2-4 印付け
着替えを済ませたハルは、その足で男子部屋へと向かった。
タチバナが起きたかどうか確認するのと、ナツと話をするためだ。
部屋に近付くにつれて、クラスメイト達の話し声も聞こえてくるが、その声にはいつもの弾けるような明るさはない。
何の前触れもなくクラスメイトの一人が目を覚まさなくなったのだ。それは当然の事だろう。
しかし、この分だとやはり、タチバナの容体は変わりないのだろうなとハルは思った。
そうして男子部屋に到着すると、障子戸越しにハルは中へ声をかける。
さすがに戸を開けて中に入る無遠慮さはハルにもない。
「すみません、ナツ、いますか?」
「あ、ハルさん? いいよ~、開けちゃって~」
すると中からクラスメイトの一人が反応してくれた。
お言葉に甘えて、ハルはそっと戸を開ける。
部屋の中ではクラスメイト達が、各々くつろいでいた。出歩いている者もいるようで、数人の姿が見えない。
それと、何故かその中に、件のタチバナの姿も無かった。
「ハル、どうしたの?」
ハルが目を瞬いていると、ナツがやって来た。
ナツも普段の服へと着替え終わっている。腕にも包帯が巻かれていた。
「あ、いえ。タチバナ君はどうかなと思って見に来たんですが……」
「ああ、あいつは隣の部屋にいるよ。伊吹先生が、僕達とお社へ行く前にツバキさんに頼んで、移動させてもらったんだって」
ナツはそう言いながら、大部屋の奥の襖を指さした。
「なるほど。……となると?」
「うん。変わりないね。眠ったままだよ」
ナツの指先を追いながら、やっぱりなとハルは心の中で呟く。
「そっか……。あの、ハル、ちょっと良いですか? 少し話しが」
「うん、いいよ~」
それからナツにそう言うと、彼はへらりと笑って着いて来てくれた。
障子戸を静かに閉めて二人並んで廊下を歩く。
クラスメイト達に声が聞こえない範囲に移動したかったのだ。
「そうそう。さっき聞いたんだけどさ、隣の部屋には、この廊下をぐるっと回っても入れるらしいよ」
「ちょっと頭の中が混乱しそうですね。迷路みたい。アトラクションなら面白いんですけど」
「ね~。さすがに迷路ってわけじゃなさそうだけど、間取り図見てみたくなっちゃうよね。色んな意味でさ。何が隠されているか分からないってあたりが特に」
「それっぽく不穏に言わない」
「アハ。だって、それっぽい場所でしょ?」
ハルがツッコミを入れると、ナツは楽しそうに笑った。
元々明るい性格だが、今の状況だからこそ、少し気遣ってくれているのだろう。
人懐っこくて、飄々として、人をからかったりもするナツの双子の弟は、結構人を見ているのだ。
アキトと話をして、少々複雑な気分になっていたのを見透かされていたようだ。
ハルは苦笑しながら、
「まぁ、それはともかく。とりあえず、話をするならそちらの方が良いですね」
と続けた。ナツも「だねぇ」なんて笑っている。
そんな話をしながら廊下を進んでいると、
「あ、そうだそうだ。聞きたいんだけどさ。ハル、今、携帯持ってる?」
「持っていますよ」
「電波の調子どう? 僕のスマホ、ずっと圏外でさぁ」
とナツが言い出した。ああ、と思ってハルもズボンのポケットから携帯を取り出す。
念のため確認するが、やはり電波状況は圏外だ。朝と同じく変化はない。
「私も同じですね。圏外です。……そう言えば、朝起きた時にはすでにそうなっていましたね」
「そっか。うーん、雨で壊れたかと思ったけど、そうじゃないのか……。通じる内に、叔父さんにギリでメール送れて良かったよ。ノット・メーラーデーモン。ラッキーだね」
「代わりにもっと恐ろしいデーモンが出てるっぽいですけどね」
「嫌だね~、僕らエクソシストじゃないしさぁ。人間相手なんて特にだよ」
ナツは冗談めかして言うと、軽く両手を開いて肩をすくめた。
思わずハルは小さく笑う。
「そうですねぇ。……ですが、どう対処しなければいけないかは考えないと」
