3-4 猫被り
狼ことキクノと別れた後、ハル達は元来た道を歩いていた。
歩いていると、先ほどまで聞こえなかった蝉の音はちゃんと聞こえ始めた事に気が付く。
やはり彼女が何かしていたのだろう。
「…………?」
そう思いながら歩いていると、今度は別の違和感を感じた。
人の声が聞こえないのだ。
村の中心部に近付いているのに人の声が聞こえない。
クラスメイト達の賑やかな声がまったく聞こえないのだ。
「……ナツ、気を付けた方が良い」
「どうしたの?」
「静かです。先ほどとは違う意味で」
ナツは軽く目を見張った後、視線が鋭くなる。
「まったく、嫌になるね」
「ええ。……どれだけ他人を巻き込めば気が済むのか」
短くそう話しながら歩いて行くと――予想通りの嫌な光景がそこで広がっていた。
「…………」
村のあちこちに、クラスメイト達が倒れている。
そのそばには村人達が立っているのだが、彼らはクラスメイト達を助けるわけでもなく、ただ見ているだけで。
そしてハル達に気が付くと、表情の消えた顔をこちらに向けて来た。
「本当に形振り構っていられないみたいですね」
「辛抱が足りないよねぇ。焦っていても、慎重に動くのは大事でしょ」
「そうですね。……さて、この様子だと、たぶん伊吹先生もやられましたね。これで無事なのは私達だけと」
「ハハ、ずいぶんなお膳立てだね。いやぁ~、熱烈過ぎて困っちゃうよ」
「本当に。……叔父さんが来てくれるとしたら、時間的に、早くて今日の夕方くらいでしょうかね」
メールを送って直ぐに動いてくれていたら、そのくらいだろう。
……ただ、事態が動いたのはあの後だ。その辺りの連絡が出来ていないので『予定した日に戻って来ないから』という理由の方になると、もう少し遅くなる。
全部は言わなかったがナツには伝わったらしく「そうだね~」と彼は軽い調子で頷く。
「ああ、お二人共……! 良かった、ご無事だったのですね! どこを探してもお姿が見えないから、心配していたのです!」
仰々しく言うツバキにハルとナツの目に剣呑な色が浮かぶ。
それに気づかないように、ツバキは殊更、大きな手振りで、
「皆さんがこんな事に……。ああ、きっとまだ、山神様のお怒りが静まらないのです。どうか……どうかもう一度、お二人のお力を貸してはいただけないでしょうか?」
と訴えかけて来た。まだその演技を続けるようだ。
そうであれば、地面に倒れた生徒達を助けるくらいして欲しいものだが。
こうなったら、もうこちらが騙されている振りをする必要はないだろう。
そう判断したハルは、彼女の言葉を遮るように、右手を軽く挙げる。
「……その前に一つ、質問をさせてください。この状況を見ても、儀式は失敗したのでしょう? ならば、その原因は私達にあるかと思いますが……どうしてもう一度、私達にそれを頼んだんです?」
「え? そ、それは、この儀式は双子でないとダメだからで……」
「いくら双子が条件に入っているとしても、感謝の気持ちをこれっぽっちも持っていない人間の祈りなんて、神様には届きませんよ。逆に機嫌を損ねてしまいます。それならば双子じゃなくても、この村の人間が祈ったがずっと良いでしょう。だからこうなったと考えるのが普通では? 年齢の指定があるのならば、この村の子供に頼んだ方が良いと思いますよ」
静かにハルは言う。ツバキの表情がぴくりと動いたのが分かった。
「ええ、そうですね。……ですがこの村には、子供が一人もいないのです」
苦しい言い訳ではあるが、彼女は
「それは不思議な話ですね。子供用サイズの服を干してある家を見かけましたよ」
「お二人の見間違いでしょう」
ツバキはバッサリとそう言い切る。
写真でもあれば良かったかもしれないが、あいにくと他所の家の洗濯物の写真を撮るなんて事は出来ない。
すると今度はナツが口を開く。
「嘘だね。駄菓子屋に小さな子供が好きそうなお菓子が置いてあったよ。ちょうど今、テレビで放映されている戦隊もののお菓子だ」
「大人だってそういうのは好きでしょう? うちの村にも好む者達はおりますわ」
「そうだね。だけどその割には商品の数が少ないんだよ」
ナツは淡々とそう告げる。
子供のお小遣いでは購入数はそう多くはないだろう。だとすればあまり売れていないのは分かる。
けれどツバキは今、この村の大人に好む者達がいると言った。
大人は子供と違って自由に出来るお金は増える。ああいう子ども向けのお菓子は、子供が買える値段に設定されている事が多い。つまり大人は購入制限がついていなければ、たくさん買う事が可能だ。
そして売る側は売れると分かっている商品であれば多く仕入れる。それが商売だからだ。
この村にああいう商品を好む大人達がいたとしたら、もっとたくさん置いてあっても良いのではないだろうか。
取り置きしている可能性はあるが、全員がそうであったなら、他に買う人間がいないならば逆に店頭には並べない。
それに無ければ無いで、大人であれば山を下りて買いに行けば良いのだ。
あの並べ方を見た限り普通に買いに来る
では、それは誰か?
