4-1 オムライス


 ナツが座敷牢へ入れられてしばらく経った頃。

 あの後は誰も訪ねて来る事もなく、やる事もないのでナツがくつろいでいると、すう、と戸が静かに開いた。

 今度は誰が来たのやら。

 そう思いながら目を向けると、今度はアキトが入って来た。手にはオムライスとエビフライの載ったお盆を持っている。

 そんな彼の顔には、先ほど見た時にはなかった湿布が張られていた。


(あれは誰かに殴られたな)


 まさかハルにじゃないよな、なんて思いながら、それを顔に出さずにナツは身体を起こす。


「失礼します、ナツ君。食事を持ってきました」

「あらま、本当に作ってくれるんだ」


 アキトはそう言うと、格子戸の前で膝を着いて、隙間からお盆ごと食事を入れてくれた。

 自分でリクエストしておいて何だが、美味しそうなオムライスである。エビフライも、最近よく見かける衣だらけのものじゃなく、しっかりとエビの身が詰まったものだった。

 ヒュウ、と思わず口笛を吹いてると、


「……睡眠薬を入れろと指示がありました。ですが入れていませんので、そういうフリをしてください。ハルさんと一緒に、儀式の時に助けます」


 アキトがその態勢のまま、後ろを気にしつつ、小さな声でそう告げた。

 ナツは囁くような声で「へぇ」と呟く。

 言葉のままを信じるならば、どうやら彼は味方よりの人間らしい。そして外に監視役の誰かが立っているのだろう。

 アキトに着いてきたのか、それとも最初から外に立たせているのか、その辺りは分からない。

 ただ事情は理解したので、ナツはひょいと身体を起こし、少々大きな声で、


「いや~本当に美味しそう。しっかし最後の晩餐って奴? ま、晩餐って時間でもないけどさ。ほんっと最低に粋だねぇ」


 と、わざとらしくそう言った。

 外の連中に聞かれても良いような内容と流れで、とりあえず多少の情報交換をしようと思ったのだ。

 ナツが僅かに顔を動かして、アキトが入って来た戸の方を示せば、彼は目を丸くした後で、


「これがこの村の伝統ですので。儀式の前には、その子達が望む食事を与えるのが通例なんですよ」


 と、直ぐに察して合わせてくれた。ナツはニッと口の端を上げる。


「ああ、そう言えば一度目の儀式の時も食事の後だったっけ」

「あれは……どちらかと言えば成り行きですけどね」

「アハ。ま、何でもいいや。美味しそうだね、いただきまーす!」


 そう言って手を合わせた後、ハルはスプーンを手に取った。

 そしてオムライスをひと掬い。卵部分は綺麗に半熟だった。

 作った人間は料理上手なようで、ナツにはあまり縁がないなかなか上品な味だった。


「あ、やっぱり美味しい。これ誰が作ってるの?」

「私です」

「え? じゃあ、朝ご飯とかも、もしかしてアキトさんが作ってくれたの?」

「ええと、は。私が作りました」

「へぇ~! アキトさん、料理上手だねぇ。あの量を作るの大変だったでしょ。ありがとね、美味しかったよ」

「あ、いえ……。慣れていますので」


 ナツが褒めると、アキトはあたふたと視線を彷徨わせた後、下を向いてしまった。照れているのかもしれない。

 何にせよ、あまり褒められ慣れていないのだな、というのは伝わって来た。

 ふむ、と思いながら、今度はフォークに持ち替えて、エビフライを食べる。食べてみたらエビはカラッと揚がっているし、衣も程よい厚さだし、何よりかかっているタルタルソースが絶品だ。

 これならお店でも開けるんじゃないかとナツは思った。


「…………美味しいと誰かに言ってもらったのは、ずいぶん久しぶりでした」


 するとアキトがぽつりとそう呟いた。

 アハ、とナツは笑う。


「だって美味しかったからね。うちのクラスの子達、いっぱいお代わりしちゃったから大変だったでしょ。僕もだけど」

「いえ。あなた達に料理を作るのは……その、楽しかったですから。食べてくれて、笑顔になってくれたの嬉しかったです。普段は誰にも何も言われないから」

「え~? それは作った人に感謝の気持ちがたりなーい。もったいない事するよねぇ」

「もったいない……ですか?」

「うん。誰かに食事を作ってもらうのって、当たり前の事じゃないからさ。美味しかった、ありがとうって言える機会を逃し続けているって、すごくもったいないよ」


 ナツがそう言うと、アキトは目をぱちぱちと瞬いた後、ほんの少しだけ微笑んだ。

 何だか儚げに笑う人だなとナツは思った。成人男性にする表現ではないかもしれないが。


「それに、その気持ちは、神様にも有効だよ」

「えっと」

「お供えをするなら、こういうのにすれば良いのにねって事」


 それを見ていたら、自然と口からそれが出た。

 アキトはナツの言葉の意図がよく分からなかたちょうで、軽く首をかしげている。


「悪意でこしらえたお供えをしたら、悪意がそのまま返って来る。神様はさ、人が思うよりもずっとシンプルだよ。だからこそ僕達が想像だにしない事を起こすんだ。だから、神様に祈りを捧げるならば、明るい感情でした方が良いよ」

