3-3 狼の正体


 その遠吠えは、村の郊外から聞こえてくるようだった。

 誰かを呼ぶように、


 アオーン、


 と間隔を開けて何度も。


 しかし不思議な事に、その遠吠えに反応をしているのはハルとナツだけだった。

 一度ならまだしも、幾度も聞こえているのに、誰も興味を示していない。


 口無村の人間であれば、聞き慣れているならば無反応なのもまだ分かる。

 けれどもハルのクラスメイト達は別だ。彼女達は獣の遠吠えを聞いても、ざわついている様子がない。

 さすがに遠吠えを何度も聞いて、何か起きているのではないかと不安に思う方が普通だと思うのだが。

 そう思いながらクラスメイトの様子を伺ったが、彼女達は楽しそうに会話をしているだけだった。


「これは皆には聞こえていないっぽいですね」

「だね。僕達だけに聞こえているとなると……。僕達が呼ばれているって事になるのかなぁ」


 走りながらそう話していると、


 アオーン、


 と再び遠吠えが響き渡る。

 もう一度他の人達の様子を見るが、やはり誰も反応を示していなかった。

 逆に、


「あれ? ハルちゃん達、そんなに急いでどうしたの?」

「何か面白いもの見つけた? 猫? 猫ちゃんがいた?」


 なんて走っている自分達が不思議そうに声を掛けられてしまう。

 これは目立つな、と思いながらハルとナツはいったん走るのをやめた。


「いえ、猫ちゃんは……そう言えば見かけませんね。わんちゃんもいない」

「確かに。僕達はさ、家に帰った時の夕飯当番を賭けてダッシュで勝負している最中なんだよ~」

「へー! ハルちゃんが勝ったらご飯は何になるの?」

「夏野菜のカレーかな~」

「あ、美味しそう! それじゃあ、ナツ君が勝ったらご飯何になるの?」

「マグロの漬け丼ですかねぇ」

「わぁっ、いいなぁ~!」

「って、えっ、ホント? じゃあ僕もっと頑張る。頑張っちゃう。マグロ好き」


 適当に話を合わせていたら、ナツがやる気を出してしまった。

 別に本当に勝負をしているわけではないが、食べたそうな顔をしていると、じゃあ作ろうかなという気持ちになって来る。

 だがまぁ、それはまた後の話だ。


「そういうわけだから、ヒナちゃん、また後でね~」

「うん! 二人共、がんばってねー!」

「がんばりまーす!」


 双子が走り出すと、ヒナは手をぶんぶんと振って見送ってくれる。

 それに手を振り返すとハルとナツは、遠吠えが聞こえた方へ向かって、再び走り出した。




◇ ◇ ◇




 走って行くとだんだん、村の中心部からは離れ、人気が無くなってきた。

 周りにも、青々とした田園が広がっている。

 雨の間に様子を見に来たのか、地面には轍も出来ていた。


(――音が)


 しなくなった。

 走っていてハルはその事に気が付いた。

 蝉の鳴き声も、風に吹かれた草木が揺れる音も何も聞こえなくなっている。

 ただ自分達の足音だけがその場に響いていた。


 そうして走っていると、山の中に入る手前で道は途切れていた。

 そこはなかなか急な斜面だ。よじ登れば何とか上がれるだろうか。

 足を止めて、さてどうするかとハルが考えていると、


「……あ!」


 その山の奥。木々が生い茂る間に、淡く光る毛並みを持った白い狼が佇んでいるのが見えた。


「ナツ、あそこ」


 指さして知らせると、彼も「あ、いた」と呟いた。

 狼は静かに、真っ直ぐ、ハル達を見つめている。


「…………」


 ふさりと揺れる狼の尻尾には、赤と白の二色で彩られた矢絣やがすり柄のリボンが巻かれている。

 やはり間違いない。あの豪雨の中で、自分達を口無村まで案内してくれたあの狼だ。


(矢絣柄……)


 最初にこの狼を見た時は、どうしてリボンをつけているのだろうかと不思議だった。

 けれども今は、その理由が何となく浮かぶ。

 灰鐘アキトの存在だ。彼も矢絣柄の、あのリボンとは色違いの着物を着ていた。

 そして彼が持っていた古い写真には、狼の尻尾に撒かれていたリボンと同じ色のものを髪につけた少女が映っていたのだ。

 どうにも偶然とは思えない。

 そう思いながら見ていると、ナツが口を開いた。


「こんにちは、狼さん。ええと、僕達の勘違いじゃなかったらなんだけど。山の中で彷徨っていた僕達を、この村まで連れて来てくれたのは狼は、君で良かったかな?」


 朗らかに尋ねるナツ。


『…………そう』


 するとたっぷり間を空けた後、狼の口から人の言葉で短くそう返事があった。

 静かで澄んだ声だ。少し独特の、音がぶれているような響きに聞こえる。


「あの時は助けてくださってありがとうございます。あのまま山を彷徨っていたら大変でした」

「そうそう。僕、熱出しちゃったんだよ。もし狼さんに会わなかったら、ちょっと面倒な事になっていたかも。本当にありがとね!」

『…………』


 双子はそれぞれ明るい声でそう話しかける。

 けれどもその返答に狼は、若干気まずそうに視線を彷徨わせた。

 何とも獣らしからぬ仕草である。どちらかと言うと人間のそれに見えるなとハルは思った。


 まぁ、それはともかくだ。

 狼の今の反応を見ると、どうやらただの親切でハル達を助けてくれたというわけでもなさそうだ。


(これは少し突っ込んだ話をしてみた方が良いかな)


