村雲怪異探偵事務所

石動なつめ

CASE1 口無村の山神

1-1 矢絣柄のリボン


『長野県――市の――ダムの湖底から人骨が発見されました』


 蝉の声が煩く響く、蒸し暑い夏の日。

 そんなテレビのニュースの音声がどこからか漏れている。


 音の出所はレトロな見た目の建物だ。

 玄関に吊り下げられた看板には『村雲怪異探偵事務所』と書かれている。


 ここは世の中に起こる不可解な現象――いわゆる『怪異』という奴に分類されるものに関する依頼全般を受けている事務所だ。

 事務所の人員構成は所長が一人に、現場担当のアルバイトが二人。欲を言えば事務作業を任せる人間がもう一人いたら仕事が捗るな、というくらいの状況だ。


 さて、そんな事務所の中だが、なかなか物が多く、ごちゃごちゃとしている。

 それでも置いてある物のデザインに一貫性があるためか、全体で見ればまとまっていて、何ならなかなか洒落た風にさえ見える。

 特に中央に置かれた皮張りのソファは、ここの所長の張り切りもあって、ひと際目を惹く代物だ。

 そんなソファの上に、件の所長が煙草を吹かしながらだらしなく寝転んでいた。


 歳は三十代半ば。黒髪のオールバックに黒色の丸いサングラス、それからスーツという、どこぞで裏のお仕事でもされていますか、と言わんばかりの見た目である。

 実際に目つきも悪いのがそれに拍車をかけているが、それをサングラスで誤魔化しているくらいには本人も気にしている。

 さて、この男、名前を村雲フユキと言い、前述の通り村雲探偵事務所の所長である。


(どこもかしこも、気が滅入るようなニュースばかりで嫌になるもんだ)


 フユキはだらだらとテレビを見ながら、煙草の煙を口から吐いた。

 依頼もない、アルバイトも不在の、暇な時間。ニュースではやれ殺人だ、やれ強盗だ、通り魔だの物騒な事件が流れている。理由としては恨みがどうの、痴情のもつれがどうの、中でもむしゃくしゃしてやったという突発的な理由は最低だ。


 うんざりしてチャンネルを変えてみるが、どこの局も似たようなニュースばかりを流している。

 気楽に見る事ができるのは天気予報くらいだ。あれだけは「うわ、晴れじゃん」「天気悪いのかぁ」みたいに、見たままを感じられるから良い。


(こっちはただでさえ、見なくて良いもんが見えちまうからなぁ)


 そんな悪態を心の中で吐きながらフユキはテレビを眺める。

 今やっているのは、長野県のとあるダム底で発見された人骨の話だ。


「人骨ねぇ……。まぁダムって事は、川で流されてそこまで行きついたんだろうなぁ……かわいそうに」


 ニュースを聞いて、フユキはぽつりと呟いた。

 どんな事情でそうなったかはフユキは知らないが、冷たいダムの底で独りぼっちでいた事を考えると、さぞ寂しかっただろうと思う。

 ほんの少しの哀れみを感じていると、そのニュース画面の端に、ついでの情報と言わんばかりに天気予報が顔を出した。

 今日の長野県全域は見事なまでに晴れ一色のようだ。猛暑という言葉が頭の中にちらついてフユキはげんなりとため息を吐く。

 長野県は避暑地だと他県の人間はよく言うが、あれは一部の地域だけで、全体を見るとだいぶ暑いのだ。ヒートアイランド現象だって都会だけの話じゃない。

 控えめに言って死ぬ。下手をすれば、あっと言う間に自分達も怪異の仲間入りだ。


「クーラーつけるかぁ……」


 さすがにそろそろ暑さの限界である。

 電気代だって馬鹿にならないが、そこをケチって熱中症で倒れて入院なんて事態になったら、それどころの話ではない。

 そう思いながら、よっこらせとフユキはソファから身体を起こす。

 そのまま身体の向きを変えて立ち上がると、ふと、視線の先に壁掛けのカレンダーが見えた。お得意先から年末のご挨拶にいただいたカレンダーだ。

 今日の日付である七月七日の空白欄に『ハル、ナツ、林間学校』と赤字でメモが書かれていた。

 ハルとナツというのは、フユキが一緒に暮らしている姪っ子と甥っ子の名前だ。事務所で雇っているアルバイトでもある。


「そういやあいつらが行った場所って、あのダムとそう離れていなかったっけな」


 ぽろりと口から出た言葉で、一瞬、嫌な予感が頭を過る。

 まぁ近い場所にあるからと言って、必ずしも何かが起こるというわけではないけれど。

 ただフユキは、怪異絡みの事件に長い年月触れているせいで、どうも嫌な予感の方は当たる事が多い。


「ハルは念のためって言って、扇子しごとどうぐを持って行ったんだっけか。……いやぁ、まさかなぁ」


 また一つ嫌な予感が積み重なる。

 まぁ姪っ子に限っては、出先で何か起こった時に困るからという、石橋を叩いて渡るような意味合いで持って行ったのだと思うけれど。


(俺も大概、過保護かねぇ……)


