2-2 井戸の中の結界


 ナツの声にハルはお社の外へ出た。

 番傘をさして、お社をぐるりと回る形でナツを探しに行くと、彼は大きめの井戸の前に立っていた。

 だいぶ古い井戸だ。こちらもお社同様に手入れはきちんとされているようだった。

 ナツはその中を覗き込んでいる。


「ナツ、どうしました?」

「これ見て」


 尋ねると、ナツはそう言って井戸の中を指さした。

 何だろうか。そう思いながらハルも井戸の中を覗き込む。

 そこには普通の井戸にはあり得ない光景が広がっていた。


「…………!」


 井戸の、ちょうど真ん中くらい。

 そこには青色に光る糸のようなものが張り巡らされているのだ。


「霊力で張った……結界?」


 それを見てハルはそう思った。

 霊力というのは、この世の生き物が知らず知らずの内に持っている不思議な力の事だ。

 これが強いと普段であれば見る事が出来ない霊的な現象を認識出来る。また鍛錬や研鑽を積めば、霊力を上手く・・・扱って霊的な現象に対処する手段を行使する事も出来る。

 ゲームや漫画などに登場する、フィクションの世界の陰陽師のような、と言えば分かりやすいだろうか。

 ハルとナツは陰陽師ではないが、その霊力というものが強い人間だった。

 ついでにそういう関係のアルバイト・・・・・もしているので、こういう類のものは見慣れている。

 見慣れているからこそ、余計に嫌な予感が強くなった。


 井戸に張り巡らされた霊力の糸――結界は、だいぶ古いタイプのものだった。

 その糸がところどころ、今にも千切れそうなくらい細くなっているのだ。


「……これ、結構古い書物に載っているのと、そっくりな結界ですね。ですが、あまり長くはもたなさおう」

「だよね。見た感じ継ぎ足しって言うか……ちょいちょい直しはしているみたいだけど。これしちゃうと、壊れやすくなるんだよねぇ」


 うわぁ、と呟きながらナツは腕を組む。


「一体これで、何を封じ込めているのやら。あんまり良くないものってのは確かだね」

「そうですね。ちょっと心配なものと言えば、お社の方にもおかしなものがありましたよ」

「おかしなもの?」

「ええ。お社の中の床に、薄っすらですが、人の手のような染みがたくさん」

「うっわぁ……」


 ナツが嫌そうに顔を顰める。その気持ちはハルにもとてもよく分かる。


「手の染みの雰囲気を見たところ、何かから逃げているように見えましたね」

「逃げているか……。となると十中八九、この井戸に封じられている何かからだろうなぁ。結界もコレだし……あー、うーん。ハル、あれ修復できる?」

「まぁ、応急処置くらいなら。やっぱり林間学校に来る時に、呪符とか、持って来ていたら良かったですね。あれがあったら、応急処置よりは何とか出来ましたし」

「いやいやいや。隣家学校にいらない奴でしょ、呪符って。扇子だって微妙なのに、ウチワ代わりですってごり押ししたし」

「でも、持ってきて良かったでしょう?」

「本当にね! そこはね!」


 そう言ってナツが苦笑した時。

 ピシ、

 と何かが軋むような音が耳に届いた。


「今、音が……」


 何の音だろうか、そう一瞬考えて、


(結界!)


 ハルはハッとして井戸の中を再度覗き込んだ。

 その時、

 

 タス、けて


「え?」


 軋む音とは別に、子供の声が聞こえた気がした。

 その次の瞬間、井戸の中から青白く透けた無数の手が、ぶわり、と飛び出して来る。

 手がハルの顔を覆いかけた時、


「ハルッ!」


 ナツの鋭い声と共に、ハルは後方に突き飛ばされた。

 一瞬遅れて庇われた事に気が付き、ハルは顔を上げる。

 その時にはナツの身体に青白い手が絡みついていた。


「ッ、なかなか、力が強い……!」

「ナツ!」


 ハルは懐に忍ばせた扇子を引っ張り出した。

 そしてそれに意識を――自身の霊力を集中させる。

 すると扇子がふわりと淡い光を持ち始めた。


 その光が、霊力の粒子が、扇子から浮かび上がり、小さな蝶の形へと変化していく。

 数は四匹。扇子の周りを舞う蝶に、ハルはフッと息を吹きかける。すると蝶達は宙を飛び始め、井桁へと舞い降りた。

 蝶が井桁の東、西、南、北、それぞれに等間隔にとまる。

 

