――ああ、ぞっとする。

 ハルは口の端を上げた。


(……いいですよ、そのまま)


 疫病神がこちらを甚振っている時は、まだ、色々と考えを巡らせる余裕がある状態だ。

 そんな相手に色々と仕掛けたとしても、元々が力で押し負けかけているのだ。上手くはいかない。

 疫病神を崩すためには、相手のその余裕を失くしてやれば良い。

 そう考えた時、一番手っ取り早いのは相手を怒らせる事だった。


(まぁ、凶暴さは増しますけどね)


 それでも今の自分達が作れる勝ち筋はこれしかない。

 もっと怒れ。それをこちらへ向けて来い。


(全部、受け止める)


 ハルはありったけの霊力を扇子に込める。

 パチパチと、霊力が火花のように身体の周りで爆ぜ始めた。

 もっと濃く。もっと強く。練り上げた霊力で盾を作る。


『馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがって、馬鹿にしやがってぇえぇ! 決めたぞ、決めたぞ、お前達は生きたまま、長く苦しめて喰らってやるぅうぅう!』


 疫病神が唾を飛ばしながら叫び、その四つ足で地を蹴る。

 ドン、

 と軽く振動が起こり、疫病神が空高くへ飛び上がる。

 あの巨体でなかなかの跳躍力である。疫病神を掴んでいた手が、あまりの勢いで剝がされた。


 化け物はナツを飛び越えて、ハルへ狙いを定めて向かって来る。

 仕留めやすい相手を先に狙うのは定石だ。

 なるほど、まだ多少は考える頭が残っているらしい。


「…………」


 ハルは焦らず、確実に、防御術を行使する。

 疫病神の進行先に何枚も何枚も霊力の盾を張る。


 さすがにあの巨体は一枚では防ぐ事は出来ない。

 だからその軌道を逸らし、勢いを削ぐ事が優先だ。

 疫病神は落下しながら、

 ガン、

 ガン、

 ガン、

 と積み重ねた無数の防御術に身体を当て、硝子のように砕いて行く。


 落下速度が僅かに減速する。

 落下場所がずれていく。

 ハルはそれを冷静に確認しながら、自分の立ち位置を調整する。


「ハルに近付くんじゃないよ!」


 その疫病神の背に、ナツは霊力を込めた木の棒を槍のように投擲した。

 ずしゃ、

 と嫌な音を立てて、木の棒は疫病神の身体に突き刺さる。穴を開ける。


『が』


 疫病神はそのまま、誰もいない地面に落下する。


『ぎゃああぁあ!』


 とたんに耳を劈くような叫び声が響き渡った。

 苦悶のうめき声を浮かべる疫病神。その背中の傷口から、黒い霧のようなものが噴き出した。

 その霧は、一気に辺りに広がる。

 あれは何だと考えるより先に、霧に触れた身体が不調を訴え始めた。


「…………ッ!」


 身体が日焼けでもしたようにジクジクと痛むのだ。

 ハッとして見れば、肌が赤くなっている。

 この霧はまさか、毒のようなものだろうか。


「まずい!」


 そう考えたとたん、ハルは弾かれたように、


「この霧を吸ってはだめです!」


 そう叫んで、服の袖で鼻と口を覆った。

 肌に触れるだけでこれだ。体内に取り込んだら厄介な事になる。

 ハルの言葉にナツも袖で顔を覆い、アキトはキクノを守る様に覆いかぶさった。


『ぎゃ、あ、はは、はははは! 溶けろ溶けろぉおぉお! ドロドロに溶けたらぁ、最後の一滴まで大事に大事にぃ、啜ってやるからさぁぁあぁ!』


 自身も痛みに悶えながら、疫病神は下卑た笑みを浮かべる。

 その間も傷口から霧は噴き出し続けている。

 ……だが、霧が噴き出すにつれて、疫病神の身体が少し縮んでいるように見えた。


(私達が毒の霧で倒れるのが先か、疫病神の力が弱まるのが先か)


 そう考えている間に、疫病神は背中から生やした触手を動かし、ハル達に向けて来る。

 やはり、しぶとい。


(なんて弱気な事を考えている場合ではありませんでした)


 達観するな。疫病神が倒れるのが先に決まっている。だって自分達が倒すのだから!