 フユキは手でがしがしと後頭部をかくと、


「ってか、クーラーのリモコンどこに置いたっけな」


 と言いながら事務所の中を探し始めた。




◇ ◇ ◇




 同時刻。

 長野県のとある山中は、今、土砂降りの雨が降っていた。

 雨のせいで昼間なのに薄暗く、数メートル先すら見えないくらい視界が悪い。

 そんな中を双子の姉弟が、雨具も使わず、手を繋いで前へ前へと進んでいた。

 少女の方が村雲ハル、少年の方が村雲ナツと言う。黒い瞳に黒い髪をした、そっくりな顔立ちの十六歳の高校二年生だ。


 二人は今、林間学校でここへとやって来ていた。

 天気予報は晴れだったので安心しながら、キャンプ場へと向かうために歩いていたところ、御覧の通りのとんでもない雨が降り出した。

 このせいで二人は、先生やクラスメイト達とはぐれてしまっている。


 人の声も、獣が動く音も、何一つこの雨音で掻き消されてしまう。

 少し離れるだけで見え辛くもなるため、これ以上逸れないようにと、双子は手を繋いで進む事にしていた。


「天気予報は晴れだったから油断しました。折り畳みの傘か、合羽辺りを持ってくれば良かった」

「ほんとほんと! 山の天気は変わりやすいって言うけど、これ最悪だよね~。スマホ壊れていないといいんだけど」


 そう言ってナツは、自分の背負った鞄へとちらりと目を向ける。

 一応、二人の鞄は防水仕様ではある。この雨量だと心配だが、何とか無事であると信じたい。

 まぁ、心配だからと言って、中身を確認するにもさすがに今の状況で取り出すわけにはいかない。今の時点で壊れていなかったとしても、出したとたんにダメになりそうだ。だから壊れていない事を祈るしかない。


「でも、山に入って少し歩いたらコレなのは、本当に変わり過ぎですよ」

「ね~。あれだよ? 本家のオッサンの顔色みたいに、一気に変わっちゃったよね」

「ンッ! ……ふふっ。もう、ナツったら、想像しちゃったじゃないですか」

「アッハ」


 ただまぁ、こんなやり取りが出来る程度には、ハルとナツはまだ余裕があった。

 今はいわゆる非常事態とか、異常事態とか、そういう状況だ。しかし、こういうった事にはアルバイト・・・・・の関係で慣れている。

 このまま何時間も山を彷徨う事になればもう深刻な顔にはなるが、今の段階ではまだまだ精神的には落ち着いていた。

 ……まぁ、一番の理由はこの二人が、元来、図太い性格だからだが。

 とは言え心配事だってある。


(ナツの体調が心配ですね……)


 ハルの双子の弟は、寒さにはあまり強くないのだ。

 このまま雨に打たれ通しならば、身体が冷えて、確実に熱を出すだろう。


(せめて雨宿りが出来る場所が、見つかれば良いのだけれど)


 歩きながら、それっぽいところを探そうとするが、なかなか見つからない。

 今の雨の勢いでは、その辺の木陰では防ぐ事は出来ないだろう。

 岩陰か、建物か、もっとしっかりした巨木か、その辺りを見つける事が出来たら良いのだが、そうそう上手くはいかない。


「山を登った方が良いのか、下りた方が良いのか、どっちですかねぇ」

「悩ましいねぇ。だいぶ道もルートから外れちゃってるみたいだから。さて、どうしたもんか」


 そう言いながらナツは足元へ目を落とす。

 歩いている内に、気付いたら二人は獣道に入ってしまっていたのである。


「適当に動いて、変なところに出たらって考えると悩むよね~」

「今も遭難みたいなものですけれど、さらに悪くなりますからねぇ」

「ね~。……ところでハルは大丈夫? 寒くない?」

「大丈夫ですよ。ナツこそ大丈夫ですか?」

「まだまだ平気さっ!」


 ナツは明るくそう笑う。

 とにかく雨を凌げる場所を探さなければ。そこにさえ辿り着けば、連絡の取りようもあるだろう。

 ハルがそう思っていると、


「ん?」

「どうしました?」

「いや……今、何か聞こえなかった?」


 ナツが足を止めて、周囲をきょろきょろと見回し始めた。

 何かと言われても。雨の音が酷くて、他の音は掻き消されているような状況だ。

 他の音なんて……とハルが思っていると、


 アオーン、


 と、雨の音の中で微かに、そんな遠吠えが聞こえた。


(――狼だ)


