1-2 視線

 

 伊吹の話では、口無村に到着したのはハルとナツが最後だったそうだ。

 どうやら逸れてしまったのは双子だけだったようで、他のクラスメイト達は一時間ほど前に全員が無事にこの村へ辿り着いたらしい。

 ハル達がクラスの最後尾を歩いていたから、視界の悪さのせいでそうなったのだろう、と伊吹は言うが……。


「私達だけ……」


 その話を聞いたハルは少し妙だなと思った。

 確かに伊吹が言っている事はもっともだ。

 土砂降りの前が降っていて、視界も悪く、雨音で声が掻き消されてしまうため、周囲の様子が分かり辛かったのは事実である。


 しかし、あまりに忽然と、目の前から人が消えている。


(それに、皆と逸れたのを気付いたのはいつでしたっけ……)


 その時の事を思い出そうとハルは記憶を遡る。

 しかし、どうにもその辺りがぼんやりとしていて思い出せない。頭に靄でもかかったかのようにぼやけてしまうのだ。

 はっきりと覚えているのは、気が付いたら目の前に誰もいなかったという事。そしてナツだけは隣にいたという事だけだ。

 

 先ほどまでは、状況が状況だけにそこまで考えていられなかったが、改めて思い返せば奇妙な話である。

 ハルは別に足元ばかりを見て歩いていたわけではない。

 なのに、ああも忽然と、目の前から人がいなくなるなんて事があるだろうか。


(それにあの狼は……)


 どうにも不可解な出来事が続いている。

 ……おかしな事にならないと良いのだけれど。

 漠然とした、そんな予感を感じていると、


「どうした、ぼうっとして?」


 伊吹から心配そうに声をかけられた。


「あ、いえ。たぶん疲れ……ですかね。しばらく山の中を彷徨っていたので、人の中にいると、ちょっと気が抜けました」

「そうかぁ。……うん。とりあえず、ほら、傘をさしな。身体がもっと冷えちまうから」

「はーい」


 伊吹が傘を渡してくれたので、ハルはそれを広げる。珍しい、番傘だ。それをさしてハルは歩き出す。

 前に伊吹、隣にナツ。それから周囲に雨合羽を着た大人達が三人ほど、自分達を囲むように歩いている。この村の住人なのだろう。


「…………?」


 その時、ふと、彼らから何とも言えない視線を感じた。

 何だかじろじろと見られている。

 特に、ハルとナツの顔の辺りを、だ。

 自分達を探しに来てくれようとした人達に向ける感情ではないが……何とも居心地の悪さをハルは感じた。


「ええと、私達に何か?」

「……いや、別に」


 何か言いたい事でもあるのだろうかと思い聞いてみるが、返答はそれだけだった。ついでに、サッと視線を逸らされてしまう。

 気のせいだろうか。そう思いながら再び前を向けば、少しして、また同様の視線を感じた。


(……気味が悪い、と言うか)


 どうもその視線は好意的なものとは思えない。


「ハル」

「うん?」

「僕達モテるねぇ~」


 すると隣を歩いているナツが、そう小声で言って来た。

 どうやらナツも同じように感じているようだ。顔を向けるとナツはわざとらしく肩をすくめてみせた。

 形容しがたい居心地の悪さだ。それは歩いている間ずっと続いていた。

 理由の分からない不気味さを感じながら伊吹について行くと、少ししてハル達は立派な屋敷に到着した。


「うわ~大きな屋敷。旅館みたい」

「伊吹先生、ここは?」

「ああ、この村――口無村の村長の、灰鐘さんの家なんだよ。雨が落ち着くまで、ここで泊まらせてもらう事になったんだ」


 伊吹の言葉に双子は目を丸くした。


「全員がここで?」

「そうそう」


 恐る恐る聞くと伊吹は頷いた。

 ハル達のクラスは全部で三十人いる。いくら目の前の屋敷が大きいとは言え、三十人全員が泊まるとなると、大変どころの話ではない。


「それはちょっと、だいぶ無理をなさっているのでは……?」

「あと食べ物とか大丈夫? 僕達、育ち盛りの高校生だよ。迷惑……はこの時点で掛けちゃっているだろうけど、この人数だし。蓄えが底をついちゃうよ」

「ああ、近所の人からも手伝って貰うからって言ってくれた。あと、その辺りで掛かった費用は、後で学校から支払ってもらう事になっているよ。だけど、それを言う前に二つ返事で受けてくださったんだ。良い人だよなぁ」