 そう思って、今度はハルから話しかける。


「あの、狼さん。別れ際にあなたは、私達に向かって『兄さんを助けて』と仰いましたよね」

『……言ったわ。そのために、あなた達を村へ呼んだの』


 ふむ、とハルは心の中で呟く。

 となると、その兄とやらを助けるためにハル達が必要だから、案内して来たという事だろう。

 まぁ狼の目的がどうであっても、どの道あのまま山を彷徨っていたら無事では済まなかったので、助かったのは本当である。


「このために……。なるほど。もう一つ、確認をさせていただいても?」

『いいよ』

「ありがとうございます。では……あなたの仰る兄さんという方について教えていただきたいのですが。灰鐘アキトさん、で合っていますか?」


 遠まわしではなくストレートにハルは尋ねた。

 目の前の白い狼は、どう見ても普通の生き物ではない。

 見た目から考えると何かしらの霊的な存在だろうとハルは思う。

 狼の尻尾には矢絣柄のリボンが巻かれていて、その口から『兄さん』という言葉が出た。

 つまり狼の血縁者が村の中にいるという事だが……その二点からハルの頭に浮かんだのが灰鐘アキトだった。

 

 アキトは双子の妹を六年前の儀式の際に亡くしている。

 目の前の狼が霊的な存在だとして、これらの条件に当てはめて浮かぶのが彼なのだ。

 もしかしたら井戸の底の何かも候補には上がるかもしれないが――あれと目の前の狼では雰囲気が違い過ぎる。

 なのでそう聞くと、


『合っているわ。灰鐘アキトが私の兄さん』


 白い狼は少しだけ表情を和らげた様子で首を縦に振った。やはり人間の仕草だ。


『兄さんを助けて欲しい。この村の外へ連れ出して欲しい。そのために、あなた達だけを、あの時に呼んだ。他の子達と違う気配がしたから』

「呼んだ……って、あ、もしかして。僕達が途中で皆と逸れたのって、君が何かしたの?」

『ごめんなさい。……村には結界が張られていて、今のままだと私は入れない』

「あ~、だからここまで僕達を呼んだんだ」

『そう。入る事が出来ないから、誰かに頼まないとどうしようもなかった。でも、こんな場所まではほとんど誰も来ない。あなた達を見つけられて、運が良かったの。そしてあなた達二人が、その菜kで一番、ちょうど良かった・・・・・・・・


 意外と素直に狼は謝ってくれた。

 思わずハルとナツは苦笑する。


「まぁ、豪雨の中だったとは言えど、あそこで逸れたのはちょっと変だと思っていました」

「ね~。まぁ、事情が分かってスッキリしたよ。良かった良かった」

『……えっと、あの、怒らないの?』


 狼はぽかんとした様子でそう聞いて来た。

 怒られたり、怒鳴られたりを想定していたのだろう。

 しかし別にハル達は、その事については怒る理由がない。狼がいてもいなくても、ハル達はこの村に来る事にはなっていただろう。


「怒る必要はないかなぁ。狼さんは別に僕達に何か悪さをするために、こんな事したんじゃないでしょう? それに君は、ちゃんと村まで案内してくれたからね」

『でも……こんな村なのに?』

「おっ、言うね~。ふふ。……ま、そうだね。確かに、他人ごとながら、こんな村って思うよ。申し訳ないけどね。だけどね、一度アレを見ちゃった以上は、放っておくわけにもいかないし」

「ええ。このまま放置しておくと、被害者が増えそうですからね。うちのクラスの子達もいますし。そういうアルバイトもしていますので、あの井戸の件は、何とかするするつもりでいますよ」


 狼の頼みはそのついでになるけれど、叶える事は出来ると思う。

 そうハル達が言うと狼は安心したように目を細めた。


『……ありがとう』

「んふふ。まだ何も解決していないけどねぇ」

「ええ、これからです」

『村に入るようになれれば、私も助けになれる。……でも、本当に気を付けて。もうすぐ井戸から、あの・・化け物が出て来てしまうから』


 狼はそう言うと、くるりと山の方へ向きを変えて歩き始める。

 その後ろ姿を見てハルは、あ、と思い出したように声を掛けた。


「あの、狼さん。お別れの前に、あなたのお名前をお伺いしても?」


 狼は、一度だけ足を止めた。

 それから振り返らずに、


『――灰鐘キクノ』


 と答えた後、走り去った。

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