3-6 必ず報いを


 同時刻。

 ナツは灰鐘邸にある座敷牢の中に放り込まれていた。

 どうやら儀式の時間まで、ここで大人しくしていろという事らしい。

 ナツを放り込んだツバキは、何か準備があるそうで、そのまま何も言わずに部屋を出て行ってしまった。


「はー、これが座敷牢ねぇ。初めて見たよ」


 そう言いながらナツは部屋の中をぐるりと見回す。

 本や時代劇で見た事はあったが、実際に目にしたのはこれが初めてである。

 まぁ、資料館などで見ない限りは、そういう機会はないのが普通だが。

 そしてその座敷牢に自分が入れられるなんて、想像した事もなかった。

 人生には色々あるものである。呑気にそんな事を考えながら、ナツは床にごろりと寝転んだ。


(まぁ寒くないからいいや)


 今は夏なので、外でも寒くなる事は滅多にない。

 けれども、それでも寒さにはあまり強い方ではないので、ある意味ではありがたいなとナツは思う。


(ハルは無事かなぁ)


 そのままナツは双子の姉の事を考える。

 ハルを連れて行ったのはアキトだ。接した時間は短いが、彼がそこまで乱暴な事をするような人間にはナツは思えない。

 なので大丈夫だとは思うけれど……それはそれとして心配だった。


(無茶するからなぁ、ハル……)


 ハルは大人しそうに見えて、ナツや叔父が驚くような事を平気でする人間なのだ。

 他人から見るとナツの方が無茶をしそうに見えるらしいので、普段の振る舞いとは大事だなとしみじみ思ったものだ。


「……うん?」


 そんな事を考えていると、何だか部屋の中へひんやりし始めた事に気が付いた。

 息が白くなったり、震えるほど寒くはない。けれども確かに部屋の音頭が下がっている。

 座敷牢のあるこの部屋には窓はないし、戸だってツバキが出て行く時に閉めて鍵を掛けて行った。

 だから外気が入る場所はないし、あったとしても今は夏だ。冷房がなければ、よほど外の気温が下がっていないなら、部屋が冷える事は在り得ない。


 一体何が。

 そう考えながら目だけで周囲を見回していると、ふと、少し離れた床から、何かがゆっくりと競り上がってくるのが見えた。

 じっと観察していると、それが青白い指先である事にナツは気付く。

 お社の井戸の中から伸びて来た手とよく似ていた。

 青白く、透けていて、そして細い。


(子供の手だ……)