そう考えて浮かんだのはやはり子供だ。
そして子供が一人もいないと言っていたが、若い年齢の子供がいてもおかしくない年齢の住人達は、ここに確かに
「ああ~、それ、俺だよ、俺。雨が降る前に、たくさん買っちゃってさ」
すると村の住人の一人が、へらりと笑って手を上げた。
「え~、そうなの? そっかぁ……じゃあ僕の勘違いか。ごめんね。僕もさ、あれ好きだから気になっちゃって。おじさん、良い
「ああ、出たよ。主人公のシールがな! やっぱり赤は格好良いよなぁ」
「アハ」
その返答を聞いて、ナツが悪い笑顔になる。
「あのウエハースのおまけはカードだよ。それと今期の主人公色は白だ」
「え……」
男は絶句し、慌てた様子でツバキを見る。彼女は鋭い眼差しを彼に送っていた。
「おじさんさ、よく知らないのに買ってるんだ?」
「あ、ああ……いや……それは」
「ま、どうでもいいけどさ。……この村に子供がいないってのは嘘だね」
「…………」
ツバキは否定しなかった。
理由を思いつかないのか、それとも嘘を吐き続ける事を諦めたのか。
どちらにせよ、沈黙がその答えだ。
「どうしてそんな嘘まで吐いてまで、私達に儀式をさせたいのかという話になりますが。それは……」
ハルはそこでいったん言葉を区切り、
「「伝統通り、
ナツと同時にそう言った。
「……じゃない?」
するとツバキの顔からスッと表情が消える。
周囲にいた村の人間達も怖い顔でハルとナツの周りを取り囲んで来た。
(……かねがね予想通りの行動ですね)
どう見ても人数に差がある。
この数相手に素手でどうこうなんてのは無謀である。
ツバキもそれが分かっているからか、
「あらあら、随分鼻が利く子供達だこと。ですが、あまり勘が良過ぎるのも、身のためになりませんよ」
そう言ってころころ笑った。
「まぁ、それはそうと、状況が分かっているのならば話が早いわ。演技を続ける必要もなくなるし」
「うっわぁ、悪い顔~。被った猫を放り投げるのはちょっと早くない?」
「素直に騙されてくれない、可愛げのない子供達の前で被り続ける必要があって?」
「ないですね。無駄なやり取りです」
ハルがそう言い切ると、ツバキはにこっと微笑んだ。
「ええ。では無駄のないよう率直に言いましょう。あなた達が大人しく山神様の供物となってくれるなら、他の子達は助けてあげますよ」
そしてそう続けた。
さて、どうしたものかとハルは考える。
この囲みから逃げられて、時間さえあればクラスメイト達を助ける事は出来るのだ。
ただ、その後が問題だ。クラスメイト達を目覚めさせたとしても、直ぐに状況を理解させるのは難しい。
そして動揺したままの彼女達を連れて、全員で村を脱出するとなると、これまた難易度が跳ね上がる。
……助けを待つ時間を稼ぐ方が確実だろう。
叔父が来てくれているなら、早くて夕方。それまで井戸の底の
(いえ、夕方までではなく)
来てくれるまでだ。
絶対に死んでたまるかと言う根性は、ハルとナツにだってある。
「クラスの皆を、こういう状態にしたのは、山神の祟りなんかじゃなくてあんた達だね」
「ええ、そうよ。灰鐘は神職の家系ですからね。少々骨は折れたけれど、私がやったわ。でも、そんな事を聞かなくたって、そのやり方はあなた達も知っているでしょう?」
「さて。家によって受け継がれるものは違いますからね。ああいう類のものは、私達には出来ませんよ」
「あらまぁ。
ツバキは殊更楽しそうに言う。彼女の言葉からは、劣等感のようなものが聊か感じられた。
(まぁそんな事は、私達には関係がありませんが)
灰鐘と村雲に何らかの因縁があったとしても、ハル達にはどうでも良い。
村雲の血は流れていても、自分達は村雲家の外で育った人間なのだから。
「ハル」
「ええ」
短く名を呼ばれる。ハルも同じように返す。頷き合うと、二人揃って肩をすくめてみせて、
「……ハァ、分かったよ」
と抵抗を止めるフリをした。
ツバキは満足そうな表情を浮かべる。
「それでいいのよ。では、ナツさん。あなたは私に着いていらっしゃい。ハルさんの方は……そうね。アキト、あなたが連れて行きなさい」
ツバキの言葉に、おや、と思っていると、彼女の後ろからアキトが前に出て来た。
酷く沈んだ顔をしている。
「余計な事をしないように。……分かっていますね」
「…………はい」
念を押すように言われたアキトは、暗い声でそう答える。
ツバキはため息を吐いた後、歩き出した。ナツはその後ろについて歩いてく。
「それでは、ハルさん。……こちらへどうぞ」
少し遅れてアキトからそう声を掛けられた。
一瞬、目が合った。その時見た彼の目は、先ほどとは違い、何かを決意したような色を宿している。
彼は直ぐに視線を逸らし、くるりと背を向けて歩き出した。
「…………」
さあ、どう動くか。どう動いて来るか。
そう考えながらハルはアキトの後ろをついて行った。
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