3-5 キクノ
その後ハルは、灰鐘邸の離れにある部屋へ連れて行かれた。
渡り廊下を歩いた先にあるその部屋に入ると、
「儀式の間は、ここにいてください」
アキトはそう言った。
儀式というのは山神に双子を捧げるアレの事だろう。
けれど、そうであるならばハルに「終わるまで待て」と言うのは妙な話である。
「それはおかしな話ですね。あの儀式は双子を生贄にするためのものでしょう。なぜここで待たなければならないのですか?」
「……あなたはそこまで理解をしていて、そんなに落ち着いていられるのですね」
ハルの言葉に、アキトは少し驚いた様子だったが、すぐに苦笑した。
それから彼は自身の胸に手を当てて目を伏せる。
「今回の儀式で必要なのが、ナツ君だけだからですよ」
「ナツだけ?」
「ええ。六年前に片方はすでに捧げられているのです。だから母達は、同じ年の子供をその時に捧げられなかった片方として、六年前の儀式の失敗を補うために捧げようとしている。……その子はあなた達と同じ十六歳の少女でした。私の双子の妹です」
アキトの胸に当てられた手に、ぐ、と力が込められる。
「六年前の儀式の日。私は井戸から這い上がって来る山神様を見ました。……言葉では言い表せないくらい、恐ろしかった」
「井戸……」
頭にお社の裏手にあった井戸が思い浮かぶ。
ふむ、と思いながらハルはアキトへ尋ねる。
「ずいぶん古いタイプの結界が張られていましたが……あれを破って出て来たと?」
「ああ、やはり井戸の中も見てらっしゃったのですね」
「そうですね。先日の問いかけに誤魔化したのは事実です。あの時点で話すのは、リスキーだと感じましたから」
「正しい判断です。……この儀式の正体はね、双子を捧げて山神様に喰らわせている間に結界を修復し、その力を抑え込んで村を守る。そういうものなんですよ」
「修復……」
なるほど、とハルは心の中で呟く。
ハルが見た井戸の結界は、いつ壊れてもおかしくない状態だった。
本来であれば修復を選ぶのではなく、張り直した方が良いレベルだ。
しかしそうなると一度結界を解く必要がある。
結界は重ね掛した場合、触れあった箇所が反発し合って、逆に脆くなってしまう事が多いのだ。
だから解いて、新しく掛け直すのが一般的である。
そこで問題になってくるのが、その結界が何かを封じるために張られていた場合だ。
口無村の結界の場合は、井戸の底にいる何かを封じるためのもの。無策で結界を解けば、あれが外へ出て来てしまう。
そうならないために、結界を張り直す間、封じたものが外へ出て来るのを防がなければならない。
ああいう結界で封じられているものは、大抵は周囲に害を成すものの場合が多い。
付け加えると、退治する事が困難なくらい厄介なタイプだ。
つまり灰鐘家やこの村の人間にそれが出来る力量が無いか、それ以上に力の強い化け物が封じられているという事である。
(前者であったら良いんですけどね)
希望的観測ではあるが、これから対処しようと考えているハル達からすれば、前者の方がありがたい。
結界の様子から考えると、封じられたのはだいぶ昔だ。
なので当時と比べると技術が進歩した今なら、退治する事が可能な相手なのかもしれない。
……まぁ、あの時感じた悪寒から考えると、そう楽観的にも考えられないが。
「双子を生贄になんて条件を、よく今まで守っていましたね。正直、かなり面倒な奴だと思いますよ。見つからないでしょう」
「ええ、その通りです。ですがそこは本当に山神の要望なのだそうです。……それに、なぜかこの村は双子が産まれやすくて。だから外の人間に手を出したのは今回が初めてだそうです」
「なるほど。それはまた、不名誉な初めてをいただきました」
「そうですね」
確かツバキは、山神に最初に仕えたのが双子だったから儀式は双子が行う決まりなのだと言っていた。
その話を聞いてから、それは単純に思い込みか何かだと思っていたが、山神が要望したとなれば話が変わって来る。
自身が生贄として――恐らく喰らうためにした要望。どう考えても悪い意味を持つだろう。
