4-6 自分達の意志で
「あ~、しんどかったぁ~……」
疫病神が完全に消え去った後。
ナツはへろへろとその場にしゃがみ込んで、ハァ、と大きく息を吐いた。
彼の額からは汗がぽたぽたと地面に落ちている。暑さに加えて、あの運動量だ。こうなるのは無理もない。
「スポドリとか飲みたぁい。ついでに美味しいもの食べたぁい」
「あ~、俺も俺も。村で売ってないかねぇ」
「自動販売機なら一台だけ見かけましたよ。お茶と珈琲と天然水とブドウジュースがありました」
「たぶんこの村の、売れ筋商品だけを揃えた無難なラインナップだな。珈琲と言いたいところだけど……そうだな、その並びなら水にするかねぇ」
そう言いながら、フユキも同じように、ハァ、と息を吐いた。
「ってか、俺は今のより、山道を登る方がしんどかったよ」
「アハ。そりゃ叔父さん、普段通りの格好なんだもん。そりゃしんどいよ」
「俺も途中で後悔したわ。せめて靴だけでも変えてくりゃ良かったってな」
「ああ、靴は大事って聞きますよねぇ」
「そうそう。登山用じゃなくても、歩きやすい奴にすりゃ良かったなって。まぁ、革靴以外はサンダルしか持ってねーんだけど」
「どの道ダメじゃん」
「ダメだよ。次に生かすわ」
そんなやり取りをしながら、フユキはジャケットの下につけたショルダーホルスターへ銃を仕舞う。
そうしていると、ナツも疲れがいったん落ち着いたようで、よっこらせと立ち上がってハル達のところへやって来た。
少し遅れてアキトとキクノもこちらへ近づいて来る。
「あの……ありがとうござました」
「いやいや、そっちも気持ちの良い戦い方だったぜ。……ええと、ハル、ナツ。こちらさんは村の人?」
「はい。灰鐘アキトさんと言います。口無村の村長さんの息子さんですよ。狼の方はアキトさんの双子の妹でキクノさんです」
「ああ、灰鐘の……。なるほどなぁ」
フユキはアキトとキクノの顔を順番に見て、何かを納得したように数回頷いていた。
灰鐘という苗字に聞き覚えがあるようだ。先日ツバキも会合がどうのと言っていたので、その辺で聞いた事があるのだろう。
そう思いながらハルはアキト達の方を向く。
「アキトさんとキクノさんもお疲れ様でした。大変助かりました。お身体の方は大丈夫ですか?」
「あ、はい。私達の方は特に問題はありません。ね、キクノ」
『うん。へっちゃら』
「それは良かった」
アキト達の言葉にハルはにこっと微笑んだ。
なかなか物理的な攻撃手段を取っていたが、それと同じく身体も丈夫のようだ。
では他の人達はどうかなと思い、ハルはアキト達の方を向いたまま、視線だけ少しずらして彼の背後を見た。
視線の先にあるのはお社だ。その近くでツバキを始めとした村の人間達がまとまって、下を向いて蹲っている。
何かしら動く様子は見られない。疫病神の放った毒の霧に当てられたのか、それとも、単純に疲れ果てているのか。
わざわざ近づいて確認するなんて事はしないし、ハルからすれば動かないならどちらでも良いが、大人しくしていてくれるならば都合が良い。
ひとまず安全そうだと思ったので、ハルは持っていた扇子をパチリと閉じた。
その状態で自分の顔の辺りまで持ち上げる。
「……?」
アキトが首を傾げた。何をするのかと思ったのだろう。
不思議そうな視線を向けられながら、ハルは手に持った扇子を指揮棒のように、空中ですいすいと動かし始めた。
扇子の動き合わせて、そこからパラパラと霊力の細かな粒子が零れ落ち、宙を舞う。
粒子はそのまま空中を漂って、ある方向へ向かった。所在無さげに揺れているたくさんの手達の方だ。
その真上まで来ると、粒子は手達に向かって。小雨のように降り注ぐ。
すると、粒子に触れた手達が、ふわり、と光の玉に形を変え出した。
そしてハルの方に集まって来た。
「――――」
ナツの、フユキの、アキトの、キクノの。四人の目が、自然とその光の玉の動きを追う。
すべての光の玉がハルの近くまで来ると、そこでパチン、とシャボン玉のように弾けた。
そして光の玉が今度は人の姿に変わったのである。
相変わらず透けてはいるが、そのほとんどが古い着物を着た子供達の姿だ。ハルと同い年くらいの子供もいるし、もっと幼い子供の姿もある。
それを見てアキトが息を呑んだのが分かった。
「この子達はもしかして、儀式で生贄になった……」
「ええ、そうだと思いますよ」
「…………」
アキトの顔が沈痛なものになる。
ハルはちらりとそれに目を遣った後、直ぐに、
「でも、もしかしたら、最初は無理矢理、生贄にさせられたのではなく、自分達の意志でそうしたのかもしれません」
と続けた。アキトが僅かに首を傾げる。
「疫病神の身体に、しがみついていた手があったでしょう?」
「はい」
「井戸の結界はだいぶ綻びが出来ていました。先ほどの疫病神のように凶悪な怪異ならば、力技で破ってしまえるくらいに。けれどそれが出来なかったのは――疫病神が結界を破って井戸の外へ出て来る事が出来なかったのは、この子達が理由だと思いますよ。この子達が疫病神を井戸の底へ縛り付けてくれていたから、あいつは動けなかった。この子達が、ずっと守ってくれていたんです」