 それを確認すると、ハルは祈る様に扇子を両手で力強く握りしめた。そしてぶつぶつと呪文を唱える。

 ハルの言葉と共に蝶達は強く光を放った後、砂のようにサラサラとその形が崩れて、井戸へ溶け込んでいく。

 とたんに井戸の中に張られていた、綻びかけた結界の糸が太くなる。光が強くなる。

 ハルが使ったは結界を修復するものだ。


 結界の光が強くなると、それに当てられた白い手は、ナツの身体から引き離されるように手を放す。

 そのまましゅるしゅると井戸の底へと吸い込まれて行った。


(これで何とか)


 ハルがホッと息を吐きながら、中の結界を確認した時。

 その向こう、井戸の底で、黒い何かがうごめいているのが見えた。


「――――?」


 何だろうかとハルは目を凝らす。

 井戸の底にみっちりと詰まった、得体の知れない何か。

 一瞬、それと目が合った。


 ァアァ……オイシソウ……


 鳥肌が立つような嫌な声が聞こえた。

 ぎらついた目がこちらに向けられている。

 井戸の底にそれ・・が、舌なめずりをするように、ニタリと笑ったのが分かった。

 ハルの背筋にぞわりとした悪寒が走る。


「ッ」


 だが、本当にそれは一瞬で。

 結界の光が眩くなると、井戸の底の何か・・は、闇に溶けるようにスウと消えて見えなくなった。


「…………」


 ドッ、ドッ、と、心臓が鳴る。ハルは思わず自分の胸の辺りを手で掴んだ。

 嫌な汗が出た。軽く頭を振って、その感情を振り払うと、ハルはナツの方へ駆け寄る。


「ナツ、大丈夫ですかっ!?」

「うん、平気平気! あ~、びっくりした~」

「庇ってくれてありがとうございます」

「アハ。いいよいいよ~。咄嗟に身体が動いちゃったからさ」


 ハルがお礼を言うとナツはへらりと笑って軽く左手を振る。

 その時、はらり、と袖が捲れた。

 するとそこに、薄っすらとした手の痕がついているのが見える。


「ナツ、それ」

「え? ……あらま、ずいぶん強く掴まれてたみたいだね」

「痕になっていますね。痛みはありませんか?」

「いや、ないよ。掴まれていた時も、あまり感じなかったし。だけどこれ、あまり見られない方が良いよねぇ」

「そうですね……。ヒナさんあたりは気絶するかも」

「あ~、それはまずいな~」


 ナツは腕を見て眉を顰める。

 季節が夏でなければ服で隠れて良かったのだが。

 さすがに今の暑い時期に、袖の長い服を着るのはだいぶ辛い。


「……そうですね。包帯でも巻いておいたら良いかも」

「そうだね。持ってきているから、見つからない内に巻いちゃうよ」

「あ、荷物に入れて来たんですね」

「入れて来たよ~? 備えあれば憂いなしって言うし。ハルがよく怪我するから、そういうものはちゃんと鞄に詰まっております。安心してね」

「私、そんなにドジではないですよ」

「ドジじゃないけど、怪我するんだよ。自覚してね?」


 ナツが肩をすくめて言うが、ハルは「そうかなぁ」と首を傾げた。

 まぁ、それはともかくだ。

 それからナツは井戸の方へ目を向けた。


「いやぁ、それにしても今のすごかったねぇ。あんなに出て来るとは思わなかった。よくあの量を中に押し込めたよ」

「ええ。とりあえず一時的に鎮めて、結界の応急処置をしましたが……あの様子だと、そんなにもたないかも」


 あの手は霊的な存在だ。

 場所から想像するに、恐らくここで命を落とした人間のものだろう。