 ハルは自分自身をそう叱咤すると、再び術を練り始めた――その時だ。


 ガウンッ、

 

 と場違いなまでに近代的な銃声が、辺りに響き渡った。

 同時に、


『ぎゃああっ!』


 と疫病神の身体が悲鳴と共に仰け反る。

 まるで正面から何かの衝撃を受けたように。

 ハッとして見れば、疫病神の眉間に穴が開いていた。


『痛い、痛い、痛いぃいぃぃぃい!』


 疫病神は額からどろどろした液体をまき散らしながら、地面を転げまわる。

 すると背中から噴き出していた霧が、眉間の穴に向かって集まり始めた。

 そして液体と混ざり合い、疫病神の額の穴を塞ぎ始めた。

 どうやら霧でハル達に痛めつけるより、自分を癒す方を優先したようだ。

 周囲に充満していた霧が晴れて行く。徐々に身体に感じていた痛みも薄れていった。

 ハァ、とハルが腕を下ろして息を吐いていると、


「おいおいおい、俺のかわいい姪っ子と甥っ子に、な~にしてくれてんだぁ~?」


 ハルの後ろ、石段がある方から、ハル達が良く知る声が聞こえて来た。

 振り返ると、そこには銃を構えた、黒色の丸サングラスの胡散臭い風貌の男――ハル達の叔父フユキの姿があった。

 