 ナツはその手に印付けをされた自分の左腕を見た。

 ハルが応急処置として巻いてくれたハンカチ。その外にまで、手の痕のようなものが広がっていた。

 これを見る限り、どうやら井戸の結界がだいぶ解けかけているようだ。思ったよりも早い。

 結界が解けかけている事で、ナツの腕の呪いが強くなり、それを辿ってここまで伸びて来たのだろう。

 ……でも、それでも、井戸から離れる事は出来ないようだ。


「よっと」


 手を見ながら、ナツは掛け声と共に身体を起こす。

 その間にも手は一本、また一本と床から生えて来る。

 青白い、たくさんの手。

 ゆらゆらと僅かに揺れるそれらは、色こそ違うものの、まるで彼岸花のようにナツには見えた。


 特に何か出来るわけでもないので、それを眺めていると、いつの間にかぐるりと周りを取り囲まれてしまった。

 部屋中に手が生えている。

 けれども、その手は不思議と、一定の距離を保ってナツに近付いて来なかった。


「あ、ハルのおかげかな」


 腕のそれを撫でながら、ナツは周囲を見回す。


「……君達も、生贄にされたの?」


 そして手に向かって語りかけた。

 するとゆらゆら揺れていた手の動きがぴたりと止まる。

 どうやらナツの声は聞こえるらしい。

 返事はないが、聞こえているならばとナツは話し続ける。


「僕もさ~これからだよ~。まったく酷い事するよねぇ」


 大げさに肩をすくめてみ見せると、手は同意するように前後に揺れた。

 あ、かわいい。素直な子達だなと思ってナツは微笑む。


「でも大丈夫。僕達がちゃんと、帰してあげるから。ここから出られるようにするからね」


 そして優しくそう言うと、手はふるふると小刻みに震え出した。

 まるで泣いているかのように。

 ナツはその手の中の、最初に伸びて来た一本に向かって自身の手を伸ばし、触れる。

 感触はない。ただ冷気がそこにあるだけだ。井戸の時と違って触れないのは、やはりハルの守りがあるからだろう。

 けれどナツはその手を、ぎゅ、と握手をするように握る。


「待ってて」


 ナツの言葉に、手は、すう、と空気に溶けるように消えて行った。

 恐らく井戸の方へ戻ったのだろう。

 ナツは伸ばしていた手を戻し、数回、軽く握る。

 気が付くと腕の手の痕も消えていた。


「……待っててね」


 自分の手を見つめ、もう一度、今度は呟くように言う。

 そうしていると、こちらへと近づいて来る足音が聞こえて来た。

 ナツは手を下ろし、再び床にごろりと寝転ぶ。

 頭の後ろで手を組んで、何事もなかったかのようにくつろいでいると、静かに戸が開いた。

 入って来たのはツバキだ。

 彼女は部屋の中を見回すと、怪訝そうな顔を浮かべる。


「今、誰かと話をしていなかったかしら?」


 そしてナツに聞いて来た。


「そりゃ暇だから、独り言だって話しちゃうでしょうよ」

「……あなた、ずいぶんと落ち着いているのね。もう少し騒がれるかと思ったわ」

「慣れているからね。ま、怪異より人間の方が面倒って事だよ。ほら、現在進行形で、あんた達がそうしているじゃない? 見事に体現しているね、反省した方がいいよ」

「よく回る口だこと」

「アハ。それこそよく言われるよ」


 そう言いながらナツは目だけをツバキへ向ける。


「それで? 僕に何か用事? それとめ忘れ物?」

「別に用事というほどの事でもないわ。ただ」

「ただ?」

「最後に何を食べたいか聞きに来ただけよ」

「……へぇ」


 ツバキの言葉にハルは、すう、と目を鋭くした。


「そういうの気にするんだ?」

「…………」


 先ほどから挑発気味に言ってみているが、ツバキは怒る素振りもない。

 ただ表情のない顔で、真っ直ぐにナツを見ているだけだ。


(……読めないなぁ)


 そんな事を思いながら、ナツは小さくため息を吐いた。


「それじゃあオムライスがいいな。あ、卵をしっかり使った奴ね」

「オムライス? あら、ずいぶんと子供っぽいものが好きなのね」

「え~? 子供っぽいって言ったって、僕はまだ高校生だよ。子供の範疇でしょ。それに美味しいじゃん、オムライス」

「……そうね。せっかくなら、オムライスに旗でもつけてあげましょうか?」


 さっきの意趣返しとばかりに旗の話をされたが、ナツは気にならない。

 オムライスの話をしていたら、だんだんとお子様ランチが頭に浮かんで来たからだ。


「アハ。いいね~。あ、旗をつけてくれるなら、一緒にエビフライも欲しいな」

「いいわ」


 ならばと追加のリクエストをしてみたら、ツバキはあっさりと了承した。

 ……何とも拍子抜けする反応である。

 どうせならばいっそ、悪役らしくもっと堂々と、そちら方面を突っ走って欲しいものだ。


(人間ってほんと複雑だよな)


 そう思いながら、ハルは勢いをつけて身体を起こした。

 そしてツバキの方へ身体ごと向いて、


「そんな事をしても罪悪感は消えないよ」


 先ほどまでの明るい口調とは一転して、淡々と、どこか冷え冷えとした響きも感じる声でそう言う。

 ガラリと変わったナツの様子に、ツバキは少し動揺したのかぴくりと反応をする。


「……罪悪感ですって? そんなものではないわ」

「じゃあ何だい?」

「ただの慈悲よ。それに、これは山神様へのお供え・・・に、昔からやっている事よ。別に特別ではないわ」

「へぇ。それじゃあ、あんたはその『いつもやっている事』を、自分の実の子供達にもしたんだね?」


 ナツの言葉にツバキは軽く目を見張った。


「何を」

「六年前の儀式の事だよ。あれさ、ツバキさんの子供の話でしょ」

「……アキトが話したのね。あの子は本当に余計な事ばかりするわ。まったく、いつまで経っても役立たずね」


 ツバキは頬に手を当てて、ハァ、とため息を吐く。

 呆れというよりは失望の色の方が強いだろうか。

 肉親に対する態度ではないように思えて、あまり気分の良いものではない。

 なので、


「どうしてそこでアキトさんの名前が出て来るのさ。単純に推測だよ。六年前ならちょうど良い年齢でしょ、あの人。大体、そんな事を言われていたら、僕達が呑気な顔をして、今までここにいるはずがないよ」


 ひとまずナツはそうフォローしておいた。

 だがまぁ嘘ではない。実際にアキトからハルが一部の事実を聞いただけだ。

 そこにキクノから聞いた話を並べて、自分達で推測したのである。


(……まぁ、早めに村出た方が良いとは言われていたけど)


 あの時は何の忠告かも分からなかったが、アキトにとってはあれが、彼が出来るギリギリのラインでの忠告だったのだろう。


(それにしても……あの狼キクノさんが、アキトさんを村から連れ出したい気持ちがちょっと分かるかも)


 何度か見かけただけだが、アキトはいつも感情の乏しい表情をしていたし、ツバキ達からの態度も見ていて気分の良いものではない。

 たぶん――六年前の儀式の後からずっと、ツバキが今口にしたような言葉をぶつけられて来たのだろう。

 自分達の身勝手で振り回した子供に、だ。

 ナツは自分の感情が怒りで冷えて行くのが分かった。


「あんた達は自分のやった事に対して、必ず報いを受けるよ。この村がこれまでやって来た事は、いつまでも隠し通せるようなものじゃない」

「どうかしらね。隠し通せてきたから、今の私達がいるのよ」

「なら、それは今回で終わりだね。手を出した相手が悪かった」

「……あなた、ずいぶんな自信家ね」


 言い切るナツにツバキは眉を顰める。


「別に~? 自信がどうとかじゃなくて、世の中がそういうものだと知っているだけだよ」


 さらっとナツは言う。

 その言葉にツバキは一瞬目を伏せて「そう」と短く呟いた後。


「それはずいぶん優しい世の中ね。……遅すぎるくらいだわ」


 少し間を開けて、そう続けた。

 彼女はそれだけ言うと、くるりと踵を返し、部屋を出て行く。

 

(……優しい、ねぇ。まるで罰して欲しかったみたいに言うじゃないか)


 トン、と静かに戸が閉じるのを見ながら、ナツは心の中でそう呟いた。

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