しかし、そうであれば、儀式の失敗を補うために別の双子の片割れを、という話は上手く行くはずがない。
双子をそのまま送るのではなく、片方だけとした理由は何だ。
そう考えていると、
「……あの日、山神様を見た私は妹の手を引いて、その場から逃げ出しました。死にたくなかった。あんなものに喰われたくなかった」
アキトはそう続け出した。
その声がだんだん震えて来る。
「ですが……後ろからは山神様の手が伸びて来て。必死で走って、走って、走って――けれど妹の足を山神様の手が掴んだ。強い力に引っ張られて、妹の手を掴んでいた手が離れて。その時……土砂崩れが起きたのです」
「…………」
「私は怪我こそしましたが、奇跡的に助かりました。けれど妹はその場にいなかった。……いなかったんです。あいつに……喰われてしまった……!」
アキトは両手で顔を覆う。
「私が」
血を吐くような声で、
「私が手を離したから……ッ!」
そのまま膝を着き、アキトは蹲った。
まるで慟哭のような声だ。
『兄さんを助けて』
その時、頭にキクノと名乗った狼の言葉が蘇る。
ハルはスッとアキトの前に膝をつき、
「あなたの妹さんと言うのは」
そう言いかけた時、ぬっ、とアキトの右手が伸びて来た。
そして手首を掴まれ、引き寄せられる。
ぎょっとしてハルが仰け反ると、
「少しの胃間だけ、ここで大人しくしていてください」
耳元でそう囁かれた。
「儀式は今日の夕方に行われます。それが終わったら、この村の連中は私とあなたを夫婦にさせようとしています。あいつらは、必ず、そうさせる。何をしてでも」
「――――」
これにはハルも言葉を失った。
てっきり生贄にさせられるのだと思っていたから、あまりに予想外の言葉だった。
そして双子の片割れだけを残した理由を同時に理解した。
外の血が、欲しいのだ。
この村が行っている非人道的な行為は、外の人間には到底受け入れられるはずがない。理解もされない。
だから店の仕入れや工事の関係で業者の出入りがあったとしても、村の外から誰かが婚姻という形で入って来る事は恐らく少ない。
双子の片割れだけが必要というのもある意味で建前で、外の血を入れるのにちょうど良からという理由でハルは残されたのだ。
それを理解して、吐き気がして、ぐ、とハルは歯を噛みしめる。
「その前にあなたとナツ君は、私が何とか逃がします。他の皆さんは、そう直ぐに何かされる事はない。……この部屋の床下に、外へ通じる秘密の抜け道があります。開け方を教えます。逃げられるタイミングを伝えますから、それに合わせてここから出てください」
アキトはそれだけ言うと、ハルから身体を離そうとする。
しかし今度はハルが、アキトの胸倉を掴んで、力尽くで自分の方へ引き寄せた。
ぎょっとアキトは目を剥く。
「ッ、何を」
「キクノさん」
ハルがそう言うと、アキトが大きく目を見開いた。
「なぜ……なぜ、その、名前を」
「そう名乗る狼から、私達はあなたを助けて欲しいと頼まれました」
「…………!」
アキトはぱくぱくと口を開ける。
困惑、疑い、ほんの少しの希望。そんな感情が全部混ざって、アキトの表情は複雑なものになっていた。
「もちろん、そのために来たのではないですよ。ここへ来たのはまったくの偶然です」
「え、あ……え……?」
「信じられませんか。そうですよね。急にこんな事を言われても、直ぐに信じるのは難しいでしょう。ですが信じてください。無理矢理にでも、今、信じてください」
ハルはアキトの目を真っ直ぐに見つめながら言う。
アキトは困惑したように、
「……どうして」
と掠れた声で返してくる。
「あなた
「私は……! 私は、見て見ぬフリを、今までしていて」
「本当にそのつもりでいたなら、あなたは私達に何も言わなかったでしょう。正直、井戸の件はだいぶ驚きました。でもね、そんな事は私達にとっては日常茶飯事です。そういうアルバイトをしているので、危険な目になんてよく合います。だから今回の件もそうです。放っておけないので何とかしよう、何とか出来る。そういう話なんです」