 それが何らかの理由で、井戸の底に結界で封じられているのだ。

 ああいう封じられている類のものは、基本的に悪いものである事がほとんどだ。

 なので、あの手もそいうものだと考えるのが普通なのだが……。


「……助けてって言っていたんですよね」

「うん。僕にもそう聞こえたよ。何ていうか……すごく怯えた声だった気がする」


 あの声を聞いてしまうと、どうしても悪いものには思えない。

 まぁ、そういう方法で獲物を釣る怪異もいるにはいるが。

 ハルも井戸の中を覗き込む。あの青白い手も、一瞬見えた何か・・同様に今は見る事が出来ない。


「ナツ。……ナツは井戸の底に、あの手とは別の何かがいたのを見えましたか?」

「ん? いや、僕は何も……。というか、見ている余裕がなかったかな。何か変なのがいたの?」

「ええ。はっきりとこれだとは言えないんですが、得体の知れない何かが。……すごく嫌な感じがしましたよ」


 正直、あの青白い手よりも、そちらの方が嫌な悪いもののようにハルには思えるのだ。


「うわぁ……。ハルの嫌な予感は当たりやすいんだよなぁ……。まっずいなぁ」


 ハルの言葉に、ナツは手で前髪をくしゃりとかき上げる。


「……これだけのものが、井戸に押し込められているなんて。一体何をやったんだ、この村は?」


 そして苦い顔をしながら、そう言ったのだった。




◇ ◇ ◇




 その後。

 ハルとナツはひとまずお供え物をして、祭壇に向かって祈りを捧げる事にした。

 もともとそう頼まれてここへ来たのだ。さすがに何もしませんでした、というわけにはいかない。

 効果があるか無いかはともかくとして、そういう仕事で来たため、やらないわけにはいかない。


 祈る時間は十五分程度で良いらしい。

 それでも目を瞑り、手を合わせて、ただただ祈るだけというのは、これもこれで大変である。

 まぁ別に、見ている人間はいないし、誰に咎められるわけでもないので、その辺り気楽ではあるが。


 そうして祈りを捧げ終えた後、ハル達はお社を出た。

 その頃には雨も小雨くらいになっていて、この分なら、明日には村を出られそうだ。

 もちろん倒れたクラスメイトタチバナの容体次第でもあるのだが。


 空になった籠を背負い、番傘をさし、二人で石段を下りる。

 石段の下では、伊吹やアキト達がまだ待っていてくれていた。

 伊吹はハル達が石段を下り始めたのを見ると、


「おーい! おーい! お前らー、お疲れー! 重かっただろー!」


 なんて笑顔を浮かべ、手を大きくぶんぶん振っている。

 ハル達も番傘を揺らしてそれに応えた。

 ……しかし。


「…………」


 アキトや村の人間達は驚いている様子だった。

 特に村の人間達の方は、ハルとナツの無事な姿を見て「何で」と言うように口が動いていた。

 どうやら二人が何事もなく戻って来た事が意外だったようだ。


「ははぁ、なるほどねぇ」

「ええ、本当に。まぁ、分かりやすいだけマシですかね」

「反応を隠されちゃうと、こちらの出方も迷うからねぇ」


 石段を降りながら双子は、あまり口を動かさないようにそう話す。

 この様子を見る限り、村の人間達は、あのお社で何が起こるか知っていたようだ。

 そこから彼らの目的を推測すると、まぁ、あの青白い手の仲間入りをさせようとしていた――つまり生贄にでもしようとしていた、というところだろう。


(なかなか物騒な真似をするものだ)