「…………!」
アキトは大きく目を見開いて、周囲を見回す。
子供達の霊は、皆、安堵したような穏やかな表情を浮かべていた。
「でも村のために、とかではなかったと思いますけどね」
「?」
「疫病神から家族を守るため。家族の子孫を守るため。……だから必死に、頑張ってくれていたんじゃないかと私は思います。ほら、
ハルがキクノに向かってウィンクすると、彼女は少し『ふふ』と少し笑った。
「そうそう。……で、結果だけ見ると、それで疫病神を抑える事が出来ていたじゃん? そこに込められていた思いが、どこかで忘れられてしまって。人が命を捧げる事で、疫病神から村を守る事が出来た。その結果だけが、伝わってしまったんだろうね」
話をしている内に、扇子から零れていたハルの霊力の粒子が、ふわ、とまるで手で掬い上げられたように浮かび上がった。
あれ、とハルは目を瞬く。自分の意志ではない。
霊力の粒子はそのまま動き、今度はキクノに降り注いだ。
すると白い狼から、人の形へと姿が変わった。
アキトをそのまま子供にしたような、よく似た容姿の少女だ。艶のある黒髪に矢絣柄のリボンをつけている。ちょうど、狼の尻尾についていたリボンだ。
彼女は――キクノは驚いた様子で、手を持ち上げたり、自分の身体を見ていた。
どうして、とも呟いている。
しかしその疑問よりも、彼女には隣にいる兄の方が気になったのだろう。
顔を向けて、
『アキト兄さん』
と呼びかけた。
するとアキトはくしゃり、泣きそうな顔になる。
「キクノ……」
『うん。キクノだよ、兄さん』
「あ、ああ……ああああ……!」
アキトの口から嗚咽が漏れる。
「ごめん、ごめんね、キクノ……!
『ううん。違うよ、兄さん。私から手を離したの。あのままじゃ、兄さんも一緒に、あの化け物に喰われてしまうと思ったから。だから離したの』
キクノが背伸びをして、アキトの頭に手を伸ばす。
そして泣いている彼の頭を、よしよし、と優しく撫でた。
『でもね、そのせいで、ずっと寂しい思いをさせてごめんね』
アキトは首をぶんぶんと横に振る。
「僕、僕は……」
『ふふ。兄さんは昔から泣き虫だなぁ。……私ね、兄さんが生きていてくれて良かったんだよ。兄さんが無事で嬉しかったんだよ』
その言葉に、アキトの目から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちて行く。
声を押し殺してなくアキトに、キクノは優しく微笑んで、今度はハル達の方へ顔を向けた。
『あなた達もありがとう。危ない目に合わせてごめんね』
「いえいえ。こちらこそ、キクノさんのおかげで助かりました。ありがとうございます」
「そうそう。それに僕達なら慣れっこだからさ! 気にしないでいいよ~」
実際に、キクノの加勢がなければアキトは大怪我をしていただろうし、二人の協力が無ければ疫病神との戦いももっと大変だった。
あのでお礼を言っていると、フユキも「そうだなぁ」と頷く。
「俺もお嬢ちゃんに会わなかったら、村に到着するのがもっと遅くなっちまっていたよ。だから、ありがとな」
「え? 叔父さん、キクノさんに会ってたの?」
「ああ、途中でな。その子が村への最短ルートを案内してくれたんだよ。……ま、おかげで獣道を行く事になったがな」
そう言ってフユキは自分のスーツを指さす。よく見るとスラックスに葉や泥が飛んでいた。
それを見て、なるほど、だからあれだけ疲れていたのかとハルは思う。
普通の山道でも大変だが、足場が不安定な獣道を通って駆けつけてくれたのならば、それは大変だっただろう。
「叔父さんも、ありがとうございます」
「おう、そうだそうだ。盛大に感謝しろよ~?」
ハルが叔父へもお礼を言うと、彼はニヤッと笑ってハルとナツの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
そんな話をしていると、キクノや子供達の身体がふわり浮かび上がり始めた。同時に透けていた身体の輪郭が、キラキラと眩く輝き出している。
今まで縛り付けられていた魂が、空へ還るのだ。
それを見ながらフユキは、
「キクノちゃんだったな。皆を一緒に、連れて行ってやってくれるかい?」
とキクノへ聞いた。
『うん。もちろんだよ』
キクノはにこりと笑って頷いて、それからもう一度、アキトの方を向いた。
『兄さん、これで本当に、お別れみたい』
「キクノ……」
『あのね。きっと、これからは楽しい事がたくさんあるわ。だからね、何さん。生きて、生きて、それで、いっぱい幸せになって』
「……うん。……うん、必ず。生きて、生きて、たくさん……楽しいお土産話を作って、お前に会いに行くよ」
『楽しみにしているね』
キクノの身体が、子供達の身体が、夕焼けの空に吸い込まれて行く。
空へと還って行く。
「…………」
ハル達はそれを、姿が消えてもしばらく、見送っていたのだった。
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