 こんな見通しの悪い山中で出会うなんて最悪である。

 どこから……と思いながら視線を走らせていると、


 アオーン、


 ともう一度遠吠えが聞こえ、草を掻き分けて何かの音がこちらへ近づいて来る。


「…………」

「…………」


 双子は静かに音の方へ目を向ける。

 身構える。

 すると次の瞬間、ガサリと音を立てて茂みの中から、一匹の大きな白い狼が飛び出して来た。

 否、ただ白いだけではない。毛並みが薄っすらと光を放っている。またこの雨の中にあって、その毛並みは一切、濡れていないように見える。

 ただの獣ではない。いわゆる怪異の類だろうか。それならば自分達がしている仕事の範疇だと、双子は目の前の狼を見つめる。

 しかし。


「ナツ」

「うん。……嫌な気配はしないね」


 ナツはそう言った。ハルも同じ意見だ。

 敵意、害意、その類のそれが、狼からは感じられない。

 狼は尻尾を揺らしながら静かにこちらを見ている。

 襲い掛かって来る気配はない。


(……あれ?)


 ふと、ハルは狼の尻尾にリボンが結ばれている事に気が付いた。

 矢絣やがすり柄の、赤と白のリボンだ。

 異様な姿の中で、そこだけが妙に現実的で目を惹く。

 なぜ。

 そう思った時、狼はくるりと向きを変え、歩き出した。

 興味を失くしたのだろうか。

 目でその動きを追っていると、狼は数歩進んで足を止め、頭だけでこちらを振り返る。

 それを二、三度、狼は繰り返した。距離は開いたが、光っている事もあって、まだ目で負える範囲だ。


「……ついて来いって言っているみたいだ」


 ナツが呟く。確かにハルにも狼がそう言っているように思えた。

 着いて行くか否か。一瞬迷って、ハルは空を見上げる。

 相変わらずの土砂降りの雨だ。

 このまま行く当てもなく彷徨っても、現状が変わらないのならば、変化がありそうな方へ行ってみるのも有りだろう。


「行ってみましょうか、ナツ」

「そうこなくっちゃ!」


 好奇心旺盛なナツはニカッと笑う。

 ハルもそれに笑い返すと、狼について歩き始める。

 狼は二人が自分の後をついて来ると分かったためか、今度は振り返らずに、それでいて二人が追い付ける程度の速さで進んで行く。


「…………」

「…………」


 ふうふうと息を吐きながら歩いている内に、自然と会話が少なくなった。

 ずぶ濡れの身体が重い。雨が足の先まで熱を奪っていく。

 唯一、ナツと繋いだ手だけは温かかった。


 どれだけそうして歩いていただろうか。

 突然、狼が足を止め、


『……お願い。兄さんを、助けて』


 人の言葉を話した。

 二人が「えっ」と目を丸くしていると、狼を中心に強い風が巻き起こる。

 雨を巻き込んだその風に、目が開けていられなくて、二人は思わず目を瞑る。

 少しして風が止み、恐る恐る目を開けると、そこにはもう狼の姿はなかった。

 その代わりに、狼がいた場所の先に灯りが見えた。


「……ハル、今の聞いたちゃった?」

「聞いちゃいましたね。絶対に普通の生き物じゃないですよ、あれ」

「だよねぇ……。……言葉の意味は不明だけど、助けてくれたのかなぁ」

「さあ……。あれが怪異だったのなら、基本的に親切じゃないでしょうし」


 村を前に、驚きながらもハルとナツがそんな話をしていると、


「ハルー! ナツー!」


 と村の方から自分達を呼ぶ声が聞こえた。聞き覚えのある声だ。

 声の主は二人のクラス担任である伊吹先生だ。雨合羽を着ている。

 お節介で人の良いこの先生は、ハルとナツに手を振りながら駆け寄って来た。

 そして二人の顔を確認してホッとした顔になり、へなへなとしゃがみこんだ。


「良かったぁ~……無事で……。今から探しに行くところだったんだ」

「アハ。ありがと先生、心配してくれたの~?」

「俺の教え子だ。当たり前だろ。……後ろを確認した時に、お前達がいない事に気付くのが遅れてすまなかった」

「いえ。私達がちゃんと前を見ていなかったのが悪いので」

「いいや、監督責任は俺にあるんだ。……二人共、怪我はしていないか?」


 そう言うと伊吹は立ち上がって二人の顔を覗き込む。


「……あんまり顔色が良くないな。寒かっただろう。村の人達には話をしていあるから、おいでおいで」


 そして二人を手招きして歩き出す。

 ハルとナツは顔を見合わせた後、伊吹の後について歩く。

 村の中へ入る時、入り口辺りで古い看板が見えた。


口無村くちなしむら……」


 そう書かれていた。

 何となく嫌な響きの名前だなとハルは思った。

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