「ああ、ええ、そうですねぇ……」


 伊吹が明るく笑って言うので、ハルもとりあえず曖昧に笑ってそう返した。

 正直に言えば、ここへ来るまでに起きた奇妙な出来事と、村人達からの不気味な視線がなければ、ハルも素直にそう思っていただろう。

 しかしどうにも不信感を感じてしまう。


(……疲れているせいでもありますかね。どうにも悪い方へと考えてしまう。)


 本当にただの親切心で受けてくれたのであれば、疑いを持って申し訳ないと思うけれども。

 そう思いながらハルは番傘を畳んで、屋根の下に入る。

 すると屋敷の中からこちらへ向かって、足音がバタバタと元気な音を立てて近づいて来る事に気が付いた。

 ややあって、ひょっこりと見慣れた顔が現れる。

 ハルやナツと一番仲の良いクラスメイトの藤森ヒナだ。


「あー! 声が聞こえたと思ったら、やっぱり! ハルちゃんとナツくんだー!」


 ヒナは双子の姿を確認すると、転びそうになりながら靴を履いて、こちらへ駆け寄って来る。

 そしてハルの手を、両手でぎゅうっと握った。冷えた手にヒナの手の熱が心地良い。


「うわぁん、良かったぁ、良かったよぉ……! 怪我していない? 大丈夫? 大丈夫?」


 とたんに、ヒナはぼろぼろと涙を流しながら、二人の無事を喜んでくれた。

 心配してくれる彼女の気持ちが嬉しくて、くすぐったい気持ちになりながら双子はふわりと笑顔を向ける。


「心配をかけてごめんなさい、ヒナさん。ヒナさんも無事で良かったですよ」

「そうそう。ごめんね~、ヒナちゃん。心配してくれてありがとね」

「いいよぉ……無事だったならいいよぉ……」


 二人揃って謝ったり、お礼を言ったりすると、ヒナはぐすぐすと鼻をすすりながら泣き笑いの表情を浮かべる。

 ハンカチでも差し出せれば良かったが、今の自分達は濡れ鼠だ。ハンカチだって本来の役目を果たさない。

 どうしようかな、とヒナを前に双子がちょっとわたわたしていると、見ていた伊吹が小さく噴き出した。


「ヒナ、とりあえず手を放してやって。そのままだと二人が着替えられないからな。さすがにこのままだと、夏でも風邪を引いちまう」

「はぁい……」


 伊吹の言葉にヒナはそっと離れた。そして両手でごしごしと涙を拭っている。

 うん、と伊吹は小さく頷いてから、今度はハル達の方を向く。


「ハル、ナツ。灰鐘さんがお風呂の用意もしてくれているから、借りておいで。着替えも貸してくれるって」

「あっあっ、じゃあ、私も案内するぅ……!」


 するとヒナが元気に手を挙げた。


「そうか? それじゃあ、よろしく頼むな~。俺も灰鐘さんに報告するから、途中までは一緒に行くよ」

「はぁい! あのね、ハルちゃん、ナツ君。ここのお屋敷ね、男女別でお風呂が二つもあるんだよ。すごいよね……!」

「ああ。お客さん多いからって言ってたな~。着替えもその時のために用意してあるんだってさ」


 伊吹とヒナはそう言いながら歩き出した。

 色々と気になる部分はあるが、お風呂や着替えの事はとてもありがたかった。

 頭のてっぺんから靴の中まで濡れていて気持ちが悪いし、ずっとこのままだと冷えてしまう。

 着替えに関しても、泊りがけの林間学校だったから用意はしてきたが、幾ら防水仕様の鞄だって、あの豪雨の中で無事かどうかも分からない。

 なので、とりあえず今はご厚意だろうと考えて、お言葉に甘える事にしよう。


「……ま、とりあえずはさ、合流出来て良かったよね」

「ええ、そうですね。皆の無事が確認出来て、ホッとしました」


 双子はそんな事を話しながら、伊吹とヒナの後をついて行った。




◇ ◇ ◇




 お風呂を終えた後、ハルは用意してくれていた浴衣を着て廊下へ出た。幸い、鞄の中に入れた下着の類も無事だったので、ハルはホッとしている。


(確か広間の方で夕食を用意してくれているから、お風呂から上がったら来てねってヒナさんが言ってましたね)