「あのメールで叔父さんが来てくれれば良いんだけどね。ま、叔父さんが到着するまで、僕達が大丈夫かどうか分からないけどね~」
「ナーツ?」
「あはは、ごめ~ん」
ナツは頭の後ろに手を組んで笑った。
その時、ナツの左腕が目に入る。先ほど言っていた通り、手の痕が見えないようにしっかりと包帯が巻かれている。
――見ていたら、ぴり、と嫌な雰囲気を感じた。
「……ナツ、後でその腕、もう一度しっかり見せていただいても?」
「ん? あ、いいよ~、もちろん」
そんな話をしながら、ハルとナツは廊下を進む。少しして目的の部屋に到着した。
こちらも戸は襖だ。音を立てないようにそっとそれを開け、二人は中へと入る。
部屋の中には、真ん中に布団が敷かれていて、その上に件のクラスメイトが眠っていた。
目覚める様子はないが、魘される事も、苦しんでいるような表情でもない。
「…………」
ハルはタチバナに近付く。
そしてその枕元に座って、彼の身体をじっと見つめた。
するとナツの言っていた通り、青く透けた膜が彼の身体を覆っているのが見えた。
指先で軽く触れてみる。氷とまではいかないが、ひんやりとした空気を感じた。
「なるほど……。これで冷やして、身体の活動を低下させていると」
「うん。伊吹先生が、冬眠と似てるかもって言っていたよ。何かの術だとすると、僕は見た事がないタイプだね」
「私もです。ですが、これなら」
ハルはそう言うと、ズボンのポケットに潜ませている扇子を手に取った。
そしてそれにほんの少し霊力を纏わせると、その
すると膜は、水に波紋が出来るように静かに揺れた。
(外側からの干渉は可能、と)
外からの刺激をすべて弾くか引っ掛かりなく通してしまうと、対処の仕方が変わって来るのだが、これならば解くのは簡単だとハルは息を吐く。
力技になってしまうが、上から霊力をぶつけて、霧散させてしまえば良いのだ。
「大丈夫です、これなら解けますよ」
「良かった! 僕も出来そう?」
「何か適当なものに霊力を纏わせて、タチバナ君へ当たらないようにぶん殴れば」
「物騒!」
ナツも安堵したようで、ふは、と笑った。
「となると、どのタイミングで解くかだね。あまり長い事このままだと、タチバナの身体も心配だし」
「冬眠と違って、十分な食事を摂取していませんからね。……今なら、儀式を成功させたから解けた、は理由にするにはちょうど良いかも」
口無村側の思惑はともかく、双子が山神に祈りを捧げたという事実は出来ている。
あちらが山神の祟りがどうのと言っているならば、そういう方向で話をまとめた方がすんなりと行くだろう。
「今の雨の具合なら明日には、問題なければ村を出られるでしょう」
「うん。タチバナが目覚めたら、直ぐに病院へ直行します……って流れにした方が自然かな。伊吹先生にそれとなく話してみるよ」
「よろしくお願いします。本当は今から下りたいところですが、足場的にも時間的にも難しそうですし」
「だね。今の時間からだと夕方になっちゃうかも」
携帯を見てナツは言う。時間的には、そろそろ遅いお昼の時間帯だ。
昼食を済ませて、出発する準備を整えると、一、二時間ほど後になるだろうし、この人数で山を下りるとなると到着するのは遅い時間になる。
それに、ハルとナツはこの山で、
だから山を下りるのならば、出来る限り余裕を持っておきたいのだ。
「……タチバナ君を起こすなら、明日の早朝がベストですね」
「だねぇ。何事もなく夜を越せると良いんだけど……ん?」
話をしていると、ふとナツは頭の後ろで組んだ手を解いた。
そして左腕を見て首をかしげている。
「どうしました?」
「いや、何か変な感じがして……」
そう言いながらナツは巻いていた包帯を取る。
すると、そこについていた手の痕が、先ほど見た時よりも色が濃くなっていた。
――嫌な感覚が当たった。
そう思いながら、ハルは腕に顔を近づけてじっと見つめる。
「……たぶん、印付けですね。呪いの一種です。あの手にやられたんでしょう」
印付けと呼ばれるこれは、呪った本人と対象の間に『霊的な繋がり』を作るものだ。