「「叔父さん!」」


 ハルとナツの声が揃う。

 彼の姿を確認したナツは、痛みに喘ぐ疫病神の横をすり抜けて、こちらへ駆け寄って来る。


「よう、お前ら! 遅くなっちまって悪かったな!」


 フユキはニッと笑ってそう言った。


「来てくれて良かったぁ……」

「おいおい、ナツ。何を情けない顔してんだ、ハルを見ろ、ハルを。死ぬ前に必ずあいつの首を取ってやるって、闘争心剥き出しの顔をしていたぜ」

「私は戦国武将か何かですかね」


 まぁ、自分にとっては誉め言葉ではあるのだが。

 そう思っていると、フユキはひょいと、背中に背負っていた筒をナツに投げ渡した。

 カラカラと音がする。受け取ったナツは「やった!」と嬉しそうに笑ってフタを開けた。

 すると中から一振りの打刀が姿を現した。


白雉丸しろきじまる!」


 ナツの愛刀だ。鞘からすらりと抜けば、清廉な銀の刀身が、夕焼けの光を受けて輝く。


「アハ。会いたかったー! やっぱり君でなくっちゃ!」

「やれやれ、急に元気になったよ」


 しょうがねぇな、とフユキは笑う。

 まぁ、愛刀が嬉しかったのは確かだろう。けれどそれ以上に叔父が来てくれた安心感の方が強いのだろうなとハルは思う。

 喜ぶナツを見て、ハルがふふ、と微笑んでいると、


「ハルは大丈夫か?」


 と、叔父の手がハルの頭の上に乗せられた。


「はい、大丈夫です。まだまだ行けます、ええ。もちろん」

「お前の口から出る大丈夫は、あんまり信用出来ねぇなぁ」

「ひどい」

「ハハハ。無理すんじゃねぇぞ」


 そう言ってフユキはハルの頭をわしゃわしゃと撫でる。


「あ~、フユキ叔父さんってば、ハルには甘~い」

「事前に言い聞かせておかねぇと、お前以上に無茶するんだよ、こいつは」

「そうですか? 私、そこまで無茶をした覚えはありませんが」

「は~ん? 扇子が無かったからってそのまま術をぶっ放して、しばらく腕が使い物にならなくなった馬鹿はどこのどいつだっけなぁ~?」

「うっ」


 ジト目でそう言うフユキにハルは視線を彷徨わせる。

 心配は心配でも、ちょっと違う意味合いの心配だった。

 その話を出されると、さすがに覚えがあるので「違います」とは言い辛い。


『お前ら、お前ら、お前らぁ! いつまで俺を! 俺を無視していやがるぅうぅうぅ!』

「うるせぇなぁ。気味の悪い言葉の伸ばし方してんじゃねぇよ」

『はぁ!?』


 怒鳴る疫病神を見て、フユキが面倒くさそうに後頭部をかく。

 それから彼は銃口で疫病神を指した。


「ハル、ナツ。こいつは? ここで何をした?」

「ここのお社に結界で封じられていた、恐らく疫病神です。昔、口無村の辺りで起きた疫病の原因だと思いますよ」

「それで封じられた後も、長い間ずっと口無村に生贄を要求して、子供を食べていたみたい」

「はは~、オーケー」


 ハルとナツからの報告にフユキは軽く頷いた。

 そして空いた手でサングラスを押し上げる。


「役満。見事なまでに討伐対象だ。それじゃあとっとと片付けるぞ、ハル、ナツ」

「はい!」

「まかせて!」


 フユキの言葉に、ハルは扇子を、ナツは刀を構える。


『は――――』


 疫病神は何か言おうと口を開いた。

 ――が、それより早く、フユキが銃の引き金を引く。

 ガウンッ、

 と鼓膜を震わせるような銃の音が響き、疫病神の身体を、白い光を纏った銃弾が何度も何度も撃ち抜く。

 霊力を銃弾のように固めて打ち出す、特別製の銃だ。

 霊的な存在にのみ効果を発するタイプである。

 そしてそれはナツの刀にも言える事だった。

 

 ナツは銃声と共に地面を蹴りながら、刀の背の部分を指でつう、と撫でる。

 すると刀身がナツの霊力を纏って白く輝き始めた。

 この刀は、普段は何一つ斬る事が出来ないナマクラだ。けれど、こうして霊力を纏わせる事で、刀としての本懐を遂げる。

 霊的な存在のみを斬るために作られた一振り――白雉丸。


『は』


 疫病神は自分の身体に開いた穴を見て間抜けな声を出した。

 理解が追い付かないようだ。


『何――』


 何が、と続きかけた言葉は、ナツの斬撃によって途切れる。

 疫病神の前足を斬り飛ばしたのだ。がくん、と化け物の身体が傾く。顎から地面に落ちる。

 そこで疫病神はようやく動揺を振り払ったようだ。牙を剥き出しにしながら唸る。

 次の瞬間、背中に生えていた触手がナツとフユキに襲い掛かった。

 それをハルが防御術で防ぐ。

 霊力の盾はぶつかる触手に、今度こそ貫かれる事なく弾いて行く。

 疫病神の力がだいぶ弱まっているようだ。


 そうして弾かれた触手は、地面に落ちびちびちと跳ねる。

 再び動き出そうとするそれらを、アキトが霊力を纏わせた両手で掴んで、力任せにぶちぶちと、纏めて引き千切って行く。

 豪快。その言葉に相応しい戦い方だ。

 その近くではキクノもまた、向かい来る触手に噛み付き、食い千切っている。

 それを見てフユキが、ヒュウ、と面白そうに口の端を上げた。


『あああ、あああああ、やめろやめろやめろやめろ! 何だ、何だ、さっきと違う! 今までと違うぞ! やめろ、やめろやめろやめてくれ!』


 先ほどとは打って変わった猛攻に、ついに疫病神は悲鳴を上げた。

 そして情けない顔で、その場から逃げようとする。

 ――しかし。


『あっ』


 その身体を、井戸から伸びた無数の手が掴む。

 逃がすまいと。絶対にどこへも行かせまいと。

 手が――生贄として喰らわれた者達が、疫病神の身体をその場に縛り付ける。


『離せ、離せ離せ離せぇぇえぇぇえぇ!』


 疫病神は叫ぶ。身体を震わせ、触手を動かし、必死で手を引き剥がそうとするが、それは叶わない。

 手は、何度打たれても、噛み付かれても、その手を緩める事はなかった。


『何で、こんな、弱っちい、だたの餌が、餌が、何で』


 焦り。怒り。困惑。怒り。焦り。焦り。


 ――――恐怖。


 理解出来ない。したくない。ありえない。

 疫病神の口から体液のようなヘドロとともに、初めて感じたであろう恐れが吐き出される。

 ナツが刀についたヘドロを振り払いながら、そいつの目の前に立つ。


「何で? 分からないんだね。人間を手前勝手に甚振ってきたのに」

『ひ』


 呼吸音のような悲鳴が疫病神の口から洩れる。


「お前の身体を掴んでいるのは、ずっと昔から、必死で、家族を守ろうとしてきた人間の手だ。遊び半分のお前が、簡単に振り払えるものか」

『ッ!』


 ナツが刀を振り上げる。

 夕日を背にした刀身が、まるで燃えるように輝く。

 ヒュッ、と疫病神は息を飲んだ。

 そのままナツの刀が勢いよく振り下ろされる。


『たすけ』


 言葉はそこで止まった。

 ずしゃ、

 と化け物の顔が二つに割れる。

 そこからサラサラと身体が塵のように崩れ出し。

 程なくして、疫病神は完全に、消滅した。

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