「…………」


 ナツの言葉にアキトは少し目を伏せて、


「……ずっと昔、この村で、疫病が流行ったそうです」


 と言った。


「疫病?」

「ええ。それを救ってくださったのが山神様なのだそうです。……だからこの村の人間は山神様を信仰している。それがどれだけ恐ろしいものであっても」

「…………」


 アキトの話を聞きながら、ナツはもう一口、オムライスを口に運んだ。

 もぐもぐと咀嚼しながら、彼の言葉を頭の中でもう一度繰り返す。


(疫病……)


 そこが少し引っ掛かった。

 井戸の底にいる何かを山神と仮定するならば、救ったという言葉に違和感を感じる。

 どちらかと言うと、井戸の底へ何かを封じ込めて疫病を防いだ……となるのではないだろうか。

 疫病を振り撒くものが何か。

 それを考えながら、ナツは目に剣呑な光を灯らせて、


「なら、人を救おうとした山神様の目の前で、今度はあんた達自身が人を殺しているんだね。とんだ恩返しだと思うよ」


 外の人間に聞こえるような声量で、ナツはそう言う。

 次の瞬間、ダァン、と壁を殴ったような音が聞こえて来た。

 アキトがぎょっと目を剥いて、音のした方を振り返る。さすがに戸が開いて中に入って来る事はなかったが、苛立っているのがひしひしと感じられた。

 その原因であるナツはと言えば、


「短気だねぇ」


 なんてわざとらしく肩をすくめて、オムライスを食べ進めた。

 少しして、ドタドタと足音も遠ざかって行ったので、怒りを堪えきれなくてどこかへ発散しに行ったのだろう。

 体よく追い払えたなと思いながら、


「監視役を選ぶなら、もう少し考えなきゃねぇ。今みたいのはの、一番、向いていないタイプだと思うよ」


 あっけらかんにナツは言う。

 アキトは唖然とした様子だったが、


「君は……ハルさんと似てますね。少し」


 なんて呟くように言った。

 どうやらハルもハルで何かを言ったらしい。さすが双子である。

 ふふん、とナツは胸を張る。


「あら、少しって控えめ~。ま、双子だからね。アキトさん達はどう?」

「私達は……そうですね。妹の方が私よりも行動的で、その……」

「アグレッシブ?」

「あはは……はい」


 アキトの双子の妹もハルと似たタイプのようだ。

 そう考えると、狼の姿であった彼女の行動がするっと理解できる。

 思わずナツは笑顔になった。


「そのくらい元気な方がいいよ。うちのハルもだ。……ま、でも、アグレッシブ過ぎて心配になる時はあるけどねぇ」

「ああ……それは分かります」

「ね~。でもさぁ、だからって逆に大人し過ぎたら、それはそれで何かあったんじゃないかって心配になるから、難しいよねぇ」

「ふふふ……」


 そんな話をしている内に、オムライスは最後のひと掬いになっていた。

 美味しかったのであっと言う間だったなぁと思いながら食べ終えると、ナツはそっとスプーンを置く。

 そして両手を合わせて「いただきました」と言って、空のお皿の載ったお盆を、すい、と格子の外へ押し出した。

 アキトはそれを受け取って立ち上がる。


「……さて。それじゃあ、何か眠くなってきたから、ちょっと寝ようかな」


 睡眠薬の話を思い出し、ふあ、とあくびをするフリをしつつ、ナツは再び床へ横になった。

 誰に聞かれているか分からない状態だ。一応、そういう演技はしておいた方が良い。

 ナツはそう考えながら、頭の後ろで手を組んで目を閉じる。

 アキトは「……はい」と小さい返事が聞こえて来た。

 それから床が軋む音が聞こえ出す。出口へ向けて歩いているのだろう。


「…………村を」


 目を閉じたまま、ナツはぽつりとそう呟く。

 すると音が止まる。


「村を救ってくれたのは本当に、山神様だったのかな……」


 ナツはそれだけ言うと口を閉じる。

 アキトがどういう表情をしていたかは見ていないが、直ぐに歩き出したような音は聞こえない。

 何かを考えているような時間の後、再び床が軋む音が聞こえ戸が開いて、アキトは部屋の外へ出て行った。


(…………あ、まっずい。お腹いっぱいになると普通に眠くなるわ、これ)


 眠くなる状況で、眠るフリだけするというのも難しいものである。

 ナツは眠らないように堪えながら、時間が過ぎるのを待ったのだった。

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