呪った本人には呪われた対象の居場所が分かるし、先ほど言ったとおり霊的な意味で、そこへ辿り着きやすくなる。
簡単に言うと、お社で見たあの手が、ナツのところへやって来やすくなる、という事だ。
井戸の結界自体はまだ働いているし、あの結界は恐らく井戸の底の何かを閉じ込めるために張られたものだ。
だから綻びかけた結界で、あの青白い手は外へ出る事は出来た。
けれども結界の応急処置をした時に、手も井戸の底へと引き戻されていた辺り、あれらに繋がり自体はある。
その事から考えると、手が、綻びかけた状態であれば結界の外へ出る事は可能だ。
ただ繋がりがある以上、手が抜け出し続けると結界が壊れやすくなる。
印付けの呪いが濃くなれば――強くなればなるほど、抜け出しやすさも増す。
それで結界が一気に壊れてしまって中身が飛び出したら……それはちょっと考えたくないなとハルは思った。
「うーん。これはあまり良くないよねぇ。解けそう?」
「やってみますね」
ハルは頷くと、ナツの腕に扇子を当てて、そこへ霊力を集中させる。
するとぱちぱちと小さな火花が散って、パァン、と小さな音を立てて扇子が弾かれた。
「!」
見た目よりも呪いの浸食が深い。相当濃く付けられたようだ。
むう、とハルは眉間にしわを寄せる。
「あらまぁ、これはすごいなぁ。ハルが普通に押し負けるの、久しぶりに見たよ」
それを見てナツが目を丸くしてそう言った。
「面目ない……」
「武士か」
肩を落とすハルに、ナツはくつくつと笑う。
「……とりあえず応急処置だけしておきましょう。山を下りるか、叔父さんが来てくれれば何とかなると思います」
「ん。ありがと~」
「いえ」
そう短く返すと、ハルは
まずはそれに使う
ハルは自分の髪を数本、指で摘まんで、ぷつっと抜く。
髪というものには霊力が宿る。適当な道具が無い状態で、そこまで難しくない術を使う際に、特に自分の髪を利用するのは、霊力が通りやすくて色々と都合が良いのだ。
これを使って呪いの進行を抑える術をナツに掛ける。多少の時間稼ぎにはなるだろう。
ハルは自分の髪をハンカチに包んで、ナツの腕に当てる。その上からくるくると包帯を巻いた。
巻き終えたら、そこへ扇子を当てて霊力を込める。
ぶつぶつと呪文を呟くと、そこが一瞬、ふわりと淡く光った。
「これで……どうですか?」
「ありがと~。うん、嫌な感じが少なくなった~」
ナツは包帯を巻いたほうの腕をひらひらと振る。
「良かった。……とりあえず村から一度離れて、叔父さんと合流してから色々ですね」
「そうだね。あの井戸の中身をどうにかしないとだし。このまま放っておくと、被害が村だけに留まらなくなるよ。儀式がどうのって行って、外に人間にまで手を伸ばし始めそう」
「実際にやりましたからねぇ。……あ」
そう言った時、ふと、ハルの頭にアキトの言葉が浮かんで来た。
ナツが「どうしたの?」と首を傾げる。
「さっきアキトさんに会いましたよ」
「ええ? あの人、まさかハルを追いかけて来たの?」
「たぶん。少し話をしたんですが……六年前に儀式に参加したのは、やはりアキトさんと双子の妹さんだそうです」
「……そっか」
ナツの顔が一瞬曇る。
儀式に参加した双子の片方が、土砂崩れで命を落としている事を思い出したのだろう。
「その時に、井戸の底から這い上がって来た山神様に『美味しそう』と言われたそうです」
「美味しそう……?」
「ナツ。あの時、井戸の底に嫌な感じがと言ったのを覚えていますか?」
「うん。……まさか」
「ええ」
顔色を変えたナツにハルは頷く。
「美味しそう。……私にも、そう聞こえました」
「うわぁ」
ナツが遠い目になる。
「良くない奴ぅ」
「良くない奴なんですよねぇ」
……あまり猶予はない。早めに何とかしなくては。
双子はそう呟きながら、揃って重いため息を吐いたのだった。
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