 広間の場所はお風呂に入る前に聞いたから、まぁ迷わないだろう。

 ひとまずナツと一緒に行こうと、ハルは男性用の風呂場の近くで彼を待つ。

 そうしていると、ギシ、と廊下が軋む音が聞こえた。

 音につられて顔を向けると、そこには長髪の、儚げで綺麗な青年が立っていた。


 歳は二十代前半くらいだろうか。さらさらとした艶のある黒髪に、黒色のタレ目。左目の下に泣きボクロのある、どこか儚げで、そして色気のようなものも纏った男性だ。

 左耳に揺れる細長い雫型の青色のピアスと、紫と白の矢絣柄の着物がよく似合っている。


(矢絣柄……)


 ふと、頭の中に山中で出会った狼がつけていたリボンが浮かぶ。色は違うがあれも矢絣柄だった。

 思わず見つめていると、彼もふと、ハルに気付いて視線を上げた。目が合うと、ぱちぱちと彼は瞬く。


「こんばんは」

「こんばんは。お世話になっております」

「いえいえ。無事で良かったです。今日は本当に大変でしたね」


 ハルが挨拶をすると、彼も微笑んでそう返してくれた。

 優し気な声色だ。他の村人達の様子とは違っていて少しホッとする。


「急に豪雨になるとは思いませんでした。助けていただいて、ありがとうございます」

「困った時はお互い様ですから。……あ、僕は灰鐘アキトと言います。母……じゃなくて村長の長男になります」

「そうでしたか。私は村雲ハルと言います。よろしくお願いします」


 そう名乗ってお互いに頭を下げる。顔を上げるタイミングが一緒で、少し笑ってしまった。


「ふふ。ええと、ハル……さんは、こんなところでどうしました? 迷いましたか? 広間の方に食事が用意出来ていますから、良かったらご案内しますよ」

「いえ、今は双子の弟を待っていまして。お風呂を借りている最中なんです」


 そう言ってハルは風呂場の方へ手を向ける。

 アキトは納得したように頷いてから、


「双子……ですか?」


 と呟いた。


「はい。双子の弟です」

「…………そう、ですか」


 アキトはそう言うと、顎に手を当てて、何かを思案するように視線を彷徨わせる。

 ……双子だと何かあるのだろうか。そう言えば村人達も自分達の顔を見ていたようだった。


「あの、どうかしましたか?」

「ああ、いえ……」


 何でもない、という雰囲気でもないのだが。

 もう少し聞いた方が良いだろうかとハルが口を開きかけた時、


「ふ~、生き返ったぁ~」


 風呂場のドアが開いて、中からナツが出て来た。

 彼はハルとアキトを見て目を丸くした後、ニコッと笑って手を振る。


「ハル、待っててくれてありがと~。それから、えっと……?」

「灰鐘アキトさん。村長さんの息子さんだそうですよ」

「そっか! 初めまして、村雲ナツです! こんばんは!」

「あ……こんばんは。灰鐘アキトです。よろしくお願いします」


 元気に挨拶をするナツにつられてか、アキトも微笑んだ。ただその表情は少しぎこちない。


「それでは広間に案内しますね。ついて来てください」


 そう言ってアキトはくるりと向きを変えると歩き始める。

 彼の態度は気になるが、どうも話してくれる雰囲気ではない。

 ひとまず二人は彼の後ろをついて行く。

 そうして少し進んむと、


「……君達。雨が弱くなったら、なるべく早く、この村を出た方が良いですよ」


 前を向いたまま、アキトは小さな声でそう言った。


「え?」

「その方が君達のためですから」


 そして、そうも続ける。


「どういう意味?」

「…………」


 ナツが聞いたが、アキトはそれっきり口を閉ざしてしまった。

 ……やはりどうもおかしい。

 そう思ったが、それ以上アキトは何も言ってくれる事もなく。

 広間に到着すると、彼は「それでは、ごゆっくり」と微笑んで去って行った。

 その笑顔は、やはり少しぎこちなかった。

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