ハルは、ほんの少し微笑んで、
「大丈夫です。きっと、もう少しで頼もしい援軍も来てくれます。あの井戸の下にいるのが何か私には分かりません。ですが」
そこでいったん言葉を区切り、アキトの胸倉から手を放す。
「私達はキクノさんに助けてもらった。彼女に何かしらの意図があったとしても、それはちゃんと事実です。だから、その恩を返します」
「どうして、そこまで、そんな」
もう一度アキトは問いかけて来た。先ほどよりも声に力が感じられる。
「こちらにも大事な約束がありまして。……それに先生やクラスメイト達を放ってはおけません。皆まとめて助けます。協力してください」
「…………」
「どの道、私達を逃がした時点で、あなたはただでは済まないですよ。なら協力し合った方がお互い都合が良い。……大丈夫です」
すう、と息を吸い、
「私達があなたを助けます」
はっきりと、そう告げる。
その時、アキトの目に光が宿るのが見えた。
◇ ◇ ◇
ハルの部屋に鍵を掛けたあと、アキトは諸々の
すると向かう側の廊下から叔父と叔母の姿が見えた。
二人はアキトを見つけると玩具を見つけたような歪んだ笑みを浮かべる。
「よう、アキト。妹の方はどうだい、大人しくなったかい?」
「彼女は姉ですよ。……ええ、弟君を引き合いに出したら、大人しく言う事を聞いてくれましたよ」
吐き気を感じながらアキトがそう言うと、叔父は腕を組んでニヤニヤ笑う。
「そうか。しっかし、良かったなぁ。大して役に立たなかったお前が、あんなに若い嫁さんを貰えるんだからさぁ。顔もなかなか可愛いじゃないか」
「…………下世話な話はよして下さい」
さすがに聞き捨てならなくて、嫌悪感をアキトが言葉にすると、叔父の拳が飛んで来た。
頬に当たる。その勢いでアキトは数歩後ずさった。口の中が切れたのか、血の味がする。
叔父は拳を掲げたまま、目を吊り上げてアキトを睨みつけて来る。
「何だその目は。目上の人間に対する態度がそれか? ぁあ!?」
まるでチンピラのような物言いだ。
叔父は怒りのままにドスドスと足音を立て、アキトの方へ近づいて胸倉を掴む。
(……あれ?)
そこでアキトはふと違和感を感じた。
今までは、こうされた時は恐怖で委縮して動けなかった。
けれども今は不思議とそれがない。多少の震えは来るが、これまでのような怖さを感じない。
『キクノさん。そう名乗る狼から、私達はあなたを助けて欲しいと頼まれました』
『私達があなたを助けます』
頭の中でハルの言葉が蘇る。
アキトにとって一番大事な、今は亡き双子の妹――キクノが自分の事を助けようとしてくれていた。
ハルの言葉が真実かどうかは分からない。けれども、例え嘘でも、視界が開けた気がした。
「……おい! 聞いているのか!」
いつもは俯き、怒鳴られるままに謝罪を口にするアキトが、何も言わない。反応しない。目を逸らさない。
それが叔父の癇に障ったのだろう。叔父は顔を真っ赤にして怒鳴り、腕を振り上げる。
「ちょっと、やめなさいよ! 大事な儀式の前なんだから、ツバキ姉さんに
その時、さすがにまずいと思ったのか、叔母が止めに入った。
さっきと言うのは、駄菓子屋のお菓子の件だ。ナツが話題に出したウエハースで、軽はずみに嘘を吐いたのがこの男だ。
どうやらあの後、ツバキから説教を食らったらしい。
「……チッ」
ツバキの名前を出された途端、叔父は少し冷静になったのか舌打ちをして、乱暴に手を離した。
叔父はアキトの目の前に指を突きつけて、
「いいか、上手くやれよ。今度失敗したら、承知しねぇからな!」
と言って、叔母と共にどこかへ歩いて行った。
どうせまた山神に備えるために取ってある酒でも盗んで飲むのだろう。
「…………」
アキトはそれを一瞥すると、着物の袖で、ぐい、と口元を拭い、屋敷の外へ向かって歩き出す。
やるべき事をやるために。
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