 赤の他人から自分の命を利用される謂れはない。一言で表せば大変不快だが、ひとまず、この役回りがクラスメイトでなかった事だけは良かったと言えるだろう。

 何せハル達はアルバイトでこういう事に慣れている。双子をターゲットにしたのは及第点だ。


 ただ、村の人間の中で唯一、アキトだけは安堵の表情を浮かべていた。

 彼だけは別に、何かしら思うところがあるのかもしれない。

 ひとまずハルとナツは、そんな村の人間達の態度に気付かない振りをしながら、石段を下り切った。


「ただいま、伊吹先生~。あ~、疲れた! ねぇねぇ、僕達めちゃめちゃ頑張ったから、褒めてくれていいよ~?」

「ええ、とても頑張りましたので。盛大に褒めていただいて構いませんよ」

「そうかそうか、頑張ったな! 偉いぞ~!」


 冗談めかして言ってみたところ、伊吹はニカッと笑って、ハルとナツの頭をわしゃわしゃと撫でて褒めてくれた。

 本当にしっかり褒めてくれた。良い先生である。

 ハルとナツがくすぐったい気持ちを感じつつ、くすくす笑っていると、


「あ、あの……大丈夫でしたか? お社では、何かおかしな事はありませんでしたか?」


 村の人間達が困惑気味にそう聞いて来た。

 何か企んでいるのならば、知らないフリでもした方が良いと思うのだが、疑問の方が勝ったようだ。

 ただまぁ、正直に答えてやる必要もない。なのでハルはにこっと笑顔を浮かべてすっとぼけた。


「いえ、特に何もありませんでしたけど……。あそこに何か起こるんですか?」

「え!? あ、いえ、えーと……。いやぁ、その……。ぎ、儀式の最中に、山神様の祟りがあるんじゃないかって、心配で……はは……」

「はいっ!?」


 しどろもどろに誤魔化す彼らに、伊吹がぎょっと目を剥く。

 そして怒ったようにその目を吊り上げた。


「ちょっと! どういう事ですか、それは! そんな事があるかもしれない場所へうちの生徒達を行かせて、儀式なんてもんをさせたんですか!?」

「いや! いや、ち、違います! その、えっと……こ、言葉の綾ですよ、言葉の綾!」

「そんなに色々な意味を含んでいるようには思えませんでしたがね?」


 じとり、と伊吹は半眼になって彼らを見る。

 ハルとナツが様子見のため黙っている分、怒ってくれる伊吹の気持ちがありがたい。


「あ、あの、その……。あっ、アキト! お前からも何とか言ってくれ!」


 村の人間達は、とうとう言い訳を思いつかなくなったのだろう。

 青褪めた顔でアキトに助けを求めた。

 話を振られた彼は、小さく息を吐いた後、


「……お社は山神様に一番近い場所ですので、何かあったらと心配していたのです。その、先に言えば不安を与えてしまうかなと……不誠実でした。申し訳ありませんでした」


 そう言って深々と頭を下げた。そして、そのまま目だけを村の人間達に向ける。お前達も謝罪をしろ、と促しているようだ。

 何秒か置いて、視線の意図に気付いた村人達は、慌てて頭を下げた。


「ありがとね、先生。でもさ、ほら、僕達は何ともなかったから、大丈夫だよ」

「ええ。皆さんも気が動転していたのでしょうし」


 さすがに早めに収めた方が良さそうだなと思った双子がそう言うと、


「お前達がそう言うなら……」


 伊吹は渋々といった様子で頷いた。

 その言葉にアキト達は顔を上げる。アキトの表情に変化はないが、村の人間達はあからさまにホッとした顔になっていた。

 もう少し表情を取り繕った方がよいのではと思うくらいだ。こちらとしては分かりやすい方がありがたいのだけれど。


「で、では、屋敷へ戻りましょうか! 村長も待っておりますし!」


 そして彼らはくるりと向きを変えると、灰鐘邸を目指して歩き出した。とっとと解散したいという意思が感じられる。

 その後ろをまずはアキトが、それから伊吹とナツが続く。

 ハルも歩き出しかけて――ふと、一度振り返り、お社を見上げた。

 石段の先にあるそれは、今の位置からは見えない。


(あの、すごく嫌な感覚は……)


 井戸の中に張られた結界。

 伸びて来た無数の青白い手。

 そして井戸の底にいた得体の知れない何か。


 ……この騒動はまだ終わらない。


 先ほど感じた悪寒を思い出しながら、ハルは向きを変えると、ナツ達の後を追いかけた。

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